詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

芦田はるみ『雲ひとつ見つけた』

2008-03-16 00:40:40 | 詩集
 芦田はるみ『雲ひとつ見つけた』(編集工房ノア、2008年03月10日発行)
 安水稔和の「火曜日」に参加している詩人である。「火曜日」の詩人たちは素朴である。「現代詩」とどこか違うかといえば、ことばに対する「批評」精神である。書かれたことばに対する疑問、批判がない。それはことばを信じているという意味である。信じるということは悪いことではない。いや、きっといいことなのだろうと思う。
 「はる」という作品。

せがまれて
「はる」と地面に書いた
雪が溶けたばかりというのに
今日はこんなにも暖かい

文字を覚えはじめたばかりの子に
せがまれて
「はる」の横にまた
「はる」を書いた

地面はいつの間にか
「はる」でいっぱいになりました

 「はる」ということばが「はる」を引き寄せる。「春」ではなく、「はる」を。まだ形が定まっていない。どんなふうにでもなる輝きを。「はる」でしかないものを。

「はる」の横にまた
「はる」を書いた

 この2行はとても美しい。
 ことばを信じる力が輝いている。「はる」と書けば「はる」がやってくる。そういうことを真剣に信じているわけではないだろうが、予感のように、それを感じている。ことばは何かを書き表す。その何かは、いまそこに存在するものだけとはかぎらない。まだそこに存在しないものを引き寄せる。そんな不思議な力がある。真剣に信じているのではなく、無意識に、その力の方へ動いて言っている。
 「溶けたばかり」「覚えはじめたばかり」と「ばかり」ということばが2度出てくるが、この完了しているといえば完了しているのだけれど、まだ次の段階に達する前の、一種の未熟さ、初々しさがのこる何か。初々しさは、たぶん「可能性」と言い換えることができると思うが、その「可能性」に通じるものがここには動いている。輝いている。

 「春」を前にして、こういう作品を読むと、「はる」に浮き立つこころが新しく生まれてくるような気持ちになる。素朴な詩、ことばを信じている詩にはことばを信じている詩の美しさがある。


コメント (1)
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