詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中尾太一「カーサ・デスペランサ」

2008-12-06 08:43:33 | 詩(雑誌・同人誌)
中尾太一「カーサ・デスペランサ」(「現代詩手帖」2008年12月号)

 中尾太一「カーサ・デスペランサ」の初出誌は「文学界」2007年11月号。途中に、

一緒に性器にさわると噴きこぼれて

 という美しい行があって、最後がそれ以上に美しい。

小さな田園にひとりで入っていくとき
甘蔓の根っこや排水の流れに沿って
家に帰ろう、と言っていた君が振った右手も、左手も
甦った街の、きたない飯店に並んでいる
ここも、僕たちのホームなんだね
ああ、君がいちばん高い声で歌った来世まで
くさい光が渡っていく、その下で
僕たちの顔はこぶしのように苦しく、開いている

 「ああ、」の詠嘆がいい。特に、その読点「、」がまなまなしい肉体そのもののようで、ふいに中尾のからだがくっきり浮かび上がってくる。
 この詩は

「うち、ずっとここにいたかった」

 という「君」のことばから始まっているのだが、その最初の1行にも読点「、」があり、「僕」はその読点の呼吸を探して絶望の街をさまよっているという感じが、「ああ、」でピークに達する。そして、透明に、透明に、さらに透明に、つまりなまなましい肉体を地上に残して高く高く昇天していく感じがする。「ああ、」という詠嘆とともにある、せつない感情の透明さと、そのせつなさから取り残された肉体の、どうしようもない共存。「苦しみ」というのは、たしかに感情と肉体の不思議な齟齬のことなのだ。
 齟齬はあらゆるところに存在する。
 「甘蔓」と「排水」、「甦った街」と「汚い飯店」、「くさい」と「光」。そうした存在の間を、肉体を抱え、呼吸(読点「、」)をしながら動いていく。歩いていく。とぎれとぎれの呼吸は、どうしたって途中で「ああ、」と深く息を吐き出さずにはいられない。詠嘆せずにはいられない。息は、吐けば吐くほど、肉体の内部に深く溜まるものなのである。

 1年も遅れて、この詩に出合う。その不思議さ。--年鑑、アンソロジーの意義は、こういうところにあるかもしれない。詩にしろ、他の様々な芸術作品にしろ、世界にあふれかえっている。読んでいないもの、見ていないもの、聞いていないもののの方が、自分で読んだもの、見たもの、聞いたものよりはるかに多い。あたりまえのことであるけれど。そういう作品、気づかずにいた作品を知るのは、とこも興奮する。
 しばらく「現代詩手帖」のアンソロジーを読んでみようと思う。




数式に物語を代入しながら何も言わなくなったFに、掲げる詩集
中尾 太一
思潮社

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リッツォス「証言B(1966)」より(28)中井久夫訳

2008-12-06 00:25:25 | リッツォス(中井久夫訳)
老漁夫  リッツォス(中井久夫訳)

爺さんは言う。「おれはもう全然海に出ない。
このカフェニオンに座って窓の外を見てるのさ」
若い漁夫らが籠を手に入って来る。
座って飲んでさえずる。
魚の身体のきらめきはワイングラスのきらめきとは違うんだぞ。
私はそう連中に言ってやりたいと思う。
そこの大きな魚の話もしたかった。銛が斜めに背中に突き刺さったままの奴だ。
陽が沈む時、そいつは影を長々と海底に落とすんだと。だが話さなかった。
あいつらはイルカを愛する人間じゃない。それに窓が塩水で汚れている。
磨かなくちゃ。



 二つの主語。リッツォスの詩には、ときどき二つの主語が出て来る。この詩にも二つの主語がある。いや、ひとつなのに、複数の主語がある、と言った方がいいか。
 老漁夫。主語はひとりである。しかし、彼は「おれは」と語りはじめる。それが途中から「私は」にかわる。会話をあらわす括弧「 」は消え、地の文で、「私」にかわる。それはほんとうはひとりの人物だが、微妙に違う。
 老漁夫は、声に出して語るときは「おれは」という。しかし、無言で語るときは「私は」という。主語が二つに分かれる。これは、世界が二つに分かれるということである。そして世界が二つになるとき、ひとりの「老漁夫」は孤独を知る。「私」の世界を、「若い漁夫ら」は知らない。「若い漁夫ら」が知らない「私」が老漁夫の中に存在し、その老漁夫が、孤独なのである。
 そして、この孤独は、人間とは別の「友人」を持っている。「友情」を持っている。心を交わすことができる存在がある。それは、彼がつり上げた魚である。
 ヘミングウェイの「老人と海」の主人公に似ているが、老漁夫は、彼が格闘した魚とこころを交わす。闘いの中で、互いが生きていることを確かめあった。だから、そのつり上げた魚の夢がわかる。海底の長い長い影。ことばをもたない魚との、こころのなかでの会話。--その会話の中にある、透明な孤独。

 リッツォスは、ことばをもたない存在と交流し、その孤独を透明なものにする。磨き上げる。

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