詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

リッツォス「証言B(1966)」より(33)中井久夫訳

2008-12-11 08:43:25 | リッツォス(中井久夫訳)
宿命  リッツォス(中井久夫訳)

あてどなく放浪して、彼が帰るのはいつも同じ場所だった。
同じ一点だった(彼は宿命だと言った)。
壁を凹ませてある箇所 アーチ型の天井の部屋。入り口の、植木鉢に花を植えて置く所。
鉢の後に鍵。ここはいつも彼の出発点だ。
その鍵を忘れようとして。いや、鍵探しのこともある。
ものの形の変化の厚い層の下にありはしないかと。
時にはほんとうに忘れる。しかし不意に
通りでの知らない人の姿勢や歩き方が
また彼を自分の秘密に沈着させる。
少し向うのスタディウムからは、夕暮時に同じ声が聞こえて来る。
逆らえない声が、体操の後、次々に部屋を変えて。



 この詩もカヴァフィスを連想させる。「秘密」を解き放つ部屋。「秘密」を解き放つときの声--その、逆らえない引力。そういうものに出会い、苦悩する。
 リッツォスとカヴァフィスが違うととたら、自分を「自分の秘密に沈着させる」か、させないかの違いだろう。リッツォスは沈着させる。押し殺す。カヴァフィスは解き放つ。そういう違いがあると思う。

 この詩にはとても不思議な1行がある。どう読んでいいか、わからない1行がある。

ものの形の変化の厚い層の下にありはしないかと。

 とても抽象的だ。他の行がそれぞれ具体的であるのに対して、この行には具体的なことは何も書かれていない。「ものの形」とは何? 「変化」「厚い層」「下」--どのことばも知っている。知っているけれど、具体的に何を指すのか、私には見当がつかない。
 わかるのは、この行を分岐点にして、詩が前半と後半に分かれるということだ。
 前半は、具体的な「部屋」のありか。室内が舞台である。しかし、この行を境にして、彼のこころは「通り」、つまり「室外」へさまよいでる。「部屋」のなかにいるにしろ、こころは「室外」にある。「街」にある。そこをさまよっている。
 そして、そのさまよいのつづきとして、「次々に部屋を変えて」がやってくる。さまよいは、永遠に続く。放浪はあてどなくつづく。(書き出しの1行にもどる。)
 さまよいでるために、彼は「部屋」にもどるのだともいえる。
 そういう「意識」の場が「ものの形の変化の厚い層の下」なのかもしれない。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする