高野幸祐「バスと盲導犬」(毎日新聞「鹿児島」版、2008年12月20日発行)
新聞には読者の作品がいろいろ掲載されている。毎日新聞「鹿児島」版、2008年12月20日の高野幸祐「バスと盲導犬」に感動した。
2段落目のリズムがとてもいい。ひとつひとつの文章がひとつのことしか言っていない。とても素早く読める。そして、その素早さが、そのままこころの動きになっている。それだけではなく、そのとき、こころはあくまでわき役に納まっている。「私はやっと気が付いた」の「やっと」が女性を引き立てている。女性のきちんとした生き方に対して、「私」は「やっと」なのである。そうやって少し身を引いて、一番言いたいことを、それまでの文章より長めに書いて、じっくり読ませる。あくまでも、女性を主役にして。
「彼女は前もって犬を連れた自分の姿を運転手に見えるようにたっていたのだ。」はさりげない文章だが、私は何度も読み返してしまった。女性の姿がくっきり見える文章なのに、いや、くっきりみえるからこそなのかもしれないが、その姿を、その生き方をよりくっきりと自分のこころに刻むように。
他人(高野にとっての他人という意味だが)を、こんなに鮮やかに表現し、しかも生き方までしっかり伝える文章は、なかなかないものである。
新聞には読者の作品がいろいろ掲載されている。毎日新聞「鹿児島」版、2008年12月20日の高野幸祐「バスと盲導犬」に感動した。
落ち葉の舞う中をバス停にたどり着いた私は、盲導犬を連れた「アラフォー」の女性を見た。彼女はバス停の縁にすっくと立ち、じーっと前を向いたままである。ひたすらバスのエンジン音が近づくのを待っていた。
私はバスの止まる位置がずれはしまいかと心配になった。しかしバスのドアはピッタリ彼女の前で開いた。私はやっと気が付いた。彼女は前もって犬を連れた自分の姿を運転手に見えるようにたっていたのだ。
2段落目のリズムがとてもいい。ひとつひとつの文章がひとつのことしか言っていない。とても素早く読める。そして、その素早さが、そのままこころの動きになっている。それだけではなく、そのとき、こころはあくまでわき役に納まっている。「私はやっと気が付いた」の「やっと」が女性を引き立てている。女性のきちんとした生き方に対して、「私」は「やっと」なのである。そうやって少し身を引いて、一番言いたいことを、それまでの文章より長めに書いて、じっくり読ませる。あくまでも、女性を主役にして。
「彼女は前もって犬を連れた自分の姿を運転手に見えるようにたっていたのだ。」はさりげない文章だが、私は何度も読み返してしまった。女性の姿がくっきり見える文章なのに、いや、くっきりみえるからこそなのかもしれないが、その姿を、その生き方をよりくっきりと自分のこころに刻むように。
他人(高野にとっての他人という意味だが)を、こんなに鮮やかに表現し、しかも生き方までしっかり伝える文章は、なかなかないものである。