井川博年「バスに乗って」(「現代詩手帖」2008年12月号)
井川博年「バスに乗って」の初出誌紙は「読売新聞」2008年04月01日。
ことばはいつまで生きているのだろう、と思った。ことばに「死」はないかもしれないが、それでもふとそんなことを思った。あまりにも、ことばが古い。
「山の麓」「小さな村」「甘いもの」「都会」「新品」「月賦」「背広」。どのことばも知っている。知っているけれど、いま、私はそういうことばをつかわない。私はたぶん井川の書いている「山の麓の小さな村」よりはるかに山奥の、はるかに小さい集落の生まれだが(今ではバスは1日2便である。家の近くではどこでも留めて降りることができる)、それでも、いまは、そういうことばをつかわない。私の生まれ育った集落のひとももうそういうことばをつかわない。
井川はなぜこんなことばをつかったのだろう。
詩のつづき。
ことばはどんどん古くなる。「はや」。あ、こんなことばを井川は日常的につかっているのだろうか。
これは、現実を描いているのだろうか。
2連目。
詩はまだまだつづくのだが、この連には1連目のような「古い」ことばはない。(あとでふれる「夜行列車」が唯一の例外だが。)そのかわり、びっくりするようなことが書かれている。
これは、私の感覚では、とても理解できない。「石ころだらけの山道を一時間」かけてたどりつくような村に「旅行者」って、来るの? 少なくとも、私の田舎の集落にはやってこない。そして、そこでは(私の集落では、という意味である)、私が帰郷したなどといわなくても(近所のひとにお土産を配ってまわらなくても)、私の帰郷を知っている。隣近所(といっても 100メートルも離れているけれど)ばかりか、私の家からさらに何キロも離れたところに住むひとまで知っている。故郷を離れて何年にもなるので、私は故郷のことをほとんど知らないが、故郷の方では(故郷を離れなかったひとびとは)私のことを知っていて、「旅行者」なんかには絶対になれない。私の田舎では乗合バスに乗るのは、車を運転できないお年寄りだけである。車で移動するしか方法がない、というのが町から離れた「限界集落」の現実である。
この詩は「現代」を描いていない。
2連目の最後の方に「夜行列車を乗り継いで」という行が出てくる。こういうことも、現代では、実現不可能だろう。JRを私は最近利用していないので確かめたわけではないが、乗り継ぎができるほど「夜行列車」が走っているだろうか。(いま「夜行列車」ということばをつかって旅行の計画を立てる人は、まずいない。)
この詩は、簡単に言えば、いまとは無関係である。井川の記憶を描いているのだろう。そのために、あえて古いことば、いまはめったにひとがつかわないことばを書き並べているのだろう。記憶を残すように、ことばを残したいのかもしれない、井川は。
しかし、記憶であると仮定したとき、また、先に指摘した1行が気になる。
何十年も前の古い時代の記憶だと仮定したとき、この1行はとても異様だ。何十年も前の田舎--人間関係が濃密な田舎では、「旅行者」はすぐにわかる。乗合バスに「旅行者」がいれば、それはすぐにわかる。絶対に、「ふり」などできない。ひとが「旅行者」のふりをできるのは、田舎ではなく、都会なのだ。そこでは、誰が誰であるかわからない。知らんぷりをできる。装うことができる。しかし、田舎では装うことはできない。だれもがみんな知り合いというのが田舎だからである。
遠い昔をなつかしく思うことは誰にでも共通することかもしれない。古いことばをきちんと残したい。古いことばの持っている味を引き継ぎたいというのは、とても大切なことだとは思う。しかし、そういう思いを優先させて、「古い記憶」そのものを偽りのものにしてしまっては、古いことばをつかった意味がない。
井川は、単に「古いことば」をつかって、人の郷愁「のようなもの」をあおっているだけなのである。私は、こういうセンチメンタルを利用した詩が、とても嫌いだ。
「旅行者」にケチをつけたついでに、最後まで引用して、もうひとつ批判しておく。詩は、次のようにつづいている。
「がらがらのバス」「室内灯」から、このバスが夜(少なくとも日が落ちてから)走っていると想像できる。(夜に街の方へでかける人は少ないから「がらがら」なのだ。逆に、朝は町から田舎へ向かうバスは客が少ない。)室内が明るく、外が暗いからこそ、窓ガラスが鏡のようになり、そこに「泣きべそ」の顔も映るわけだ。そうだとするなら、
とは、どういう状況だろうか。なぜ夜の湖水が「キラキラ光」るのだろう。何の反射?星、ということはないだろう。街の明かりでもないだろう。考えられるのは月くらいしかないが、もしそうなら、きちんと月を見たと書かないと、不自然だろう。
記憶というのは、誰の記憶も、しだいに薄れ、歪んでいくものだろうけれど、その歪みに気がつかないだけとは、とても思えない。
ノスタルジックなことばを書きたい、そういうことばを書きつらねることで同じ年代の共感を得たいという思いが強すぎて、ことばをねじ曲げているのではないだろうか。
つかわれたことばがかわいそうである。
井川博年「バスに乗って」の初出誌紙は「読売新聞」2008年04月01日。
ことばはいつまで生きているのだろう、と思った。ことばに「死」はないかもしれないが、それでもふとそんなことを思った。あまりにも、ことばが古い。
バスに乗って田舎に帰った。
老いた両親の待っている
山の麓の小さな村へ
父と母の喜ぶ甘いものと
近所のひとに配る都会の土産を
新品の鞄につめて手にさげ
月賦で求めた背広を着て
新しい靴を履いて
石ころだらけの山道を一時間
満員のバスにゆられ
「山の麓」「小さな村」「甘いもの」「都会」「新品」「月賦」「背広」。どのことばも知っている。知っているけれど、いま、私はそういうことばをつかわない。私はたぶん井川の書いている「山の麓の小さな村」よりはるかに山奥の、はるかに小さい集落の生まれだが(今ではバスは1日2便である。家の近くではどこでも留めて降りることができる)、それでも、いまは、そういうことばをつかわない。私の生まれ育った集落のひとももうそういうことばをつかわない。
井川はなぜこんなことばをつかったのだろう。
詩のつづき。
そうしてようやく
村の入口のバス停に着く
そこからは暗くなりはじめた村道を
両親の家まで駆けて行くのだ
はや明かりの灯いている
古いなつかしい家の方へ
ことばはどんどん古くなる。「はや」。あ、こんなことばを井川は日常的につかっているのだろうか。
これは、現実を描いているのだろうか。
2連目。
バスに乗って田舎から帰った。
両手にいっぱいの手土産を持って
手を振りながらバス停に急ぐ
がらがらのバスに飛び乗ると
土産物を棚に上げたまま
旅行者のふりをして知らぬふり
窓ガラスに映る泣きべその
顔ばかり見ているのだ
詩はまだまだつづくのだが、この連には1連目のような「古い」ことばはない。(あとでふれる「夜行列車」が唯一の例外だが。)そのかわり、びっくりするようなことが書かれている。
旅行者のふりをして
これは、私の感覚では、とても理解できない。「石ころだらけの山道を一時間」かけてたどりつくような村に「旅行者」って、来るの? 少なくとも、私の田舎の集落にはやってこない。そして、そこでは(私の集落では、という意味である)、私が帰郷したなどといわなくても(近所のひとにお土産を配ってまわらなくても)、私の帰郷を知っている。隣近所(といっても 100メートルも離れているけれど)ばかりか、私の家からさらに何キロも離れたところに住むひとまで知っている。故郷を離れて何年にもなるので、私は故郷のことをほとんど知らないが、故郷の方では(故郷を離れなかったひとびとは)私のことを知っていて、「旅行者」なんかには絶対になれない。私の田舎では乗合バスに乗るのは、車を運転できないお年寄りだけである。車で移動するしか方法がない、というのが町から離れた「限界集落」の現実である。
この詩は「現代」を描いていない。
2連目の最後の方に「夜行列車を乗り継いで」という行が出てくる。こういうことも、現代では、実現不可能だろう。JRを私は最近利用していないので確かめたわけではないが、乗り継ぎができるほど「夜行列車」が走っているだろうか。(いま「夜行列車」ということばをつかって旅行の計画を立てる人は、まずいない。)
この詩は、簡単に言えば、いまとは無関係である。井川の記憶を描いているのだろう。そのために、あえて古いことば、いまはめったにひとがつかわないことばを書き並べているのだろう。記憶を残すように、ことばを残したいのかもしれない、井川は。
しかし、記憶であると仮定したとき、また、先に指摘した1行が気になる。
旅行者のふりをして
何十年も前の古い時代の記憶だと仮定したとき、この1行はとても異様だ。何十年も前の田舎--人間関係が濃密な田舎では、「旅行者」はすぐにわかる。乗合バスに「旅行者」がいれば、それはすぐにわかる。絶対に、「ふり」などできない。ひとが「旅行者」のふりをできるのは、田舎ではなく、都会なのだ。そこでは、誰が誰であるかわからない。知らんぷりをできる。装うことができる。しかし、田舎では装うことはできない。だれもがみんな知り合いというのが田舎だからである。
遠い昔をなつかしく思うことは誰にでも共通することかもしれない。古いことばをきちんと残したい。古いことばの持っている味を引き継ぎたいというのは、とても大切なことだとは思う。しかし、そういう思いを優先させて、「古い記憶」そのものを偽りのものにしてしまっては、古いことばをつかった意味がない。
井川は、単に「古いことば」をつかって、人の郷愁「のようなもの」をあおっているだけなのである。私は、こういうセンチメンタルを利用した詩が、とても嫌いだ。
「旅行者」にケチをつけたついでに、最後まで引用して、もうひとつ批判しておく。詩は、次のようにつづいている。
遠くキラキラ湖水が光り
室内灯をつけたバスははずみながら
眠った乗客を乗せ
橋の多い市街に近づいて行く
そこから駅に降り立って
夜行列車を乗り継いで
ひとのいっぱいいる都会に
また帰るのだ
「がらがらのバス」「室内灯」から、このバスが夜(少なくとも日が落ちてから)走っていると想像できる。(夜に街の方へでかける人は少ないから「がらがら」なのだ。逆に、朝は町から田舎へ向かうバスは客が少ない。)室内が明るく、外が暗いからこそ、窓ガラスが鏡のようになり、そこに「泣きべそ」の顔も映るわけだ。そうだとするなら、
遠くキラキラ湖水が光り
とは、どういう状況だろうか。なぜ夜の湖水が「キラキラ光」るのだろう。何の反射?星、ということはないだろう。街の明かりでもないだろう。考えられるのは月くらいしかないが、もしそうなら、きちんと月を見たと書かないと、不自然だろう。
記憶というのは、誰の記憶も、しだいに薄れ、歪んでいくものだろうけれど、その歪みに気がつかないだけとは、とても思えない。
ノスタルジックなことばを書きたい、そういうことばを書きつらねることで同じ年代の共感を得たいという思いが強すぎて、ことばをねじ曲げているのではないだろうか。
つかわれたことばがかわいそうである。
井川博年詩集 (現代詩文庫)井川 博年思潮社このアイテムの詳細を見る |