監督 スティーヴン・ソダーバーグ 出演 ベニチオ・デル・トロ、ヨアキム・デ・アルメイダ、エルビラ・ミンゲス
とても不思議な映画である。
その不思議さに圧倒される。何が不思議かというと、これはチェ・ゲバラがキューバ革命のあと忽然と姿を消して何をしていたかを描いているのだが、多くの映画が持っているストーリーがこの映画にはないのである。いや、ボリビアに行ってゲリラ革命を試みるが失敗するというストーリーがあると言えば言えるけれど、それってストーリー? チェたちはただひたすらボリビアのジャングルを逃走する。一度も勝利をおさめない。最後は銃殺されてしまう。それをまるでドキュメンタリーのように描いている。いわゆるカタルシスというものがない。「事件」が解決しない。チェが革命に失敗し、殺される。そんな「ストーリー」でほんとうに映画になるのか。
ところが、どこをとってみても映画なのである。女性闘士が尾行されるシーンのカメラの動き、追いかける男たちの入れ代わり立ち代わりのリズムというような、ごく一般的な映像はもちろんだが、圧倒的なのはボリビアのジャングルである。その緑である。そして、チェたちの汗である。疲労である。ボリビア国軍に追いつめられ、どんどん山奥へ逃げる。その逃げるシーンのほとんどがチェたちしか映していないのに、迫ってくるボリビア国軍を感じさせる。それだけ、ベニチオ・デル・トロら、出演者の肉体の緊張感が真に迫っているということなのだが、それだけではなく、ジャングルの生々しい緑の力も影響していると思う。生い茂る木々はチェたちを隠す。同時に、チェたちの動きを阻む。つまり、チェたちの行動とは無関係にそこに存在し、平然としている。その敵か味方かわからない存在感をカメラはしっかり捉えている。しかも、とても美しく捉えている。自然は美しい。美しいけれど非情である。緑だけではない。山の傾斜も、岩も、川も、みんな非情である。無関心のまま、非情で美しい。この美しさは、たぶん映画でないと表現できない。ことばになるまえの、ことばをもたないいのちの非情な美しさなのである。
それはどこか、チェたちが革命をとおして解放しようとした農民たちの姿にも似ている。彼らはチェたちも保護するけれど、裏切りもする。助けもするけれど、国軍に売り渡しもする。味方であり、同時に敵である。そして、また美しい。つましく自分たちの生活といのちを守って、そこから動かない。まるで野生の樹木や草花のようである。どんなにチェたちを裏切っても、その姿はけっして卑しくはない。彼らはチェたちを裏切っているのではなく、ただ自分のいのちを守っているだけなのである。そういう、なまの、自己完結の美しさ。
こういうい自己完結している人間に対して、革命の必要性を説くのはむずかしい。それでも、そういうその敵か味方かわからない人間に対して革命の必要性を解き、また彼らからの質問にも真摯に答える。そういうことをしながら、ジャングルの奥へ奥へと逃走する。負傷した仲間もけっして見捨てない。革命だけが、ほんとうにチェの「思想」なのである。革命をつらぬく人間の真摯な生き方がチェの思想なのである。いのちのあるものをけっして見捨てず、そのいのちが一番輝くのはどういうときなのかだけを追い求める。それが、ことばではなく「肉体」として伝わってくる。そういう「肉体」を映画は延々と、何の説明もせずに、ただスクリーンに映し出す。
「28歳の革命」では「ことば」が大きな力を発揮していたが、この映画では「肉体」そのもので語りつづけている。何度か、仲間同士が出会い、「生きていたのか」と確かめあい、抱擁するシーンがあるが、そのときの、相手をしっかりと抱きしめる強さ--その肉体の抱擁の強さを信じて、そのまま野生のジャングルにも向き合えば、ひっそりとくらす農民とも向き合う。当然、国軍とも向き合う。敵であるけれど、単に敵としてではなく、生きているいのち、人間として、向き合う。
処刑の寸前。チェが若い兵士とふたりだけになる。若い兵士はチェの姿に同情し、思わず「煙草を吸うか」と差し出す。チェはその好意をすなおに受ける。そのときの、不思議な交流。直接ふれあうわけではないが、若い兵士は不思議な力を感じて、いのちを感じて、思わずそんな反応をするのだが、そういうことが自然に見えるベニチオ・デル・トロの演技力。人間の力。--ここがこの映画のハイライトである。チェは煙草をくれた兵士に、「縄をといてくれ」と頼む。この素朴な依頼。そのことば。そして、それがあまりにも素朴であるために、兵士はためらってしまう。この瞬間の美しさ。人間にはそれぞれ与えられた責務がある。若い兵士はチェが逃亡しないように見張りをしている。それが仕事なのに、その仕事をしている兵士に対してチェは手足を解放してくれと頼む。その声が、そして実際に兵士にまっすぐに届いてしまう。
チェは誰に対しても、まっすぐにことばを届けてきた。ゲリラから脱落しようとする仲間に対しても、まっすぐに向き合い、脱落することは許されないという理由をまっすぐに語る。ことばだけではなく、ほんとうに「肉体」として向き合う。ジャングルは、もともと素裸のチェをよりいっそう裸にした。無防備にした。そして、その自然のなかで、たしかに輝いたのだということが納得できる映画である。