津村記久子「ポストライムの舟」(「文芸春秋」2009年03月号)
芥川賞受賞作。困惑してしまった。まったく面白くない。文体が面白くない。書き出し。
とても退屈である。余分な情報があり、うまく機能していない。たとえば「背後の掲示板」の「背後」とはどういうことだろう。背中をねじっているのだろうか。そうであるなら、そこに「肉体」が書かれていないといけない。なぜ、そんな姿勢でいるのか。そのときのこころの動きは? そういうものが書かれていないと、「背後」がことばとして生きてこない。
津村は、主人公を肉体として描いていない。それが面白くない原因である。
この書き出しの後、「長瀬」は「ナガセ」にかわる。そして他の登場人物たちとかかわる。そして登場人物たちは漢字だったり、カタカナだったり、敬称「さん」がついていたりいなかったりする。その書きわけも、私にはよくわからない。たぶんカタカナ、漢字、敬称によって主人公「ナガセ」との人間関係の度合いを区別しているのだろうけれど、それが私にはわからない。名前の表記の書きわけではなく、人物の具体的な行動で人間をかき分けてもらいたい。表記で人間をかき分けるのは、安直な気がするのである。
強いて面白い部分を上げると、2か所。348ページの自転車の場面と、377ページ上段の「今のナガセは、自室に寝かされてただ天井の木目を見ている。」からの風邪で寝ている場面である。特に、雨と肉体の感じがとてもいい。その最後の部分、
こういう文体で、ナガセだけでなく、他の登場人物も描き分けられていたら面白いと思った。
芥川賞受賞作。困惑してしまった。まったく面白くない。文体が面白くない。書き出し。
三時の休憩時間の終わりを告げる予鈴が鳴ったが、長瀬由紀子はパイプ椅子の背もたれに手を掛け、背後の掲示板を見上げたままだった。
とても退屈である。余分な情報があり、うまく機能していない。たとえば「背後の掲示板」の「背後」とはどういうことだろう。背中をねじっているのだろうか。そうであるなら、そこに「肉体」が書かれていないといけない。なぜ、そんな姿勢でいるのか。そのときのこころの動きは? そういうものが書かれていないと、「背後」がことばとして生きてこない。
津村は、主人公を肉体として描いていない。それが面白くない原因である。
この書き出しの後、「長瀬」は「ナガセ」にかわる。そして他の登場人物たちとかかわる。そして登場人物たちは漢字だったり、カタカナだったり、敬称「さん」がついていたりいなかったりする。その書きわけも、私にはよくわからない。たぶんカタカナ、漢字、敬称によって主人公「ナガセ」との人間関係の度合いを区別しているのだろうけれど、それが私にはわからない。名前の表記の書きわけではなく、人物の具体的な行動で人間をかき分けてもらいたい。表記で人間をかき分けるのは、安直な気がするのである。
強いて面白い部分を上げると、2か所。348ページの自転車の場面と、377ページ上段の「今のナガセは、自室に寝かされてただ天井の木目を見ている。」からの風邪で寝ている場面である。特に、雨と肉体の感じがとてもいい。その最後の部分、
顔を上下左右にむずむず動かして、せめて泣こうとしてみるが、こみ上げるものが何もない。ただ、屋根の下で寝られてありがたい、と頭のてっぺんを稲妻に照らされながら思った。雨が強くなるにつれて、眠気が増していった。次に目が覚めた時に、仕事をやめたくなっていませんように、と祈る。近くで雷の落ちる音がした。
こういう文体で、ナガセだけでなく、他の登場人物も描き分けられていたら面白いと思った。
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