暮尾淳「タマサシの旅」(「現代詩手帖」2009年02月号)
他人のことばにであったとき、ひとはどんなふうにかわるのだろうか。岡井隆は他人のことばをのみこみながら、乱調の美を華麗に展開する。暮尾はふいに自分のことばをうしない、沈黙する。
「タマサシの旅」の後半。
暮尾にとって、他者のことばと出会うことは沈黙することである。これは、暮尾の友人、地蔵をつくっている男も同じだ。少年に尋ねられたとき、ほんとうのことは語っていない。沈黙している。そして、別なことばを語っている。この語らなかった時間があって、つまり沈黙があって、そのあと遅れてことばがやってくる。そのとき、少年はいない。かわりに暮尾が沈黙をくぐりぬけたあとの、透明な音楽を聴く。
これは、友人が暮尾と話す機会がなかったら、永遠に沈黙のなかに沈んでいたことばかもしれない。深く深く沈黙していたことばがあらわれるとき、それはきっと詩なのだ。そして、そのまえでは、ひとは沈黙する。自分のことばをととのえ直さないと、きちんと向き合えない。だから、沈黙する。
そう考えると、少年が友人に語りかけたことばも同じように詩なのだ。少年は長い長い沈黙の果てに、やっとことばを見つけ出し、友人に問いかけた。それは質問ではなく、沈黙の奥に生きていた「いのち」の誕生なのである。
そしてそれは友人の想像を超えていた。そして一気に友人の「いま」「ここ」と「過去」をたたき壊してしまった。だからきちんとこたえることができなかった。地蔵をつくっている、という単純なことを明確に言えなかった。友人の「常識」「流通していることば」が通用しない世界に引きずり出されたことを知って、うろたえて、その場をとりつくろったのだ。「地蔵をつくっている」では、少年の求めている答えにはならないと、一瞬のうちにわかって、沈黙し、「仕事なんだよ」と答えるしかなかった。
そういう「沈黙」をくぐり抜けたことばのあと、言ったひとも聞いたひとも、また沈黙するしかない。ことばがかえって行く先は「沈黙」しかない。
沈黙と拮抗する音が音楽だと武満徹は言ったが、沈黙と拮抗することばが詩でもあるのだ。
そういう美しい沈黙のあと、時間を置いてから暮尾のことばはゆっくり動きだす。
どうしようもないことである。そのどうしようもないことが、ことばとなって静かにあらわれる。それは単純にみれば散文、呟きに聞こえる。しかし、これもまた詩なのだと私は思う。詩と、とても不思議な形をとってあらわれる。誰もが口ずさむ気持ちのよい響き、フレーズ、たとえば「ふるさとは遠きにありて思うもの」のような形であらわれるものもあるが、そうではなく、あらわれたけれど、受け止めるひともなく、ただ消えていくという形をとるものもある。
暮尾の書いていること「後悔」、呟きもそうした詩である。
この5行だけ読んでも、なんのことかさっぱりわからない。(詩の全体をとおして読めばわかるのだが、ここで引用するより、作品を直に読んでもらいたいので、前半は引用しないままにしておく。)だが、その、不思議な、深い深い沈黙を誘うことばは、やはり詩なのだ。
暮尾は、この5行のあと、沈黙する。つまり、詩を閉じるが、その沈黙こそが詩なのである。そこでは、別の、ここには書くことのでなきかったことばが、いつかあらわれようとしてうごめいている。その書かれていないうごめき、いのちの予感が詩である。
*
岡井隆の詩に戻れば、岡井のことばは、暮尾の書いている沈黙を螺旋を描くようにして降りて行く。あるいはのぼっていく。あるいは横へ横へとひろがり、さまよう。その方向性のなさ、あるいは無限の方向への自在な闊歩の足音、その乱れ、乱調が詩なのである。
歌会始の前、階段をみてふと思い出した大滝和子の「階段は美貌なれどもわたしくと目合はすことを避けかかるなり」は、一瞬のうちに、岡井の日常「いま」「ここ」をたたき壊す沈黙の衝撃でもあったのだ。
沈黙と通じ合うさまざまなことば--そのなかに、詩はある。そして、それはさまざまな形をしている。
他人のことばにであったとき、ひとはどんなふうにかわるのだろうか。岡井隆は他人のことばをのみこみながら、乱調の美を華麗に展開する。暮尾はふいに自分のことばをうしない、沈黙する。
「タマサシの旅」の後半。
注文を受けた石の地蔵を
一人黙々と彫っている
すっかり白髪になった友人を訪ねると
彼は珈琲を啜りながら
切り出したばかりの大きな原石のころから
毎日一度は見にきていた
利発そうな男の子が
ようやく粗削りが終わるころ
おじさんはどうしてこの石を壊してしまうのと聞くので
仕事なんだよとこたえたけれど
なんだか急に恥ずかしくなり
時の流れのままに風化して行く
自然な石の姿にこそ
仏は現れるのだろうかとしみじみ語り
だからおれはタマサシについて話せなくなり
二人はしばらく
六月の青い空の白い雲をぼんやり眺めていたが。
暮尾にとって、他者のことばと出会うことは沈黙することである。これは、暮尾の友人、地蔵をつくっている男も同じだ。少年に尋ねられたとき、ほんとうのことは語っていない。沈黙している。そして、別なことばを語っている。この語らなかった時間があって、つまり沈黙があって、そのあと遅れてことばがやってくる。そのとき、少年はいない。かわりに暮尾が沈黙をくぐりぬけたあとの、透明な音楽を聴く。
時の流れのままに風化して行く
自然な石の姿にこそ
仏は現れるのだろうか
これは、友人が暮尾と話す機会がなかったら、永遠に沈黙のなかに沈んでいたことばかもしれない。深く深く沈黙していたことばがあらわれるとき、それはきっと詩なのだ。そして、そのまえでは、ひとは沈黙する。自分のことばをととのえ直さないと、きちんと向き合えない。だから、沈黙する。
そう考えると、少年が友人に語りかけたことばも同じように詩なのだ。少年は長い長い沈黙の果てに、やっとことばを見つけ出し、友人に問いかけた。それは質問ではなく、沈黙の奥に生きていた「いのち」の誕生なのである。
そしてそれは友人の想像を超えていた。そして一気に友人の「いま」「ここ」と「過去」をたたき壊してしまった。だからきちんとこたえることができなかった。地蔵をつくっている、という単純なことを明確に言えなかった。友人の「常識」「流通していることば」が通用しない世界に引きずり出されたことを知って、うろたえて、その場をとりつくろったのだ。「地蔵をつくっている」では、少年の求めている答えにはならないと、一瞬のうちにわかって、沈黙し、「仕事なんだよ」と答えるしかなかった。
そういう「沈黙」をくぐり抜けたことばのあと、言ったひとも聞いたひとも、また沈黙するしかない。ことばがかえって行く先は「沈黙」しかない。
沈黙と拮抗する音が音楽だと武満徹は言ったが、沈黙と拮抗することばが詩でもあるのだ。
そういう美しい沈黙のあと、時間を置いてから暮尾のことばはゆっくり動きだす。
帰りの飛行機では若かった姉が出してくれた詩集のあとがきに何時
までも詩を書いているなんて恥ずかしいことであると書いたむかし
を思い出しながらおれはあのとき馬師の誰かにタマサシを作れない
牝馬の去勢の儀式はどのようにするのだろうか
聞いておけばよかったと後悔していた。
どうしようもないことである。そのどうしようもないことが、ことばとなって静かにあらわれる。それは単純にみれば散文、呟きに聞こえる。しかし、これもまた詩なのだと私は思う。詩と、とても不思議な形をとってあらわれる。誰もが口ずさむ気持ちのよい響き、フレーズ、たとえば「ふるさとは遠きにありて思うもの」のような形であらわれるものもあるが、そうではなく、あらわれたけれど、受け止めるひともなく、ただ消えていくという形をとるものもある。
暮尾の書いていること「後悔」、呟きもそうした詩である。
この5行だけ読んでも、なんのことかさっぱりわからない。(詩の全体をとおして読めばわかるのだが、ここで引用するより、作品を直に読んでもらいたいので、前半は引用しないままにしておく。)だが、その、不思議な、深い深い沈黙を誘うことばは、やはり詩なのだ。
暮尾は、この5行のあと、沈黙する。つまり、詩を閉じるが、その沈黙こそが詩なのである。そこでは、別の、ここには書くことのでなきかったことばが、いつかあらわれようとしてうごめいている。その書かれていないうごめき、いのちの予感が詩である。
*
岡井隆の詩に戻れば、岡井のことばは、暮尾の書いている沈黙を螺旋を描くようにして降りて行く。あるいはのぼっていく。あるいは横へ横へとひろがり、さまよう。その方向性のなさ、あるいは無限の方向への自在な闊歩の足音、その乱れ、乱調が詩なのである。
歌会始の前、階段をみてふと思い出した大滝和子の「階段は美貌なれどもわたしくと目合はすことを避けかかるなり」は、一瞬のうちに、岡井の日常「いま」「ここ」をたたき壊す沈黙の衝撃でもあったのだ。
沈黙と通じ合うさまざまなことば--そのなかに、詩はある。そして、それはさまざまな形をしている。
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