一海槙『正夢』(澪標、2011年09月11日発行)
一海槙『正夢』は「腕」と「帰路」の2篇がとても印象に残った。どちらも何が書いてあるかわからない。わからないのだけれど、1行1行が安定している。
「腕」を引用してみる。
「八月」「別れ」「腕をいっぽん」「白磁の壺」が、戦争と、戦死を連想させる。戦争で叔父が死んだ。遺骨は、腕だけが帰って来た。しかし、それは「すこし長すぎる」というような印象を呼び起こすものだった。「叔父のものではないかもしれない」という気持ちは、叔父は生きているかもしれない、という祈りでもあるだろう。
こんなことは、もちろん私がかってに想像したことであって、その想像が正しいかどうかはまったくわからない。
これは逆にいうと、何が書いてあるかまったくわからなくても、ひとは勝手になにごとかを連想し、想像し、思い込むことができるということである。
このとき大切なのは(?)というか、そういう運動を引き起こすのは、ことばのもっている「来歴」だろう。「過去」だろう。
この「来歴」「過去」が、ことばの「安定感」の重要な要素なのだ。
「七月」でも「九月」でも、だめ。「四月」でもだめ。「十一月」ももちろん、「戦争」ということばと直結しない。「八月」だけが「戦争/終戦」と強烈に結びつき、そこへ連想をひっぱっていく。そこに「別れ」「腕いっぽん」「壺」と重なれば、どうしても「戦死」ということになるのだが、もし、「腕いっぽん」ではなく、「足いっぽん」だとどうなるだろうか。
とても違和感が残ると思う。「戦死」「遺骨」ということばが思い浮かぶかどうか、私にはわからない。「足いっぽん」の遺骨もあるはずなのだが、「足」だと歩けないから、ちょっとまずい。帰ってくる、そして去っていく--そいうときに「足」は必要である。だから「足」をせんべつにおいていくというのは不可能なのだ。そういう無意識の「論理(?)」というか、ことばの整合性のようなものが、この作品には働いている。
「すこし長すぎる とみんなは言ったが」の「みんな」もそういう「論理」にうまく合致している。母親とか父親とか、妻という具体的なだれかひとりではなく、「みんな」というあいまいさ、そして「合意」の感覚と、「すこし」という異議のあらわしかたが自然である。「すこし」は「みんな」によって「許容」されてしまう。ひとりが「長すぎる」と言い張ると、そこから議論がはじまってしまって、さわがしくなる。
さわがしくならないようなことばの運動--予定調和のなかで、この作品のことばは動いている。「安定感」は「予定調和」ということでもある。
梅雨-ものが腐りやすい、真夏-すずしい軒下で休む、秋-銀杏が散る。この組み合わせは「予定調和」以外のなにものでもない。
ふつう、こういう「予定調和」は作品を退屈にさせるのだが、「腕」という作品は「リアル」ではない。「写実」ではない。だから、「予定調和」であっても退屈にならない。きっと「幻想」というか、でたらめ(?)の暴走にブレーキをかけ、その速度を適度にする効果が、ことば自身のもっている「過去」のなかにあるのだろう。「過去」が「予定調和」として働けば、その「速度」を信頼してしまうということなのかもしれない。
そうして、いったん「予定調和」で安心させておいてから、一海はことばう少し飛躍させる。
3連目。
こんなことは現実にはありえない。ありえないけれど、信じてみたい気持ちになる。そして、それを信じるとき、実は、読者は(私は)、「腕」の「欲望」を生きてはいない。「腕」が「だれか」の体にさわるのではない。だれかが「腕」にさわり、さわることをとおして逆にさわられることを夢見るのだ。
ひとは、現実を正しく理解するのではなく、いつでも自分の欲望で現実を歪めて理解するものなのだ。体から離れてしまった腕は動かない。けれど、その腕にさわるとき、さわったひとは「腕」の「意思」を感じ、「腕」が「私」になって、かってに動いていく。暴走する。
これは、そして--現実ではなく、ことばのなかに起きることである。
ちょっと飛躍しすぎた。
一海が書いているのは「現実」ではない。「事実」ではない。ことばである。ことばで語りうることを書いている。ことばは、一海が書いているように、現実にはありえないことを書くこともできる。
そして、その現実にはありえないことを書いたことばをとおして、--ことばを「誤読」して、ひとはさらに自分でことばを動かしていくことができる。「腕がある」、冬はこごえてかじかむが、腕というものはあたためると動くものである。かじかんでいた指がほどけて、ゆっくり動く。動く指は、だれかにさわりたい。体から切り離された腕はそんなことを思うはずはないのだが、読んだ読者(私?)は、そう思うことができる。
これは変なことであるが、ことばの世界なのだから、変であってもかまわないだろうと思う。
で、こういうとき、先に書いた「ことばの来歴/過去」と重なるようにして、人間の「来歴/過去」というものがあるということがわかる。こんなことはわざわざ書かなくても、だれにでも過去はあるのだが……。その自分の過去、自分の知っていることを、ことばのなかにある過去と重ねて動かし、ことばそのものになってしまうということかもしれない。
こういう詩の場合、してはいけないことがある。--これが、実は、きょうの「日記」のほんとうのテーマなのだが。
『正夢』というタイトルが象徴しているように、一海のことばは「夢」を描いている。「現実」ではなく、「夢」を描いている。ことばが「予定調和」としての「過去」をもって動くとき、それはまさくし「夢」になる。
「夢」がどっなに突飛であっても、どこかに自分自身の「過去」という根っこをもっていて、そこから動きはじめるようなものである。
その自然な動き、「予定調和」は、しかし、「論理」を持ち込むとくずれてしまう。「過去」は必要だが、「論理」は邪魔者である。「論理」というのは結局のところ「過去」のように「事実」ではなく、ほんらい「空想」に属するからである。「論理」というのものは、まだそこに実現していないものを実現させるための道具だからである。「論理」というのは「仮定」を推進するための文法なのである。
具体的に書いた方がわかりやすくなる。
「質問」という作品がある。1連目はとてもおもしろい。ところが2連目から突然つまらなくなる。
「もったとしたら」という「仮定」がことばを縛ってしまう。自律運動を、「仮定→証明」というベクトルをもった「論理」のなかにとじこめ、窮屈になる。「仮定」がことばを「論理」にしてしまうのだ。
もちろん「論理」にも「欲望」があるかもしれないのだが、それはそれでまた違った運動だろうなあ、と思う。一海がこの詩集で書いているような、素材を「現実」に求めて動く詩ではないと思う。
一海槙『正夢』は「腕」と「帰路」の2篇がとても印象に残った。どちらも何が書いてあるかわからない。わからないのだけれど、1行1行が安定している。
「腕」を引用してみる。
あれはたした八月だったのではないだろうか
叔父が別れのあいさつに来て
自分の腕をいっぽん
おせんべつに と 置いていったのは
すこし長すぎる とみんなは言ったが
叔父さんの気持ち だからと
白磁の壺にそっとななめに立てた
「八月」「別れ」「腕をいっぽん」「白磁の壺」が、戦争と、戦死を連想させる。戦争で叔父が死んだ。遺骨は、腕だけが帰って来た。しかし、それは「すこし長すぎる」というような印象を呼び起こすものだった。「叔父のものではないかもしれない」という気持ちは、叔父は生きているかもしれない、という祈りでもあるだろう。
こんなことは、もちろん私がかってに想像したことであって、その想像が正しいかどうかはまったくわからない。
これは逆にいうと、何が書いてあるかまったくわからなくても、ひとは勝手になにごとかを連想し、想像し、思い込むことができるということである。
このとき大切なのは(?)というか、そういう運動を引き起こすのは、ことばのもっている「来歴」だろう。「過去」だろう。
この「来歴」「過去」が、ことばの「安定感」の重要な要素なのだ。
「七月」でも「九月」でも、だめ。「四月」でもだめ。「十一月」ももちろん、「戦争」ということばと直結しない。「八月」だけが「戦争/終戦」と強烈に結びつき、そこへ連想をひっぱっていく。そこに「別れ」「腕いっぽん」「壺」と重なれば、どうしても「戦死」ということになるのだが、もし、「腕いっぽん」ではなく、「足いっぽん」だとどうなるだろうか。
とても違和感が残ると思う。「戦死」「遺骨」ということばが思い浮かぶかどうか、私にはわからない。「足いっぽん」の遺骨もあるはずなのだが、「足」だと歩けないから、ちょっとまずい。帰ってくる、そして去っていく--そいうときに「足」は必要である。だから「足」をせんべつにおいていくというのは不可能なのだ。そういう無意識の「論理(?)」というか、ことばの整合性のようなものが、この作品には働いている。
「すこし長すぎる とみんなは言ったが」の「みんな」もそういう「論理」にうまく合致している。母親とか父親とか、妻という具体的なだれかひとりではなく、「みんな」というあいまいさ、そして「合意」の感覚と、「すこし」という異議のあらわしかたが自然である。「すこし」は「みんな」によって「許容」されてしまう。ひとりが「長すぎる」と言い張ると、そこから議論がはじまってしまって、さわがしくなる。
さわがしくならないようなことばの運動--予定調和のなかで、この作品のことばは動いている。「安定感」は「予定調和」ということでもある。
梅雨には腐らないようになるべく日にあて
真夏は日焼けをさけてすずしい軒下に休ませ
秋がくると舞い散る銀杏のそばで憩わせた
みんな叔父の腕をたいせつに たいせつに
わすれることなくいとおしんだ
梅雨-ものが腐りやすい、真夏-すずしい軒下で休む、秋-銀杏が散る。この組み合わせは「予定調和」以外のなにものでもない。
ふつう、こういう「予定調和」は作品を退屈にさせるのだが、「腕」という作品は「リアル」ではない。「写実」ではない。だから、「予定調和」であっても退屈にならない。きっと「幻想」というか、でたらめ(?)の暴走にブレーキをかけ、その速度を適度にする効果が、ことば自身のもっている「過去」のなかにあるのだろう。「過去」が「予定調和」として働けば、その「速度」を信頼してしまうということなのかもしれない。
そうして、いったん「予定調和」で安心させておいてから、一海はことばう少し飛躍させる。
3連目。
真冬の明け方には凍らないよう布団の中へ
あたたまると腕はゆっくりと指をのばす
そしてだれかの体にそっとさわるのだった
こんなことは現実にはありえない。ありえないけれど、信じてみたい気持ちになる。そして、それを信じるとき、実は、読者は(私は)、「腕」の「欲望」を生きてはいない。「腕」が「だれか」の体にさわるのではない。だれかが「腕」にさわり、さわることをとおして逆にさわられることを夢見るのだ。
ひとは、現実を正しく理解するのではなく、いつでも自分の欲望で現実を歪めて理解するものなのだ。体から離れてしまった腕は動かない。けれど、その腕にさわるとき、さわったひとは「腕」の「意思」を感じ、「腕」が「私」になって、かってに動いていく。暴走する。
これは、そして--現実ではなく、ことばのなかに起きることである。
ちょっと飛躍しすぎた。
一海が書いているのは「現実」ではない。「事実」ではない。ことばである。ことばで語りうることを書いている。ことばは、一海が書いているように、現実にはありえないことを書くこともできる。
そして、その現実にはありえないことを書いたことばをとおして、--ことばを「誤読」して、ひとはさらに自分でことばを動かしていくことができる。「腕がある」、冬はこごえてかじかむが、腕というものはあたためると動くものである。かじかんでいた指がほどけて、ゆっくり動く。動く指は、だれかにさわりたい。体から切り離された腕はそんなことを思うはずはないのだが、読んだ読者(私?)は、そう思うことができる。
これは変なことであるが、ことばの世界なのだから、変であってもかまわないだろうと思う。
で、こういうとき、先に書いた「ことばの来歴/過去」と重なるようにして、人間の「来歴/過去」というものがあるということがわかる。こんなことはわざわざ書かなくても、だれにでも過去はあるのだが……。その自分の過去、自分の知っていることを、ことばのなかにある過去と重ねて動かし、ことばそのものになってしまうということかもしれない。
こういう詩の場合、してはいけないことがある。--これが、実は、きょうの「日記」のほんとうのテーマなのだが。
『正夢』というタイトルが象徴しているように、一海のことばは「夢」を描いている。「現実」ではなく、「夢」を描いている。ことばが「予定調和」としての「過去」をもって動くとき、それはまさくし「夢」になる。
「夢」がどっなに突飛であっても、どこかに自分自身の「過去」という根っこをもっていて、そこから動きはじめるようなものである。
その自然な動き、「予定調和」は、しかし、「論理」を持ち込むとくずれてしまう。「過去」は必要だが、「論理」は邪魔者である。「論理」というのは結局のところ「過去」のように「事実」ではなく、ほんらい「空想」に属するからである。「論理」というのものは、まだそこに実現していないものを実現させるための道具だからである。「論理」というのは「仮定」を推進するための文法なのである。
具体的に書いた方がわかりやすくなる。
「質問」という作品がある。1連目はとてもおもしろい。ところが2連目から突然つまらなくなる。
甘い蜜になってとろとろ
流れ出したい
それをだれかにせきとめてもらって
ゆっくりと口をつけて
なめてもらいたい
そういう願いを
もったとしたら
永遠にきみは
休むことができない
そのことにとらわれて
人生そのものも深く
さしだしてしまうんだ
「もったとしたら」という「仮定」がことばを縛ってしまう。自律運動を、「仮定→証明」というベクトルをもった「論理」のなかにとじこめ、窮屈になる。「仮定」がことばを「論理」にしてしまうのだ。
もちろん「論理」にも「欲望」があるかもしれないのだが、それはそれでまた違った運動だろうなあ、と思う。一海がこの詩集で書いているような、素材を「現実」に求めて動く詩ではないと思う。
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