小林稔『遠い岬』(以心社、2011年10月20日発行)
小林稔にはいくつかの種類の詩がある。小林自身もそのことを自覚しているのだろう、この詩集は5つのパートに分かれている。しかし、そこには同じものも通っている。ひとりの詩人が書いているのだから、あたりまえといえばあたりまえだけれど。
「時の形相」とぱいどろす」を並べて読んでみるとおもしろい。
「少年」が出てくる。その少年は実在なのか、それとも記憶なのか。たぶん記憶だろう。そして、少年が記憶であるとき、少年は詩人そのものでもある。自分を見ているのである。そこに一種の「理想」のようなものが入っているかもしれない。少年だけがもつ「理想」、つまりもうそれを失ってしまった男が、かつてそういうものがあったと美化する視線がそこに働いているかもしれない。余剰をそぎ落とし、足りないものをつけくわえる「画家」の視線のようなものが。
「画家」と思わず書いてしまったが、小林のことばには、とても視覚的なところがある。「時の形相」には「眺めている」という直接的なことばも出てくる。だが、それだけでは、たぶん「視覚的」とは思わないかもしれない。小林のことばを視覚的にしているのは「烟(けぶ)る」「薄暗い」「窓越し」というような、視覚を邪魔するものである。あらゆる感覚は邪魔されて、妨害されて、抵抗にあって、より強くなるということかもしれない。
疎外するもののなかで、鍛えられ強靱さを目指すというのは、小林のことば全体の特徴なのだが--そのことを思うと、小林は、ここではほんとうに少年が雨の畦道を歩いているのを見ているのか、それとも雨は降ってはいないけれどあえてことばのなかで雨をふらせているのか、はっきりしない。--と書きながら、私は、小林は、降ってもいない雨を降らせて少年を歩かせているのだと信じている。「記憶」「追憶」だから、ほんとうに雨が降っているかどうかは問題ではないのだ。
なぜなら。
と、ちょっと飛躍しよう。
なぜなら、「追憶」「記憶」のなかには、「時差」がない。雨が降っている「時」と雨が降っていない「時」の差がない。雨が降っていなくても、そこに雨が降っている「時」を重ねて思い出すことができる。1960年04月20日に晴れていたと仮定する。その晴れた日の畦道を少年が歩いている。その姿に詩人は1960年04月19日の雨を重ねて思い出すことができる。思い起こすときが、それぞれの「いま」であり、「いま」のなかに「時差」などないのだ。
「想起」と言えばいいのだろうか。この「想起」なのかで、小林は自在にことばを動かしている。ほんとうかけ離れている存在が「想起」という行為のなかで(精神の運動のなかで)、「時差」をなくす。想起するとき、あらゆる瞬間が「いま」であり、「過去」と「いま」はぴったり重なってしまう。
こういうことは「時」だけではなく、「場」でも起きる。
「時の形相」は「日本」を感じさせる風景である。「ぱいどろす」も、まあ、「日本」の風景といえるのだけれど、そこには「日本」ではない場所、その空気が想定されていて、「思うこと」の力が「ぱいどろす」の方ではより強く働いていて、風景を「日本」でありながら「日本」とは違う感じにもしている。
「想起」とは、「いま/ここ」でありながら、「いま/ここではない」世界なのである。「いま/ここ」と「いま/ここではない」世界が重なり合い、その瞬間に、ことばが「中立」になる。「自由」になる。「いま/ここ」「いま/ここではない」にとらわれずに動き回る。
私のことばはだんだん暴走が激しくなって、小林の詩から離れて行っているようだが、そうとばかりは言えないかもしれない。具体的に説明するのはめんどうくさいが、小林のことばはいつでも「想起」をめぐって動いている。「おもいおこす」。そのとき、「現実(いま/ここ)」が洗い清められる。そして「いま/ここ」から「いま/ここではない」ものが噴出してくる。「いま/ここではない」ものが噴出してくるために「いま/ここ」がある。
このときの「いま/ここ」を畦道の雨、あるいは薄暗い部屋と思い、「いま/ここではない」を「少年のきみ」と思えば、私の書いていることが小林の世界に近づくだろう。それは切り離せない。「いま/ここ」と「いま/ここではない」は出会うことが「運命」なのだ。そして、その出会いなのかで、「いま/ここ」が変化していく。
この「変化」を「哲学」と定義してみると、また、別の角度から小林に近づけると思うけれど--これも、ちょっとていねいにことばにするには面倒くさい。だから思いついたふりをして「メモ」の形で残しておくことにする。
「いま/ここ」と「いま/ここではない」が出会ったとき、何が起こるか。「時の形相」を例に少しだけ考えてみる。ことばを動かしてみる。
私は小林のことばの運動を「視覚的」と書いてきた。その「視覚的」が変わる。「肉体」が変わる。豊かになる。
眺める(視覚)から、雨音/聴こえるという聴覚へ。さらに滲む入る(滲み入る)/体温ということばのまわりに動く皮膚感覚(触覚)へ。
それから小林特有の「離れて/熱く」という非接触の反応。そのまえに、「気化」という小林にとってはなくてはならない一種の「飛翔」につながることばがある。
存在が出会うとき、小林の場合、まず視覚から入っていくのだが、それが身体のなかで聴覚や触覚と融合しながら、存在を「固形物」ではなく「気体」のようなもの、形がなく、しかし、それ自体の「要素(分子?)」は維持したものに変化し、自在に変形する。大昔の「哲学用語」でいうと「エーテル」かなにか、そういうものになる。それは、いわば「私(小林)」と「存在(もの)」の間にあって、間そのものを構成する。その「間」のなかで小林は変身するのだが--この感覚を「離れて私は胸の芯部を熱くする」というところが、なかなかおもしろい。
「間」は「胸」の内と離れたまま重なり合い反応する。この「胸」は「頭」といいかえても同じである。「ことば」と言い換えても同じである。何かと出会い、ことばが変化していく。何かの「重要な要素」を発見し、その発見によってことばがいままでとは違った次元へ動いていく。そして、詩になる--ということなのだろう。
この変化を、とてもすっきりした「散文体」というのだろうか、主語、述語の関係が明確な文体で小林は書き留める。その主語、述語の関係の明確さは「翻訳体」に近い。小林が日本語を外国語の文体で洗い直して鍛えている。--これも、時間をかけて書きたいことなのだが、今回は「メモ」に留めておく。
小林稔にはいくつかの種類の詩がある。小林自身もそのことを自覚しているのだろう、この詩集は5つのパートに分かれている。しかし、そこには同じものも通っている。ひとりの詩人が書いているのだから、あたりまえといえばあたりまえだけれど。
「時の形相」とぱいどろす」を並べて読んでみるとおもしろい。
雨に烟(けぶ)る田園の蛇行する畦道を
傘も持たずに少年のきみが歩いている
私は薄暗い部屋の窓越しに眺めているが
瓦を打つ雨音がどこか頼りなく聴こえ
身体に滲む入る雨水を気化させるきみの体温に
これほど離れて私は胸の芯部を熱くする 「時の形相」
女は男にとって休息の船着場ならば
少年はくめどもつきせない追憶の泉であろう
山道を散策すると岩清水があふれ出ている
立ち止まりふり返ると枝が左右に重なり合った道がある
先ほどひとりの少年とすれ違ったように思った
男は忘れ物をしたように思い足を止め踝を返す
すると岩清水に続く道が葉陰に消えている
私もその水に唇を濡らしてみたが
甘美な味に酔いしれ船着場への道を忘れてしまった 「ぱいどろす」
「少年」が出てくる。その少年は実在なのか、それとも記憶なのか。たぶん記憶だろう。そして、少年が記憶であるとき、少年は詩人そのものでもある。自分を見ているのである。そこに一種の「理想」のようなものが入っているかもしれない。少年だけがもつ「理想」、つまりもうそれを失ってしまった男が、かつてそういうものがあったと美化する視線がそこに働いているかもしれない。余剰をそぎ落とし、足りないものをつけくわえる「画家」の視線のようなものが。
「画家」と思わず書いてしまったが、小林のことばには、とても視覚的なところがある。「時の形相」には「眺めている」という直接的なことばも出てくる。だが、それだけでは、たぶん「視覚的」とは思わないかもしれない。小林のことばを視覚的にしているのは「烟(けぶ)る」「薄暗い」「窓越し」というような、視覚を邪魔するものである。あらゆる感覚は邪魔されて、妨害されて、抵抗にあって、より強くなるということかもしれない。
疎外するもののなかで、鍛えられ強靱さを目指すというのは、小林のことば全体の特徴なのだが--そのことを思うと、小林は、ここではほんとうに少年が雨の畦道を歩いているのを見ているのか、それとも雨は降ってはいないけれどあえてことばのなかで雨をふらせているのか、はっきりしない。--と書きながら、私は、小林は、降ってもいない雨を降らせて少年を歩かせているのだと信じている。「記憶」「追憶」だから、ほんとうに雨が降っているかどうかは問題ではないのだ。
なぜなら。
と、ちょっと飛躍しよう。
なぜなら、「追憶」「記憶」のなかには、「時差」がない。雨が降っている「時」と雨が降っていない「時」の差がない。雨が降っていなくても、そこに雨が降っている「時」を重ねて思い出すことができる。1960年04月20日に晴れていたと仮定する。その晴れた日の畦道を少年が歩いている。その姿に詩人は1960年04月19日の雨を重ねて思い出すことができる。思い起こすときが、それぞれの「いま」であり、「いま」のなかに「時差」などないのだ。
「想起」と言えばいいのだろうか。この「想起」なのかで、小林は自在にことばを動かしている。ほんとうかけ離れている存在が「想起」という行為のなかで(精神の運動のなかで)、「時差」をなくす。想起するとき、あらゆる瞬間が「いま」であり、「過去」と「いま」はぴったり重なってしまう。
こういうことは「時」だけではなく、「場」でも起きる。
「時の形相」は「日本」を感じさせる風景である。「ぱいどろす」も、まあ、「日本」の風景といえるのだけれど、そこには「日本」ではない場所、その空気が想定されていて、「思うこと」の力が「ぱいどろす」の方ではより強く働いていて、風景を「日本」でありながら「日本」とは違う感じにもしている。
「想起」とは、「いま/ここ」でありながら、「いま/ここではない」世界なのである。「いま/ここ」と「いま/ここではない」世界が重なり合い、その瞬間に、ことばが「中立」になる。「自由」になる。「いま/ここ」「いま/ここではない」にとらわれずに動き回る。
私のことばはだんだん暴走が激しくなって、小林の詩から離れて行っているようだが、そうとばかりは言えないかもしれない。具体的に説明するのはめんどうくさいが、小林のことばはいつでも「想起」をめぐって動いている。「おもいおこす」。そのとき、「現実(いま/ここ)」が洗い清められる。そして「いま/ここ」から「いま/ここではない」ものが噴出してくる。「いま/ここではない」ものが噴出してくるために「いま/ここ」がある。
このときの「いま/ここ」を畦道の雨、あるいは薄暗い部屋と思い、「いま/ここではない」を「少年のきみ」と思えば、私の書いていることが小林の世界に近づくだろう。それは切り離せない。「いま/ここ」と「いま/ここではない」は出会うことが「運命」なのだ。そして、その出会いなのかで、「いま/ここ」が変化していく。
この「変化」を「哲学」と定義してみると、また、別の角度から小林に近づけると思うけれど--これも、ちょっとていねいにことばにするには面倒くさい。だから思いついたふりをして「メモ」の形で残しておくことにする。
「いま/ここ」と「いま/ここではない」が出会ったとき、何が起こるか。「時の形相」を例に少しだけ考えてみる。ことばを動かしてみる。
私は小林のことばの運動を「視覚的」と書いてきた。その「視覚的」が変わる。「肉体」が変わる。豊かになる。
瓦を打つ雨音がどこか頼りなく聴こえ
身体に滲む入る雨水を気化させるきみの体温に
これほど離れて私は胸の芯部を熱くする
眺める(視覚)から、雨音/聴こえるという聴覚へ。さらに滲む入る(滲み入る)/体温ということばのまわりに動く皮膚感覚(触覚)へ。
それから小林特有の「離れて/熱く」という非接触の反応。そのまえに、「気化」という小林にとってはなくてはならない一種の「飛翔」につながることばがある。
存在が出会うとき、小林の場合、まず視覚から入っていくのだが、それが身体のなかで聴覚や触覚と融合しながら、存在を「固形物」ではなく「気体」のようなもの、形がなく、しかし、それ自体の「要素(分子?)」は維持したものに変化し、自在に変形する。大昔の「哲学用語」でいうと「エーテル」かなにか、そういうものになる。それは、いわば「私(小林)」と「存在(もの)」の間にあって、間そのものを構成する。その「間」のなかで小林は変身するのだが--この感覚を「離れて私は胸の芯部を熱くする」というところが、なかなかおもしろい。
「間」は「胸」の内と離れたまま重なり合い反応する。この「胸」は「頭」といいかえても同じである。「ことば」と言い換えても同じである。何かと出会い、ことばが変化していく。何かの「重要な要素」を発見し、その発見によってことばがいままでとは違った次元へ動いていく。そして、詩になる--ということなのだろう。
この変化を、とてもすっきりした「散文体」というのだろうか、主語、述語の関係が明確な文体で小林は書き留める。その主語、述語の関係の明確さは「翻訳体」に近い。小林が日本語を外国語の文体で洗い直して鍛えている。--これも、時間をかけて書きたいことなのだが、今回は「メモ」に留めておく。
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