青山かつ子「別れ」(「repure」13、2011年10月15日発行)
青山かつ子「別れ」は東日本大震災の体験を書いている。大震災の直接の体験というより、間接的にかかわっていく--かかわらされてしまう体験を書いている。
叔母の死に出会い、叔母の思い出を書いている。そういう詩で、何か特別新しいところがある、というわけではないのだが、こころに残る。それは、書かれている内容、つまり、叔母がセーターを編んでくれたとか、そっと千円札をくれたとかという「あたたかさ」がていねいに書かれているからなのだが、それだけではない、と、ふと感じた。
最終連は、ほとんど漢字で書かれている。何か近寄りがたい強さがある。--そう思って詩の全体を見わたしたとき、1行目の「避難生活」という「熟語」も目に入ってきた。硬く冷たい漢字が、3、4連目の、あたたかさ、ひらがなのことばをはさんでいる--対比のような形で書かれていることに気がついた。
青山は意識して、漢字とひらがなをつかいわけているかどうか、よくわからさないが、つかいわけのなかに何かしら不思議な力が働いているように思う。
最初の3行、
これも、ただ事実だけを書いているように見えるけれど、「避難生活」「急死」という冷たいことばの間にはさまれている「よそったごはんがあたたかいまま」が、何といえばいいのだろう、肉体の内部にふっと入り込んできて、涙を誘う。「避難生活の疲れ」も「台所で」の「急死」も、私には「頭」でしか理解できないが「よそったごはんがあたたかいまま」は、そのまま私の日常につながっている。つながってくる。
大震災で避難しているひとたち。その日常は、私たちの日常とは少しもかわらない。その、あたりまえのことが、何か強く迫ってくる。ひらがなが、「肉体」をゆさぶる。「よそったご飯が温かいまま」と書いても意味は変わらないのだが、何かが違う。
そうした何かが、3連目の、
と、不思議な近さで響き合う。くらしにしっかりなじんだ「あたたかさ」、肉体をつつみこむ「あたたかさ」が、そこにある。
特に「なかなか使うことができなかった」の「なかなか」が、とてもいい。
ほかのことばで言い換えられない。そして、その「なかなか」を説明することばがない。--たのひとはどうか知らないが、私には、この「なかなか」を自分のことばでもう一度言いなおすことができない。「なかなか」の「意味」は知っているが、それは説明できない。「肉体」が覚えていることばであって、「頭」では言いなおせないのだ。
硬く冷たい漢字熟語とひらがな--その差異に感じていることは、たぶん「頭」と「肉体」のどちらが覚えているか、どちらで理解しているか、ということと関係しているのだと思う。
4連目のホームの向こうの「緑の松林と/真っ青な海がひろがっていた」の「ひろがっていた」は「肉体」が覚えている「ひろがり」である。「広がっていた」とは何かが違うものがある。くぎりのなさ。限界のなさ。永遠につながる「ひろがり」。
それは、5連目の「あの駅」の「あの」にはつながる。
「あの駅」の「あの」を漢字でどう書くかわからないけれど、ひらがなの「あの」がとても切実に、しかも強く「肉体」をつかまえにくる。
そして、「あの」駅が、
とはっきり漢字で書かれた瞬間、さらにそれが「原発警戒区域」という漢字と並べられて書かれた瞬間、「肉体」では近づけないものになる。
「肉体」では近づけないもの、なじめないもの。「ことば」ではなく、「文字」になってしまう。(と、書いてしまうと、また、ちがったことろへずれていくようだが……。)
青山が「ひらがな」と「漢字」をつかいわけて書いていることば--ここから、「肉体」と「頭」の分離(切り離し)がはじまり、そのどうすることもできない「間」で、絶望や悲しみが生まれているように思える。私は安易に、何も考えないままに、「絶望・悲しみ」ということばをつかってしまったが、何か、ここに、私たちのことばがしなければならない問題が動いているような気がする。
それをどうこうできるというのではないのだが……。
青山は、そのどうこうできないことと、しっかり向き合っている--それをひらがなと漢字の対比、表記の違いのなかに感じた。
この3行を、ひらがなの世界にときほぐす(?)までにはどれだけ時間がかかるかわからない。それができるまでは、これはこれで漢字のまましっかり記録しなければならないのだ、とも思った。
思い出(記憶)にしてしまうのではなく、記録にすることで、「肉体」は生き延びるのだ、というようなことばが、私のなかで、ふと動いた。
青山かつ子「別れ」は東日本大震災の体験を書いている。大震災の直接の体験というより、間接的にかかわっていく--かかわらされてしまう体験を書いている。
避難生活の疲れからか
よそったごはんがあたたかいまま
叔母は台所で急死した
(先だって
叔母の自慢の手料理を
味わったばかりだった…)
トウキョウへ行く日
駅で待っていた叔母は
一夜で仕上げたセーターを持たせてくれた
しのばせてあった千円札
それはお守りのようで
なかなか使うことができなかった
べそをかきながら
心配顔の叔母に手を振ったのは
半世紀まえ
ホームのむこうには
緑の松林と
真っ青な海がひろがっていた
あの駅は
常磐線富岡駅
原発警戒区域
津波で壊滅
叔母の死に出会い、叔母の思い出を書いている。そういう詩で、何か特別新しいところがある、というわけではないのだが、こころに残る。それは、書かれている内容、つまり、叔母がセーターを編んでくれたとか、そっと千円札をくれたとかという「あたたかさ」がていねいに書かれているからなのだが、それだけではない、と、ふと感じた。
最終連は、ほとんど漢字で書かれている。何か近寄りがたい強さがある。--そう思って詩の全体を見わたしたとき、1行目の「避難生活」という「熟語」も目に入ってきた。硬く冷たい漢字が、3、4連目の、あたたかさ、ひらがなのことばをはさんでいる--対比のような形で書かれていることに気がついた。
青山は意識して、漢字とひらがなをつかいわけているかどうか、よくわからさないが、つかいわけのなかに何かしら不思議な力が働いているように思う。
最初の3行、
避難生活の疲れからか
よそったごはんがあたたかいまま
叔母は台所で急死した
これも、ただ事実だけを書いているように見えるけれど、「避難生活」「急死」という冷たいことばの間にはさまれている「よそったごはんがあたたかいまま」が、何といえばいいのだろう、肉体の内部にふっと入り込んできて、涙を誘う。「避難生活の疲れ」も「台所で」の「急死」も、私には「頭」でしか理解できないが「よそったごはんがあたたかいまま」は、そのまま私の日常につながっている。つながってくる。
大震災で避難しているひとたち。その日常は、私たちの日常とは少しもかわらない。その、あたりまえのことが、何か強く迫ってくる。ひらがなが、「肉体」をゆさぶる。「よそったご飯が温かいまま」と書いても意味は変わらないのだが、何かが違う。
そうした何かが、3連目の、
しのばせてあった千円札
それはお守りのようで
なかなか使うことができなかった
と、不思議な近さで響き合う。くらしにしっかりなじんだ「あたたかさ」、肉体をつつみこむ「あたたかさ」が、そこにある。
特に「なかなか使うことができなかった」の「なかなか」が、とてもいい。
ほかのことばで言い換えられない。そして、その「なかなか」を説明することばがない。--たのひとはどうか知らないが、私には、この「なかなか」を自分のことばでもう一度言いなおすことができない。「なかなか」の「意味」は知っているが、それは説明できない。「肉体」が覚えていることばであって、「頭」では言いなおせないのだ。
硬く冷たい漢字熟語とひらがな--その差異に感じていることは、たぶん「頭」と「肉体」のどちらが覚えているか、どちらで理解しているか、ということと関係しているのだと思う。
4連目のホームの向こうの「緑の松林と/真っ青な海がひろがっていた」の「ひろがっていた」は「肉体」が覚えている「ひろがり」である。「広がっていた」とは何かが違うものがある。くぎりのなさ。限界のなさ。永遠につながる「ひろがり」。
それは、5連目の「あの駅」の「あの」にはつながる。
「あの駅」の「あの」を漢字でどう書くかわからないけれど、ひらがなの「あの」がとても切実に、しかも強く「肉体」をつかまえにくる。
そして、「あの」駅が、
常磐線豊岡駅
とはっきり漢字で書かれた瞬間、さらにそれが「原発警戒区域」という漢字と並べられて書かれた瞬間、「肉体」では近づけないものになる。
「肉体」では近づけないもの、なじめないもの。「ことば」ではなく、「文字」になってしまう。(と、書いてしまうと、また、ちがったことろへずれていくようだが……。)
青山が「ひらがな」と「漢字」をつかいわけて書いていることば--ここから、「肉体」と「頭」の分離(切り離し)がはじまり、そのどうすることもできない「間」で、絶望や悲しみが生まれているように思える。私は安易に、何も考えないままに、「絶望・悲しみ」ということばをつかってしまったが、何か、ここに、私たちのことばがしなければならない問題が動いているような気がする。
それをどうこうできるというのではないのだが……。
青山は、そのどうこうできないことと、しっかり向き合っている--それをひらがなと漢字の対比、表記の違いのなかに感じた。
常磐線富岡駅
原発警戒区域
津波で壊滅
この3行を、ひらがなの世界にときほぐす(?)までにはどれだけ時間がかかるかわからない。それができるまでは、これはこれで漢字のまましっかり記録しなければならないのだ、とも思った。
思い出(記憶)にしてしまうのではなく、記録にすることで、「肉体」は生き延びるのだ、というようなことばが、私のなかで、ふと動いた。
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