杉谷昭人『農場』(鉱脈社、2013年09月30日発行)
杉谷昭人『農場』の「農場」とは宮崎県の肉牛飼育農家の農場のことである。口蹄疫が発生し、30万頭の牛や豚が殺処分された。その結果、多くの農家が廃業に追い込まれるということがあった。2010年のことである。その翌年、2011年には東日本大震災が起きた。そういう状況を背景にして書かれている。
詩の成立の過程はわかるのだが、私には前半におさめられた「農場」は、私にはよくわからなかった。詩を感じなかった。
詩の何がわからないかというと--杉谷が見えてこない。杉谷はどこにいるのだろうか。牛と杉谷がどういう関係を生きているのか、さっぱりわからない。杉谷が牛を育てていないとしたら、たとえば牛の飼育農家とどういう関係にあるのだろうか。同じ宮崎県に住んでいるということではなくて、そこに住むことによって農家の人とどういうやりとりがあり、それが杉谷にどう影響したのか、それがわからない。新聞の記事を読んでいるのとかわらない。
穴のなかに投げ込んだ豚、死んだはずの豚がこどもを産んでいた--という感動的な事実を書いている部分でも同じである。
「ミサコ」は豚の名前だろう。一頭一頭に名前をつけ、「家族」としていっしょに生きてきた--そのことが男を動かす。それはわかるが、杉谷はどこにいるのだろう。その現場を見ていたのか。その話を聞いたのか。獣医の手の動きは杉谷が見たのか。それとも想像したのか。--衝撃的なことを書いてあるのだが、どうもピンと来ない。
私は(私がこどものとき飼っていた牛や豚は)こういうことを経験していないので、私は杉谷が書いていることを「肉体」のなかから思い出すことはできないのだが、それにしても、ぜんぜん重なり合わない。その、私の知っている牛や豚、さらには牛や豚を飼っていたときのことと何も重ならないのが、奇妙に感じる。
私が口蹄疫の「現場」を見ていないからだ--と言われればそれまでだが。
口蹄疫、東日本大震災のことを書いた詩では「短い手紙」が、私の「肉体」にふれあった。
なぜ、この詩が私の「肉体」に迫ってくるかといえば、「分かった」と「説明できない」ということばのなかに、不思議な「矛盾」があるからだ。
「分かった」は「説明ができる」である。「津波のせい」「放射能のせい」と「原因」が明確なとき、つまり原因-結果という因果関係が「説明できる」とき、それを杉谷は「分かる」と定義している。
一方詩が書けなくなった理由の「説明できない」はどうか。これだって、「大震災で受けた衝撃のせい」といってしまえばそれで説明になるのだけれど、そしてそれが「原因」であると杉谷には「分かっている」のだけれど、「分かった」と言い切りたくない。簡単にかたづけたくない思いがあって、それが「説明できない」になっている。
ここに、詩を書く、ことばにかかわる杉谷が噴出してきている。杉谷が見える。だから、引きつけられるのである。
ここに書かれていることは、すこし理路整然としすぎている。「頭」で整理されすぎていて、いくぶん杉谷が見えなくなる。杉谷を見ているというよりも、ことばと想像力の関係に関する講義を聞いているような気分になるけれど、「体験を個別に表現する」ために、ことばが何をつかんでくればいいのかわからず、戸惑っている--その感じと、「詩を書く」という杉谷自身の「体験(肉体)」を重ねていることが「わかる」。
実際に仙台の詩人におきたことと杉谷が重ねようとしている「肉体」が正確に重なるわけではないだろうけれど、重ねようとしている、理解しようとしているという「動き」がわかる。つたわってくる。「説明できない」けれど、それは「わかる」。「わかる」のに「説明できない」から、それをなんとかつかみ取りたいという気持ちが生まれていること、そういう気持ちが動いていることが「わかる」。
これは「肉体」の反応。ことばにならない、ことば以前の反応である。
で、このあと、この詩はとってもおもしろい4行を抱え込む。
あ、「なま」の杉谷が突然露呈している。そうか、ビール一杯で妻といさかいをし、しかも言いくるめられて二杯目が飲めなかったのか。こういうことは大震災とは関係がない。関係がないけれど、それが杉谷の「いま/ここ」であり、そういうときもことばは動く。しかも、そこには「説明できない」(だから、言いくるめられてしまった)ことが「ある」。
ここをもっともっと書き込んでいけば、どこかで大震災でことばを失った詩人のiPS細胞のようなものに触れることができるのになあ、と思う。
大きな衝撃でひとはことばを失う。また小さなことがらでもひとはことばを失う。そのことばを失うということのなかに、何か大きい、小さいという「区別」の入り込む以前の何かがある。--それを探しに行けるのになあ、と思う。
それを探しにゆかずに、杉谷は次のように「説明」してしまう。
「世界の全体と見事な均衡を保っている」って、杉谷は「肉体」のどの部分で感じたのだろう。「頭」で整理したことを「感じた」と勘違いしていないだろうか。
こういう作品ではなく、私は「分校跡・八月」のような作品を、杉谷のことばを読みたい。
あ、「ブランコの柱についたこどもたちの手の汗の跡を」「描きそえ」るのは向井潤吉ではない。それは杉谷自身だ。ことばのなかで向井潤吉と杉谷が融合し、ひとりになって、ことばを動かしている。ことばが動いている。ブランコの柱にこどもの手の汗の跡を見る目、そしてそれを描く手--その「肉体」が重なるその瞬間、小さなものにいのちを感じる「思想」がひとつになる。
ここに、詩、がある。
杉谷昭人『農場』の「農場」とは宮崎県の肉牛飼育農家の農場のことである。口蹄疫が発生し、30万頭の牛や豚が殺処分された。その結果、多くの農家が廃業に追い込まれるということがあった。2010年のことである。その翌年、2011年には東日本大震災が起きた。そういう状況を背景にして書かれている。
詩の成立の過程はわかるのだが、私には前半におさめられた「農場」は、私にはよくわからなかった。詩を感じなかった。
大型の家畜運搬用トラックがやってきて
農場のいちばん奥に掘られた長さ三十メートルの穴の
その脇に止まったトラックの荷台は
固いビニールシートで覆われていて
やがてにぶい音とともにガスが打ちこまれた
濃い空色の防護服の獣医が空を仰いで
トラック全体が十数秒だけ大きく揺れた
それからながい沈黙がきた
詩の何がわからないかというと--杉谷が見えてこない。杉谷はどこにいるのだろうか。牛と杉谷がどういう関係を生きているのか、さっぱりわからない。杉谷が牛を育てていないとしたら、たとえば牛の飼育農家とどういう関係にあるのだろうか。同じ宮崎県に住んでいるということではなくて、そこに住むことによって農家の人とどういうやりとりがあり、それが杉谷にどう影響したのか、それがわからない。新聞の記事を読んでいるのとかわらない。
穴のなかに投げ込んだ豚、死んだはずの豚がこどもを産んでいた--という感動的な事実を書いている部分でも同じである。
死んだはずの母豚がこどもを産んでいた
折り重なった豚の死骸の山の一角が揺れて
子豚が一頭、二頭と、ゆっくり生まれてきたのだ
作業をしていた農夫たちがそろって「おお」と声をあげ
獣医の手がメスを探るようにぴくりと動いた
ひとりの男が「ミサコ」と声をあげて穴に飛び込もうとして
まわりがあわてて男を抱きとめていた
「ミサコ」は豚の名前だろう。一頭一頭に名前をつけ、「家族」としていっしょに生きてきた--そのことが男を動かす。それはわかるが、杉谷はどこにいるのだろう。その現場を見ていたのか。その話を聞いたのか。獣医の手の動きは杉谷が見たのか。それとも想像したのか。--衝撃的なことを書いてあるのだが、どうもピンと来ない。
私は(私がこどものとき飼っていた牛や豚は)こういうことを経験していないので、私は杉谷が書いていることを「肉体」のなかから思い出すことはできないのだが、それにしても、ぜんぜん重なり合わない。その、私の知っている牛や豚、さらには牛や豚を飼っていたときのことと何も重ならないのが、奇妙に感じる。
私が口蹄疫の「現場」を見ていないからだ--と言われればそれまでだが。
口蹄疫、東日本大震災のことを書いた詩では「短い手紙」が、私の「肉体」にふれあった。
昨年は東北地方の友人からいろいろな手紙がきた
釜石からは虎の子の漁船一隻を流されたと
相馬からは二十頭の牛を捨てて避難したと
仙台の詩人からは詩が書けなくなってしまったと
どれもみな短い手紙だった
一通目は津波で 二通目は原発の放射能のせいだ
とはすぐに分かったが
三通目だけはなかなかうまく説明できない
なぜ、この詩が私の「肉体」に迫ってくるかといえば、「分かった」と「説明できない」ということばのなかに、不思議な「矛盾」があるからだ。
「分かった」は「説明ができる」である。「津波のせい」「放射能のせい」と「原因」が明確なとき、つまり原因-結果という因果関係が「説明できる」とき、それを杉谷は「分かる」と定義している。
一方詩が書けなくなった理由の「説明できない」はどうか。これだって、「大震災で受けた衝撃のせい」といってしまえばそれで説明になるのだけれど、そしてそれが「原因」であると杉谷には「分かっている」のだけれど、「分かった」と言い切りたくない。簡単にかたづけたくない思いがあって、それが「説明できない」になっている。
ここに、詩を書く、ことばにかかわる杉谷が噴出してきている。杉谷が見える。だから、引きつけられるのである。
私たちは何かを失うと同時に言葉を失う
何千人何万人が一度に津波に流されるという
理不尽な出来事に遭遇したとき
その体験を個別に表現する想像力を奪われてしまう
ここに書かれていることは、すこし理路整然としすぎている。「頭」で整理されすぎていて、いくぶん杉谷が見えなくなる。杉谷を見ているというよりも、ことばと想像力の関係に関する講義を聞いているような気分になるけれど、「体験を個別に表現する」ために、ことばが何をつかんでくればいいのかわからず、戸惑っている--その感じと、「詩を書く」という杉谷自身の「体験(肉体)」を重ねていることが「わかる」。
実際に仙台の詩人におきたことと杉谷が重ねようとしている「肉体」が正確に重なるわけではないだろうけれど、重ねようとしている、理解しようとしているという「動き」がわかる。つたわってくる。「説明できない」けれど、それは「わかる」。「わかる」のに「説明できない」から、それをなんとかつかみ取りたいという気持ちが生まれていること、そういう気持ちが動いていることが「わかる」。
これは「肉体」の反応。ことばにならない、ことば以前の反応である。
で、このあと、この詩はとってもおもしろい4行を抱え込む。
たまのビール一杯のことで妻と小さくいさかい
それが自分の節操のすべてのようにこだわり
妻にうまく言いくるめられて口をつぐむ
手紙をくれた友人の苦しみなどまるで忘れてしまう
あ、「なま」の杉谷が突然露呈している。そうか、ビール一杯で妻といさかいをし、しかも言いくるめられて二杯目が飲めなかったのか。こういうことは大震災とは関係がない。関係がないけれど、それが杉谷の「いま/ここ」であり、そういうときもことばは動く。しかも、そこには「説明できない」(だから、言いくるめられてしまった)ことが「ある」。
ここをもっともっと書き込んでいけば、どこかで大震災でことばを失った詩人のiPS細胞のようなものに触れることができるのになあ、と思う。
大きな衝撃でひとはことばを失う。また小さなことがらでもひとはことばを失う。そのことばを失うということのなかに、何か大きい、小さいという「区別」の入り込む以前の何かがある。--それを探しに行けるのになあ、と思う。
それを探しにゆかずに、杉谷は次のように「説明」してしまう。
あの年の三月十一日以降は変わったのだと信じよう
一通の短い手紙 波に消えた漁船 すべての沈黙
妻の手のあかぎれ 私たちの平凡な一日一日
みな世界の全体と見事な均衡を保っているのだと
「世界の全体と見事な均衡を保っている」って、杉谷は「肉体」のどの部分で感じたのだろう。「頭」で整理したことを「感じた」と勘違いしていないだろうか。
こういう作品ではなく、私は「分校跡・八月」のような作品を、杉谷のことばを読みたい。
向井潤吉がこの分校跡を尋ねていたら
八月の光が山の斜面を駆け下ってきて
校庭の銀杏の葉に青く染み入っていくその瞬間を
寸分の狂いもなく描き取っていただろう
いまは芝だけがわずかに残る校庭の
ブランコの柱についたこどもたちの手の汗の跡を
そっと一筆描きそえていただろう
あ、「ブランコの柱についたこどもたちの手の汗の跡を」「描きそえ」るのは向井潤吉ではない。それは杉谷自身だ。ことばのなかで向井潤吉と杉谷が融合し、ひとりになって、ことばを動かしている。ことばが動いている。ブランコの柱にこどもの手の汗の跡を見る目、そしてそれを描く手--その「肉体」が重なるその瞬間、小さなものにいのちを感じる「思想」がひとつになる。
ここに、詩、がある。
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