北川透『現代詩論集成1』(3)(思潮社、2014年09月05日発行)
Ⅱ「荒地」論 戦後詩の生成と変容
二 「荒地」の文明批評的な性格をめぐって
北川は「荒地」の理念化を「詩の文明批評論的主張」と定義している。(74ページ)。そのうえで鮎川信夫の「Xへの献辞」を取り上げ、書いている。
ここに、私はいちばん衝撃を受けた。
北川の書いていることとは直接関係がないのだけれど、「荒地」の詩人のことばを読んで私が感じたのはことばが「日本くさくない」ということだった。このとき私が「日本くさい」と感じていたのは、たとえば三好達治や島崎藤村などの詩人のことばのリズムのことである。そういうものからは遠い。翻訳っぽい。しかも、それは「理屈」っぽい、いいかえると「精神」っぽい。「知的」という言い方もできるかもしれない。--これは、私が「荒地」を読んだ20代の初めの頃の印象である。
で、そのことと、北川の次の指摘が、私の中では不思議に交差する。
詩は「意味」(理念)ではなく、まず、そこにあることばが呼び起こす何か、ことばの喚起力から生まれてくる。
ひらがなではなく、リズムのよい(歯切れのよい)漢字が次々に呼び掛け合うようにしてイメージを広げていく。それに私はひかれた。そして、そのいままで見たことのない漢語の運動を知的・精神的と感じた。
そのとき私は北川の書いている「意味」とは違うのだけれど、「この日本とは何か」ということをすっかり忘れていた。そんなことなど考えなかった。「この日本とは何か」ということを考えない部分で、私は「荒地」と「表層的」に出合っていた。
そんなことを思い出した。
このとき、私は、北川が指摘していることとはズレるのだけれど、「この日本とは何かというまなざし」(いま、ここ、あるいはいまここを支える過去をみつめること)を完全に忘れていた。
言い換えると。
「荒地」の詩人たちが欠く過激なことば、そのことばの組み合わせを私は知らなかった。また、こんな過激なことばが現実にひしめいている、とも知らなかった。びっくりしながら、私は、この過激なことばの奔流をみつめることが「現代」をみつめること、現代を考えること、瞬時に思い込んでしまった。
私は「詩学」に投稿することから詩を書きはじめたのだが、最初に投稿した作品に、飯島耕一は「トンボもセミもいる詩だね」云々といった。私は実際にトンボもセミもいる田舎にいて詩を書いていたので、仰天してしまった。そうか、そういうものは「現代詩」ではなくて、「荒地」のように書かないと「現代詩」ではないのだな、と思った。
自分のいる「暮らし」をみつめることを忘れ、過激な漢字熟語の向こう側に「現代詩」があると、単純に信じ込んだ。
「荒地」の「文明批評」という視点は、そのころの私にはとうてい思いもつかない視点で、ただ過激なことばのかっこよさに魅了されていた。「いま/ここ」を忘れて、「荒地」のことば見て、それを模倣していた。模倣というより、盗作していた。そして、ますます「この日本とは何かというまなざし」(いま、ここをみつめること)を忘れてしまうのだが、そういうことを誘発することばの力が詩なのだな、といまでも思う。
自分の生活(世界)を確認するというよりも、自分の知らない世界を、まず「ことば」で見てしまう--それが詩なのだと思う。そういうことを教えてくれたのが、私にとっての「荒地」だったなあ、と思う。
私の書いていることは、「北川透の批評」に対する批評でもなんでもない。北川透の批評をどういうものであると分析する(意味を理解する)というものでもない。ただ、北川透を読みながら、ふと浮かんできたことを書いている。
書きつづけている内に、何か「批評」めいたことに辿り着くかもしれないが、私は、それをめざしていない。ただ、読んで、何を思ったか、何を思い出したか、そういうことだけをだらだらと書いてみたいと思っている。
Ⅱ「荒地」論 戦後詩の生成と変容
二 「荒地」の文明批評的な性格をめぐって
北川は「荒地」の理念化を「詩の文明批評論的主張」と定義している。(74ページ)。そのうえで鮎川信夫の「Xへの献辞」を取り上げ、書いている。
ここには、「荒地」の詩人たちの多くを戦場に拉致せしめ、また、同時代の親しい者たちを死に至らしめ、国土を荒廃せしめた、この日本とは何かというまなざしがみごとなほど欠けていたのである。(82ページ)
ここに、私はいちばん衝撃を受けた。
北川の書いていることとは直接関係がないのだけれど、「荒地」の詩人のことばを読んで私が感じたのはことばが「日本くさくない」ということだった。このとき私が「日本くさい」と感じていたのは、たとえば三好達治や島崎藤村などの詩人のことばのリズムのことである。そういうものからは遠い。翻訳っぽい。しかも、それは「理屈」っぽい、いいかえると「精神」っぽい。「知的」という言い方もできるかもしれない。--これは、私が「荒地」を読んだ20代の初めの頃の印象である。
で、そのことと、北川の次の指摘が、私の中では不思議に交差する。
(レトリックのレベルの問題)それに限って見るなら、この<滅び><絶望><疲労><汚辱><黄昏><死の滴り><腸><黒い蝙蝠傘><死滅>というような語彙が、「荒地」の修辞的共同性を形づくっていたことは明らかだろう。それらに更に<屈辱><残酷><墓地><孤独><灰塵><飢餓><不眠><文明>というような語をつけ加えてもよい。それらの特色を一言でいえば、あの《破滅的要素に浸れ、それが唯一の道である》というスペンダーのことばの実感となろうか。(84ページ)
詩は「意味」(理念)ではなく、まず、そこにあることばが呼び起こす何か、ことばの喚起力から生まれてくる。
ひらがなではなく、リズムのよい(歯切れのよい)漢字が次々に呼び掛け合うようにしてイメージを広げていく。それに私はひかれた。そして、そのいままで見たことのない漢語の運動を知的・精神的と感じた。
そのとき私は北川の書いている「意味」とは違うのだけれど、「この日本とは何か」ということをすっかり忘れていた。そんなことなど考えなかった。「この日本とは何か」ということを考えない部分で、私は「荒地」と「表層的」に出合っていた。
そんなことを思い出した。
このとき、私は、北川が指摘していることとはズレるのだけれど、「この日本とは何かというまなざし」(いま、ここ、あるいはいまここを支える過去をみつめること)を完全に忘れていた。
言い換えると。
「荒地」の詩人たちが欠く過激なことば、そのことばの組み合わせを私は知らなかった。また、こんな過激なことばが現実にひしめいている、とも知らなかった。びっくりしながら、私は、この過激なことばの奔流をみつめることが「現代」をみつめること、現代を考えること、瞬時に思い込んでしまった。
私は「詩学」に投稿することから詩を書きはじめたのだが、最初に投稿した作品に、飯島耕一は「トンボもセミもいる詩だね」云々といった。私は実際にトンボもセミもいる田舎にいて詩を書いていたので、仰天してしまった。そうか、そういうものは「現代詩」ではなくて、「荒地」のように書かないと「現代詩」ではないのだな、と思った。
自分のいる「暮らし」をみつめることを忘れ、過激な漢字熟語の向こう側に「現代詩」があると、単純に信じ込んだ。
「荒地」の「文明批評」という視点は、そのころの私にはとうてい思いもつかない視点で、ただ過激なことばのかっこよさに魅了されていた。「いま/ここ」を忘れて、「荒地」のことば見て、それを模倣していた。模倣というより、盗作していた。そして、ますます「この日本とは何かというまなざし」(いま、ここをみつめること)を忘れてしまうのだが、そういうことを誘発することばの力が詩なのだな、といまでも思う。
自分の生活(世界)を確認するというよりも、自分の知らない世界を、まず「ことば」で見てしまう--それが詩なのだと思う。そういうことを教えてくれたのが、私にとっての「荒地」だったなあ、と思う。
私の書いていることは、「北川透の批評」に対する批評でもなんでもない。北川透の批評をどういうものであると分析する(意味を理解する)というものでもない。ただ、北川透を読みながら、ふと浮かんできたことを書いている。
書きつづけている内に、何か「批評」めいたことに辿り着くかもしれないが、私は、それをめざしていない。ただ、読んで、何を思ったか、何を思い出したか、そういうことだけをだらだらと書いてみたいと思っている。
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