監督 アンリ=ジョルジュ・クルーゾー 出演 イブ・モンタン、シャルル・バネル、ベラ・クルーゾー、フォルコ・ルリ、ペーター・バン・アイク
1952年の作品。シンプルでいいなあ。途中からは登場人物が4人だけになる。ニトログリセリンを積んでトラックが走るだけ。
モノクロの画面が効果的。色彩計画がすばらしい。
最初に、シャルル・バネルのズボンが泥水で汚れるシーンがある。そのときのズボンの白と泥水の黒の対比に始まり、二つのクライマックス、白い巨岩をニトログリセリンで爆破するときの岩の白と、トラックの爆発でできた穴にたまる石油の黒が強烈な対比になるのだが、いきなり白、黒の対比にならないところもいい。ズボンの泥水なんか伏線ではないという人もいるかもしれないが、私は伏線だと感じる。
未明の出発から始まるので、道路は灰色。微妙な凹凸があってスピードを落として走るよりもスピードを上げて走った方が少ないという道路の感じからはじまり、工事中の道路(曲がり角)の、曲がるための補助板(橋?)の粘土のためにつるつるになっている灰色の板。最初の難関の道路と灰色の感じが違う。
そういう「灰色」のあとに、「灰色」が「白」と「黒」に分離して、ドラマが動く。より劇的になる。「爆発」を組み込みながら、色がかわる。「白」と「黒」が強烈になる。
曲がり角の難所を通り抜けたと思ったら、道を巨岩がふさいでいる。真白な巨岩。南米の太陽の光を反射している。渇ききって、真白になっている。トラックを走らせるためには、巨岩を爆破して取り除くしかない。実際、それを爆破するのだが、そのとき砕けて飛び散る石も白いし、山肌から落ちてくる石も白い。そして、その小石がぶつかりそうになるニトログリセリンの容器も白い。このニトログリセリンの液体は、ほんとうはどういう色なのか私は知らないのだが、それを巨岩に注ぎ入れるとき、それは透明に見える。(この「透明」も、その次にあらわれる石油の池と対比になっている。)役者の演技以上に、この石やニトログリセリンの質感、色の変化の「演技」に、カメラが「演技」させる「もの/色」の「演技」に緊張感を感じる。
巨岩を破壊し、やっと道をつくったと思ったら。先に走っているトラックが爆発し、石油のパイプラインを壊す。爆発でできた穴にたまる石油の黒。表面はぬらりと光っているが、その下は見えない。ニトログリセリンのように透明ではない。ふつうの水のように透明ではない。だから、石油の池の下に沈んでいる木が見えない。シャルル・バネルがつまずき、倒れる。これが悲劇の引き金になるのだが、石油の黒い色ががそのままストーリーの主役になっている感じがする。白い巨岩を爆破するシーンでは、ニトログリセリンの「透明」な液体の静かに動きにはらはらしたが、ここでは不透明の動かしがたい石油の色にいらいらしてしまう。イブ・モンタンとシャルル・バネルは、石油の脇役になっている--というところがとても面白い。イブ・モンタンもシャルル・バネルも、石油の黒さに負けている。石油の黒さが、そのままストーリーを動かしている。
石油でべたべたになって、真っ黒になって、火災現場に着く。そのときの炎の色が、また、とてもいい。モノクロなのだが、そのモノクロの明るい白と黒い影の分離できないうごめきが、生き物そのものに見える。正反対の「色」がぶつかりながら、新しい動き(激しい炎の暴走)を誘い出している。
あ、これと同じことが、ニトログリセリンを運んでくるドラマを動かしていたのだ。金を稼ぎたいという欲望。死んでしまうかもしれないという恐怖。どちらが白でどちらが黒か。それは燃え上がる石油の炎のように、わけることはできない。ふたつがぶつかりあって、ぶつかりあいのなかで一方が白く見え、もう一方が黒く見えるだけなのだ。
トラックが二台、運転する人間がそれぞれ二人--この「二」の組み合わせも「白/黒」という「二」の組み合わせに呼応しているかもしれない。「二」であることによって、緊張が高まる。
イブ・モンタン、シャルル・バネルの「二」の対比が特におもしろい。最初はシャルル・バネルの方が強気なのだが、徐々に臆病になっていく。白いスーツが泥水の撥ねで汚れるように、だんだん汚れていく(?)。だんだん醜くなっていく。男として醜くなっていく。--というのは、まあ、マッチョな見方かもしれないが、だんだん男らしさをなくしていく。好対照に、イブ・モンタンがだんだん欲望(本能)の強さを発揮してきて輝いてくる。汗と油でどんなに汚れても、何か、芯が汚れていない感じ。だから、仕事を終えて、報酬をもらうときは、外の汚れはすっぱりとれて「白く」輝く。服が新しくなって「白」になっている。シャルル・バネルが「黒い」まま死んでいくのと対照的だ。
白と黒がこの映画を動かしているということが、よくわかる。
ラストシーンもいいなあ。好きだなあ。
イブ・モンタンが仕事をやりとげ、生きていると知って恋人のベラ・クルーゾーが酒場でダンスをする。ワルツだ。それにあわせてイブ・モンタンのトラックが山道を走りながらダンスをする。カメラは女とトラックを交互に映し出す。トラックは女がステップを踏むようにジグザグに走る。イブ・モンタンはダンスをするようにハンドルをあやつる。当然の結末として、トラックはがけ下に転落してイブ・モンタンは死ぬのだけれど、そのトラックの転落と、トラックの警笛が、スピルバーグの「激突!」を思い出させる。トラック自身の「叫び声」が非常に似ている。トラックそのものが「勝利」に酔って、酔いの中でふっと油断する。間をおかず悲劇に代わるリズムも似ている。あ、これはしかし、「恐怖の報酬」が「激突!」に似ているのではなく、「激突!」が「恐怖の報酬」に似ているんだよね。映画の制作時系列からいうと……。もしかすると、「激突!」は「恐怖の報酬」からヒントを得たのかもしれない。
(2014年10月04日、天神東宝4「午前十時の映画祭」)
*
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映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
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1952年の作品。シンプルでいいなあ。途中からは登場人物が4人だけになる。ニトログリセリンを積んでトラックが走るだけ。
モノクロの画面が効果的。色彩計画がすばらしい。
最初に、シャルル・バネルのズボンが泥水で汚れるシーンがある。そのときのズボンの白と泥水の黒の対比に始まり、二つのクライマックス、白い巨岩をニトログリセリンで爆破するときの岩の白と、トラックの爆発でできた穴にたまる石油の黒が強烈な対比になるのだが、いきなり白、黒の対比にならないところもいい。ズボンの泥水なんか伏線ではないという人もいるかもしれないが、私は伏線だと感じる。
未明の出発から始まるので、道路は灰色。微妙な凹凸があってスピードを落として走るよりもスピードを上げて走った方が少ないという道路の感じからはじまり、工事中の道路(曲がり角)の、曲がるための補助板(橋?)の粘土のためにつるつるになっている灰色の板。最初の難関の道路と灰色の感じが違う。
そういう「灰色」のあとに、「灰色」が「白」と「黒」に分離して、ドラマが動く。より劇的になる。「爆発」を組み込みながら、色がかわる。「白」と「黒」が強烈になる。
曲がり角の難所を通り抜けたと思ったら、道を巨岩がふさいでいる。真白な巨岩。南米の太陽の光を反射している。渇ききって、真白になっている。トラックを走らせるためには、巨岩を爆破して取り除くしかない。実際、それを爆破するのだが、そのとき砕けて飛び散る石も白いし、山肌から落ちてくる石も白い。そして、その小石がぶつかりそうになるニトログリセリンの容器も白い。このニトログリセリンの液体は、ほんとうはどういう色なのか私は知らないのだが、それを巨岩に注ぎ入れるとき、それは透明に見える。(この「透明」も、その次にあらわれる石油の池と対比になっている。)役者の演技以上に、この石やニトログリセリンの質感、色の変化の「演技」に、カメラが「演技」させる「もの/色」の「演技」に緊張感を感じる。
巨岩を破壊し、やっと道をつくったと思ったら。先に走っているトラックが爆発し、石油のパイプラインを壊す。爆発でできた穴にたまる石油の黒。表面はぬらりと光っているが、その下は見えない。ニトログリセリンのように透明ではない。ふつうの水のように透明ではない。だから、石油の池の下に沈んでいる木が見えない。シャルル・バネルがつまずき、倒れる。これが悲劇の引き金になるのだが、石油の黒い色ががそのままストーリーの主役になっている感じがする。白い巨岩を爆破するシーンでは、ニトログリセリンの「透明」な液体の静かに動きにはらはらしたが、ここでは不透明の動かしがたい石油の色にいらいらしてしまう。イブ・モンタンとシャルル・バネルは、石油の脇役になっている--というところがとても面白い。イブ・モンタンもシャルル・バネルも、石油の黒さに負けている。石油の黒さが、そのままストーリーを動かしている。
石油でべたべたになって、真っ黒になって、火災現場に着く。そのときの炎の色が、また、とてもいい。モノクロなのだが、そのモノクロの明るい白と黒い影の分離できないうごめきが、生き物そのものに見える。正反対の「色」がぶつかりながら、新しい動き(激しい炎の暴走)を誘い出している。
あ、これと同じことが、ニトログリセリンを運んでくるドラマを動かしていたのだ。金を稼ぎたいという欲望。死んでしまうかもしれないという恐怖。どちらが白でどちらが黒か。それは燃え上がる石油の炎のように、わけることはできない。ふたつがぶつかりあって、ぶつかりあいのなかで一方が白く見え、もう一方が黒く見えるだけなのだ。
トラックが二台、運転する人間がそれぞれ二人--この「二」の組み合わせも「白/黒」という「二」の組み合わせに呼応しているかもしれない。「二」であることによって、緊張が高まる。
イブ・モンタン、シャルル・バネルの「二」の対比が特におもしろい。最初はシャルル・バネルの方が強気なのだが、徐々に臆病になっていく。白いスーツが泥水の撥ねで汚れるように、だんだん汚れていく(?)。だんだん醜くなっていく。男として醜くなっていく。--というのは、まあ、マッチョな見方かもしれないが、だんだん男らしさをなくしていく。好対照に、イブ・モンタンがだんだん欲望(本能)の強さを発揮してきて輝いてくる。汗と油でどんなに汚れても、何か、芯が汚れていない感じ。だから、仕事を終えて、報酬をもらうときは、外の汚れはすっぱりとれて「白く」輝く。服が新しくなって「白」になっている。シャルル・バネルが「黒い」まま死んでいくのと対照的だ。
白と黒がこの映画を動かしているということが、よくわかる。
ラストシーンもいいなあ。好きだなあ。
イブ・モンタンが仕事をやりとげ、生きていると知って恋人のベラ・クルーゾーが酒場でダンスをする。ワルツだ。それにあわせてイブ・モンタンのトラックが山道を走りながらダンスをする。カメラは女とトラックを交互に映し出す。トラックは女がステップを踏むようにジグザグに走る。イブ・モンタンはダンスをするようにハンドルをあやつる。当然の結末として、トラックはがけ下に転落してイブ・モンタンは死ぬのだけれど、そのトラックの転落と、トラックの警笛が、スピルバーグの「激突!」を思い出させる。トラック自身の「叫び声」が非常に似ている。トラックそのものが「勝利」に酔って、酔いの中でふっと油断する。間をおかず悲劇に代わるリズムも似ている。あ、これはしかし、「恐怖の報酬」が「激突!」に似ているのではなく、「激突!」が「恐怖の報酬」に似ているんだよね。映画の制作時系列からいうと……。もしかすると、「激突!」は「恐怖の報酬」からヒントを得たのかもしれない。
(2014年10月04日、天神東宝4「午前十時の映画祭」)
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