監督 スコット・クーパー 出演 クリスチャン・ベール、ウッディ・ハレルソン、ケイシー・アフレック、フォレスト・ウィテカー、ウィレム・デフォー、サム・シェパード
まったくむだのない映画だ。
冒頭、ウッディ・ハレルソンがドライブ・イン・シアターで女性に乱暴する。それをとめに入る男を殴ってウッディ・ハレルソンは消えてしまう。「説明」がない。ただ緊迫感だけがある。その緊迫感が最後までつづく。一瞬のゆるみもない。
ストーリーは「ディアハンター」と似通ったものを含む。イラン戦争で精神を荒廃させて帰郷した弟。かれが裏社会とかかわる。そして殺される。兄(クリスチャン・ベール)がその復讐をする、という展開。途中に鹿狩りのシーンも出てくる。クリスチャン・ベールは撃てるのに鹿を撃たない。そういうシーンもある。(これは、最後の「伏線」になっている。)
このストーリーを、アメリカの製鉄所(?)のある街を舞台に展開する。製鉄所しかない街の荒廃した感じ。荒廃しているが、そこに生活があるので、生活の美しさもある。製鉄所の建物も、その吐き出す煙も、生きている。つまり美しい。むだがない。街並みも豪華ではないがしっかりと大地に食い込んでいる。みんなが、そこで「地道」に生きている。アメリカの「地方」が、そしてそこに生きている人の「生き方」がしっかりと描かれている。
裏社会すら、何か「地道」という感じがする。やっている取り引きにドラッグが含まれるのはもちろんだが、主力(?)が殴り合い(リングのないボクシング)の賭であるのも「地道」さを感じさせる。裸の、素手の闘い。頼るものは「肉体(精神力)」だけ。この切り詰めた感じがとてもいい。
マイケル・チミノの「ディアハンター」には結婚式の長いシーンがあったが、この映画にはそういうむだがない。映画というのはいい映像が撮れてしまうと、どうしても長くなる。(スピルバーグの「プライベイト・ライアン」もいい映画だが、冒頭がどうしても長くなってしまっている。私は、そういういいシーンにひっぱられる形で変質していく映画、ストーリーから逸脱してしまう映画に酔ってしまうタイプの人間だけれど……。)この映画は、その長くなるところを、すぱっと切って捨ててしまっている。そのために、緊迫感にゆるみがない。おそらくたくさんのシーンがカットされ、捨てられているのだと思う。あまりの緊迫感に、感覚がどんどん覚醒されていく感じがする。
弟思いの兄が裏社会に復讐するという男臭い映画の中にあって、瞬間的に恋愛も描かれる。それもすぱっとしている。クリスチャン・ベールが女と別れる橋の上のシーンが美しいし、新しい恋人(フォレスト・ウィテカー)がクリスチャン・ベールに対して「俺たちは熱烈な恋愛感情で結ばれているわけではないが、静かに結びついている」と語るシーンも切ない。忘れられない。サム・シェパードが蘭の花を手入れしている一瞬のシーンもいい。それはクリスチャン・ベールの父が愛していた花であり、いわば「家族」の美しさの象徴なのだが、くだくだと説明をしないところが、実にいい。
クライマックスの製鉄所(廃墟?)のシーンも鮮やかだ。逃げ込んだウッディ・ハレルソンをクリスチャン・ベールが追っていくのだが、そこはクリスチャン・ベールが幼いときに弟と遊んだ場所。建物の構造が分かっている。だから、ウッディ・ハレルソンの「逃げ道」も見当がつく。つまり、そこで生きてきた人間の「地の利」のようなものがある。追いかけていても、何も迷わない。動きがシンプルになる。これが緊迫感を高める。
最後の最後、クリスチャン・ベールがライフルを構えるシーンも、途中の鹿に照準を合わせながら引き金を引かなかったシーンがあるために、緊迫感が高まる。観客が、このまま引き金をしかないのではないのか、いや、鹿は撃たなかったが弟を殺したウッディ・ハレルソンは殺すにちがいない。そんなことはない。殺すならもっとチャンスはあった。わざわざ警官が「止めろ」と言っている(目撃している)ところで射殺するはずがない。それではしかし復讐にならない……映像は何も説明しないのに、観客がかってに「意味(感情)」を充実させる。
これは、すばらしい。
映画にかぎらず、作者があれこれ説明するよりも、観客があれこれ思う方が作品が充実する。観客は監督の説明など聞きたくない。その場にいる人間(そのとき起きている事件を目撃している人間)として、何かを感じたい。主人公になってしまいたいのである。この映画は、観客を主人公にしてくれるのである。
このラストにかぎらず、先に書いた恋人と別れる橋の上のシーン、フォレスト・ウィテカーのことばを聞くシーンでも、観客は、そこでは口にされなかったクリスチャン・ベールの「こころ」を自分の声で、自分の肉体の中から聞きとる。クリスチャン・ベールになってしまうのだ。そういう観客の「思い」を吸収して動くクリスチャン・ベールの演技もまたとてもとてもすばらしい。
(2014年10月14日、中州大洋4)
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映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
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まったくむだのない映画だ。
冒頭、ウッディ・ハレルソンがドライブ・イン・シアターで女性に乱暴する。それをとめに入る男を殴ってウッディ・ハレルソンは消えてしまう。「説明」がない。ただ緊迫感だけがある。その緊迫感が最後までつづく。一瞬のゆるみもない。
ストーリーは「ディアハンター」と似通ったものを含む。イラン戦争で精神を荒廃させて帰郷した弟。かれが裏社会とかかわる。そして殺される。兄(クリスチャン・ベール)がその復讐をする、という展開。途中に鹿狩りのシーンも出てくる。クリスチャン・ベールは撃てるのに鹿を撃たない。そういうシーンもある。(これは、最後の「伏線」になっている。)
このストーリーを、アメリカの製鉄所(?)のある街を舞台に展開する。製鉄所しかない街の荒廃した感じ。荒廃しているが、そこに生活があるので、生活の美しさもある。製鉄所の建物も、その吐き出す煙も、生きている。つまり美しい。むだがない。街並みも豪華ではないがしっかりと大地に食い込んでいる。みんなが、そこで「地道」に生きている。アメリカの「地方」が、そしてそこに生きている人の「生き方」がしっかりと描かれている。
裏社会すら、何か「地道」という感じがする。やっている取り引きにドラッグが含まれるのはもちろんだが、主力(?)が殴り合い(リングのないボクシング)の賭であるのも「地道」さを感じさせる。裸の、素手の闘い。頼るものは「肉体(精神力)」だけ。この切り詰めた感じがとてもいい。
マイケル・チミノの「ディアハンター」には結婚式の長いシーンがあったが、この映画にはそういうむだがない。映画というのはいい映像が撮れてしまうと、どうしても長くなる。(スピルバーグの「プライベイト・ライアン」もいい映画だが、冒頭がどうしても長くなってしまっている。私は、そういういいシーンにひっぱられる形で変質していく映画、ストーリーから逸脱してしまう映画に酔ってしまうタイプの人間だけれど……。)この映画は、その長くなるところを、すぱっと切って捨ててしまっている。そのために、緊迫感にゆるみがない。おそらくたくさんのシーンがカットされ、捨てられているのだと思う。あまりの緊迫感に、感覚がどんどん覚醒されていく感じがする。
弟思いの兄が裏社会に復讐するという男臭い映画の中にあって、瞬間的に恋愛も描かれる。それもすぱっとしている。クリスチャン・ベールが女と別れる橋の上のシーンが美しいし、新しい恋人(フォレスト・ウィテカー)がクリスチャン・ベールに対して「俺たちは熱烈な恋愛感情で結ばれているわけではないが、静かに結びついている」と語るシーンも切ない。忘れられない。サム・シェパードが蘭の花を手入れしている一瞬のシーンもいい。それはクリスチャン・ベールの父が愛していた花であり、いわば「家族」の美しさの象徴なのだが、くだくだと説明をしないところが、実にいい。
クライマックスの製鉄所(廃墟?)のシーンも鮮やかだ。逃げ込んだウッディ・ハレルソンをクリスチャン・ベールが追っていくのだが、そこはクリスチャン・ベールが幼いときに弟と遊んだ場所。建物の構造が分かっている。だから、ウッディ・ハレルソンの「逃げ道」も見当がつく。つまり、そこで生きてきた人間の「地の利」のようなものがある。追いかけていても、何も迷わない。動きがシンプルになる。これが緊迫感を高める。
最後の最後、クリスチャン・ベールがライフルを構えるシーンも、途中の鹿に照準を合わせながら引き金を引かなかったシーンがあるために、緊迫感が高まる。観客が、このまま引き金をしかないのではないのか、いや、鹿は撃たなかったが弟を殺したウッディ・ハレルソンは殺すにちがいない。そんなことはない。殺すならもっとチャンスはあった。わざわざ警官が「止めろ」と言っている(目撃している)ところで射殺するはずがない。それではしかし復讐にならない……映像は何も説明しないのに、観客がかってに「意味(感情)」を充実させる。
これは、すばらしい。
映画にかぎらず、作者があれこれ説明するよりも、観客があれこれ思う方が作品が充実する。観客は監督の説明など聞きたくない。その場にいる人間(そのとき起きている事件を目撃している人間)として、何かを感じたい。主人公になってしまいたいのである。この映画は、観客を主人公にしてくれるのである。
このラストにかぎらず、先に書いた恋人と別れる橋の上のシーン、フォレスト・ウィテカーのことばを聞くシーンでも、観客は、そこでは口にされなかったクリスチャン・ベールの「こころ」を自分の声で、自分の肉体の中から聞きとる。クリスチャン・ベールになってしまうのだ。そういう観客の「思い」を吸収して動くクリスチャン・ベールの演技もまたとてもとてもすばらしい。
(2014年10月14日、中州大洋4)
映画パンフレット 「クレイジー・ハート」 監督/ スコット・クーパー 出演/ジェフ・ブリッジス | |
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