詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

粒来哲蔵『侮蔑の時代』(16)

2014-10-11 11:16:20 | 詩集
粒来哲蔵『侮蔑の時代』(16)(花神社、2014年08月10日発行)

 「蝉」はカシミール地方にいるという自殺する蝉のことを描いている。あるいは自殺する瞬間を見ようとこころみる詩人を描いている。区別はできない。蝉と詩人と、両方がいて成り立つ、あるような、ないような、世界だからである。
 どこから引用しようか。
 蝉を観察するといっても、じっと見つめつづけるわけにはいかない。人間にはその場を離れなければならない事情もある。

         観察の一日目は耐えられたが、二日目はさすが
に怯え切れず、蝉を見つめとおす目視力が衰え始めた。茫漠とした
視野の中で観察される者の姿態が歪む、揺れる、そしてついには消
失する--。その時になって、私は自らの立ち位置が視野の中の蝉
動揺に揺れ始め、蝉の個体の周りをただぐるぐるへめぐっているこ
とに気付いた。

 蝉のことを書きながら自分のことを書いている。その関係が、ていねいに読むと区別できるのだが、ていねいに読みすぎると、これってもしかしたらどちらかがどちらの比喩になっていない?という気持ちにさせられる。
 二日もつづけて見ていると、疲れてしまって体が揺れる、視界が揺れる。視界が揺れるから体が揺れるのか、体が揺れるから視界が揺れるのか、あるいは蝉の体が揺れているのを見てそれを視界の揺れと勘違いし、さらに体が揺れていると思い込んでいるのか。
 粒来はそれなりの意識があってきちんと書いているのだが、読む方は、わざとそう書いてあるのではないのか。ほんとうは違うことを書こうとして、こんなに馬鹿ていねいにことばを動かしているのではないのか、と「誤読」する。粒来に「だます」気持ちがなくても、読んでいる方が「だまされないぞ」と思ってしまう。そういう変な(?)文体である。そして、「だますならだましてみろ」と思いながら、それを読み進み、さらにらだまされるというような、とっても質の悪い、悪意に満ちたことばの運動である。だから、それを詩というのだが……。
 先の引用のつづき。

       すると私に見られ続けている被観察者の伸ばし切っ
た六肢が、誰かに命じられたかのように、ゆっくりと極めて穏やか
に縮み始め、爪は何かのしがらみから抜け出そうとでもするかのよ
うに、これも極めて慇懃に樹皮から離れていくのを目にしたのだっ
た。

 「蝉」と書けば簡単なのに「被観察者」と粒来は書く。その瞬間、蝉と詩人が「被観察者」「観察者」という、そっくりのことばになる。違いを「被」があるかないかで区別しなければならなくなる。混同するように「わな」が仕掛けられているのである。もっとも、この「わな」を「観察する」という動詞を中心にして世界を分節するときの「基準」(起点)にするため、そこで起きていることが何なのか、それを明確にするための「計測装置」という具合に言いなおすこともできる。(粒来は、そうしたいのである。)で、その「計測装置」を設定し、「被観察者」「観察者」という「ふたり」を登場させたとたんに、「誰か」ということばも出してくる。「誰か」って、「被観察者」なのか、「観察者」なのか、それとも第三者なのか--と考えることができるが、そこには蝉と詩人のふたりしかいないのだから、第三者はありえない。そうすると、ねえ、「被観察者」「観察者」のどっち? 蝉? 詩人? どっち?
 というようなことを考えてしまうのも、そこに「しがらみ」とか「慇懃」とか、蝉にはふさわしくない(?)ことばが出てくるからだ。「しがらみ」「慇懃」と読むと、どうしても「人間の世界」を思い出すなあ。たとえ粒来が蝉のことを書いているとしても、あるいは「学校文法」にしたがって主語、述語をとらえると蝉が木から離れるのを人間が見ているという「論理」になったとしても、
 そうではなくて、
 蝉を観察しているうちに疲れてしまって、視力もゆらぎ、体を支えていることができずに眠り(無意識?)に落ちていく人間の姿を、蝉が見つめて書いているようにも「誤読」することができる。
 というよりも、そういう「誤読」をしないことには納得できないような、文体である。蝉が、こんなしつこく正確な文体で何かを書くということ、蝉がことばを書くということは「流通常識」ではありえないのだけれど、粒来が蝉になって書いていると考えれば、それはそれで「論理」としては成り立つでしょ?
 (あ、何か、間違えている? かまわないさ。詩なんだから。)
 で、詩人が蝉になっているからこそ、そこに蝉らしからぬ「人間のことば」(しがらみ、慇懃)が混じってしまう。

  見る間に六肢は体側に納められ、爪は樹皮から離れもはや彼が
取り付いて頼るべきものは皆無となった。蝉を支えるものは個の存
在そのものを意味あらしめるある種の意地でしか在り得ない。

 ここでも「意味」(意味あらしめる)、「意地」などという「人間の個の存在」と強くからみついている「意識」が描かれる。何が起きているか、蝉が落下しているというその「事実」の書かれているのではなく、そういう「事実」が起きているときの「こと」の内部、「人間の精神」のようなものが書かれている。
 蝉にも精神はある、というかもしれないが、そんなものは人間が勝手に、自分の都合がいいようにつくりだした「仮定」である。(仮構、と粒来はいうかもしれない。)
 ここに書かれていることは、粒来の「誤書」(誤認、とふつうは言うのかもしれないが)であり、それを正確に読もうとすれば「誤読」するしかないことばである。「誤読」しないと、そこに書かれていることは「物語」になってしまう。「誤読」することで、それが空想ではなく「事実」になる。いや、「事実」をつきぬけて「真実」に生まれ変わるといえばいいのか。
 「誤書」と「誤読」が出会い、その衝突のなかで「仮構」が「真実」に変わる。

 でも、いま、私が書いたようなことはどうでもいい。
 「誤書」と「誤読」が出会い、その衝突のなかで「仮構」が「真実」に変わる。--というのは、自分で書きながら、おっ、かっこいい、と思ってしまったが、こういう「嘘」は、書くことがなくなったとき、突然あらわれてくるだけのことであって、そんな嘘にだまされてはいけない。
 そんなことはどうでもよくて、ただ、粒来のしつこい、正確な(正確を装った)ことば、その粘着力が引き寄せる「もの/こと」を、「そうかもしれない、そういうことがあるのかもしれない」と、ぼんやりと読めばそれでいい。

                            と彼
の体は樹幹の蒼黒い肌に沿ってまっ直ぐに滑り始め、それは根際に
向かって次第に降下の速度を増していき、根元に着くや否や腹胴か
ら薫烟を出し始めた。烟はやがて私の鼻孔をついた後拡散していっ
たが、その時蝉は燃え尽きていた。風が吹き、彼の残骸は吹かれて
消えた。

 やがて、何もかもが消える。
 ただ、何か変なものを読んだぞ(読まされたぞ)、変なことを書く詩人がいたな、と思うだけでいいのだ。あれは、どんなことばの動きだったかな? あの動きで、何かをとらえ直すとどうなるかな? そう思えばいいのだと思う。そのとき読者は、無意識のうちに、粒来になっているのだが。つまり、そんなふうにして粒来のことばは読者のなかで永遠に生きることになるのだが。


荒野より―詩集 (1979年)
粒来 哲蔵
矢立出版

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クリエーター情報なし
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卵を焼く匂いが

2014-10-11 00:21:04 | 
卵を焼く匂いが

卵を焼く匂いがする。あまくてやわらかい。
バターがとけるとき、フライパンからのぼってくるひかり。
こげる寸前のあわだち。
冷蔵庫の扉を閉じる音は素敵だ。
ばたん。ぱたん。

 一方に人の顔や目つき、服装の変わりに話したことばだけを
            書いておけばいいという意見があり、
       他方に人の言うことは要約すればおなじになる。
     ことばではなく(また口ほどに物を言う目ではなく、
                  無意識に動く手、特に
    左手の指の動きを書き留めるといいという意見がある。

皿を並べるように、
ことばがたくさんならんだが
多くの意見を持っていなかった。
きっと、
かぎられたことばでゆっくりと話す方ががいい。
シンプルな卵焼きのように、
切ったときにやわらかな内部が崩れながらあふれるような。








*



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発売は限定20部。部数に達し次第締め切り。
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「谷川俊太郎の『こころ』を読む」「リッツッス詩選集」「雨の降る映画を」三冊セットの場合は6000円
です。
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