安藤元雄「樹下の暮らし」、井川博年「ロシア大使館」、岡井隆「亡き弟の霊と対話しつつ過ぎた、手術の前と後」(「現代詩手帖」01月号)
新しい年の初めに新しい詩を読む。「現代詩手帖」01月号を読みながら新年のことばを探したが、なかなか見つからない。一月一日というのは単なる暦のくぎりで、それはことばにとってはあまり関係がないということか。また掲載されている詩が一月一日に書かれたわけでもないから、これは当然のことなのかもしれない。
正月とは関係がないかもしれないが、安藤元雄「樹下の暮らし」の次の部分に、生き方の「決意」のようなもの感じた。「決意」が正月っぽいと言えば言えるかもしれない。
孤高という言葉は
おそらく樹にこそふさわしい
地面にほんのちいさなてのひらをやっと拡げたときから
樹はすでに孤高なのだろう
姿が丈高いかどうかは問題にならない
たくさんの同類が並び立っていてもかまわない
樹は一本ごとにその樹ひとりだけの高さを持ち
それを誰とも共有しない
無数の小鳥の群れが訪れて
まるで襲撃のようにけたたましくさえずりかわしても
樹は啼き声の中で静かに立っているだけだ
「樹は一本ごとにその樹ひとりだけの高さを持ち/それを誰とも共有しない」。この2行が強い。「共有しない」がとても強い。「樹ひとり」の「ひとり」に安藤は自分を託している。
この2行を読みながら、詩もそうなのかもしれないと思った。
詩は読まれて初めて詩になる。読んだ人が感動して、初めて詩になる。「共有」されて初めて詩になる--と言えるのだけれど、この「共有」はあくまで「詩」と「読者」の一対一の関係のなかでのこと。他の多数(複数)の読者に「共有」されるかどうかは問題ではない。
作者と読者がことばを「共有」するのとも違う。作者から読者へことばは渡され、渡された瞬間、作者はことばをうしなってしまう。ことばは読者のものになってしまう。そういう感じで動くのが詩なのだ。
手渡した瞬間、ことばは作者の思いとは関係ない具合に動くかもしれない。それは仕方がない。それが詩人の「孤高」である。
ことばを受け止めて「このことばが好き、これこそ私が探していたことば」と読者がいったとたん、「それは違う。そういう意味で書いたのではない」と作者が叱るかもしれない。多くの他者もそう言うかもしれない。その瞬間違うと言われた「読者」は孤立する。そのときの「孤高」が詩である。間違っているといわれようと、それは関係がない。ことばを受け止めて、その瞬間、「読者」のそれまでのことばが変わってしまう。孤立してしまう。そのとき「読者」は詩人になっている。
ことばはいつでも孤立している。孤高を生きている。その孤高と「一対一」を生きる。
こういう読み方は、身勝手すぎるだろうか。
「誤読」され、違うものになって消えていく--それはことば(詩)にとって悲劇か。悲劇かもしれない。けれど、悲劇かどうかも、詩にはあまり関係がない。誤読されようがどうしようが、次にまたことばを書く。失われ、消えていくからこそ、次の新しいことば(詩)がうまれるのかもしれない。
そう そして落葉
音もなくゆるやかに舞い落ちるものたち
それは枝から降るのではない
もっと高い 遥かな天の雲から
ひらひらひらひら 雪のように降ってくるのだ
地に落ちて なおも終らずに
風をそそのかして身を運ばせ ひるがえり
生き物のように素早く走り回り
最後にはどこか知らぬところへ消えて行く
その間にも枝にはもう次の年の芽がのぞいて
用心深くあたりをうかがっている
「それは枝から降るのではない/もっと高い 遥かな天の雲から」は「孤高」をいいなおしたもの。そこから、「地に落ちて なおも終らずに/風をそそのかして身を運ばせ ひるがえり/生き物のように素早く走り回り」という具合に3行が動いていくとき、そこには読者の「誤読」を突き抜けて動いていく詩の強さが書かれていると思う。
この強さがあって、はじめて「次の年の芽」が動くのかもしれない。
ここに書かれている「孤高」は強い。
*
井川博年「ロシア大使館」は、奇妙な祝祭の気分があり、これも正月に通い合うかな?小笠原豊樹新訳「マヤコフスキー叢書」の出版記念会がロシア大使館で開かれる。その招待状に「各方面にお声がけいただければ幸いです」と書かれている。それで「各方面」に声をかける。そうすると、みんなが「行きたい」という。で、ぞろぞろ集まってくる。そのときの集まり方が「マヤコフスキーが好き、その神髄にふれたい」というような理由だけではない。また、そこでの語らいは、というか、あったことはと言うと……。
会場を見渡すと、ほとんどの人は文学とは縁がなさそう。そこでこちらは詩人同士で語りあい、男たちはワインをがぶ呑み、女たちは真ん中の大テーブルに山盛りに置かれた、チーズケーキとチョコレートとフルーツに夢中で、コーヒーと紅茶をとってきては、またケーキの方に手を出す。酒のつまみのようなものがないので、男たちもチョコレートで呑むしかない。ついにテーブルのワインを呑み干したので、後ろ棚に置かれていたワインをかってに空けて呑んでしまいました。それも二本も只で。
これがマヤコフスキーの魔力? 小笠原豊樹が「共有」してもらいたいと願って訳したことばの力? まあ、それはそれでいいのだ。全ては「一対一」。ことばと向き合っているその瞬間が詩の全てであり、あとは「付録」だ。
井川の文体は、めりはりがないというか、だらだらしているというか、「ワインを二本も只で呑んだ」とはしゃぐような、一種の無防備なものだが、この「無防備」が何人もの人を引き寄せ、一緒にしてしまう。
安藤が書いていた「孤高」の対極にあるような「文体」がつくり出す世界だ。この「孤高」なんて知ったことではないという感じも、強い。
私は井川の詩はあまり好きではないが、こういう「だらだら」した文体、どこまでも区別なく書いていく文体はおもしろくていいなあ。
*
岡井隆「亡き弟の霊と対話しつつ過ぎた、手術の前と後」は、「老人性の鼠径ヘルニア」の手術をすることになった岡井が、「先天性脱腸」の手術を受けた弟のことを思い出し、その霊と対話するという詩。弟と話をするのだけれど、その話に「遊女」の歌が何度も引用される。まるで遊女になって、岡井が自分の「思い」を語っている感じ。で、そういうときって、岡井は誰と対話している? 弟と? 私には遊女と対話しているように感じる。でも、遊女と対話して何になる?
遊女と対話しているのではなく、若い妻と対話しているのかもしれないなあ。妻のなかに生きている遊女。それに気づいて、対話する。これは、こういう気持ちだよね、と自分の覚えている歌を借りて確認している。
ご承知のやうに家妻はぼくと年齢(とし)が離れてるんでね、ぼくとしても本気で自分の死後のことを墓の建立まで考へたよ。ほら中世の遊女が歌つてたぢゃない「いかな山にも霧は立つ/御身愛(いと)しには霧がない、霧がない/なう、限(き)り」つてね。
あるいは、
「左右ないこそ命(いのち)よ/情(なさけ)のおりやらうには、生きられうかの」つてんだが、「情」つて愛情さ、生き続けるには誰かの、そして、誰かへの「情」がなくつてはね。
遊女の歌と「一対一」で向き合って、その遊女が何と向き合ってそういう歌にしたのか、その「何」をとっぱらって、自分と妻との関係にしている。自分と妻との「一対一」にしてしまっている。
「生き続けるには誰かの、そして、誰かへの「情」がなくつてはね。」というのは、おのろけ? いいなあ。「うるさいから、まだまだ、こっちへ来るな」と弟は言っただろうか。聞いてみたいなあ。
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