監督 ディアオ・イーナン 出演 リャオ・ファン、グイ・ルンメイ、ワン・シュエピン
「犯罪の影に女あり」というのはミステリー小説の定石。この映画はその「定石」を堅実に守っている。ストーリーはとてもよくできていて、できすぎていて退屈なくらいなのだが、これを「芸術」にまで高めたのがこの映画。
どんなふうに「ミステリー」を「芸術」に高めるかというと、人間を追いかけながら、登場人物以外の「情報」をびっしりとつめこむ。ストーリー以外の「情報」が「現実」をていねいに浮かび上がらせ、ストーリーを追うというよりも、「現実」の内部を表に引き出してくるという感じ。「現実」そのものを新しい視点で描き直して見せる--それが芸術だからね。
こんな抽象的なことを書いてもしようがないので、具体的に書くと。
女が逮捕されたあとのラストシーン。これが、この映画の特徴をとてもよくあらわしている。「現場検証」のために、女がかつて住んでいたアパートへ行く。そこで型通りの検証が行なわれるのだが、そのときストーリーとは無関係な「日常」が映画に割り込んでくる。
アパート(団地)では子どもたちが遊んでいる。昼間なのに花火をしている。「白日焔火」というのが映画の原題であり、また殺人に「白日焔火」というカジノバーが関係してくるので、これは締めくくりにふさわしい演出ではあるのだけれど、花火そのものとストーリーとは無関係。
で、その無関係な「日常」(子どもは殺人事件を知らずに、ただ遊んでいる)が、一瞬ではなくて、逸脱していく。誰かがアパートの屋上から花火を打ち上げる。その花火が四方八方に飛び散り、消防まで出動してくる。そういう「騒ぎ」が、まるでそのことがテーマでもあるかのように、真剣に描かれる。殺人事件のストーリーなんか、存在しない感じである。花火のシーンの情報(アパートには空き室が多い、あるいは解体途中なのか窓がないアパートの荒廃した感じ、はしご車まで出動してきて、花火を打ち上げているひとに警告する、など)が、「いま/ここ」の問題としてきちんと描かれる。ストーリーを忘れて、「その場」にいる感じになる。
考えてみれば、どんな殺人事件のときでも、そのまわりには殺人とは「無関係」に「日常」がつづいている。その「日常」はかってに「祝祭」的な雰囲気で動いている。「殺人事件」そのものも、他人から見れば「祝祭」のひとつかもしれない。自分では体験できなめずらしいこと。警官がやってくる。パトカーがやってくる。「何、何が起きた?」好奇心がにぎやかに騒ぎだす。だれが犯人? えっ、あの女? 美人じゃないか。野次馬だね。
これだね、この映画が描いているのは。
何かが起きる。その真実を追い求める人間がいる。その一方、真実を追い求めるというよりも、自分の「好奇心」で動く人間がいる。主人公の刑事も真実を追い求めるということもあるにはあるが、それよりも好奇心が強い。問題の女にも好奇心で近づいていく。好奇心で動くから、どうしても「おもしろいもの」を引き込んでしまう。自分にとっての「関心」の方が「真実」追求よりも大切になる。
こういうことを捜査用語で何と言うか。「刑事のカン」である。昔の殺人事件の被害者の妻、その美貌が気になる。その態度が気になる。その「気になる」には「刑事」の視線というよりも「男」の視線の方が大きな割合を占めている。女は別れた女にどことなく似ている。「男の視線」で女をみつめるとき、とうしたって「事件」とは別なものがどんどん入ってくる。クリーニング店で働いている。そのときの店長と女の関係とか、ちらりと目に入るものが「男」を刺戟する。そういう「場」の「情報」が、映画全体を豊かに膨らませていく。
いやあ、うまい。
いろいろ好きなシーンはあるが(ラストの花火は、フェリーニの「8 1/2」のラストの「祝祭」よりも自然で楽しい)、何度も出てくる雪もすばらしい。中国の北の方の都市が舞台。中国には不案内なので、私はそれがどこか見逃したのだが、雪が、北国の冷たい色をしている。日本に降る雪のように白くはない。灰色と青をまぜて凍らせたような色をしている。寒々しい。人間の欲望の色とは対極にあるような感じ。冷たいものと熱いものが絡み合って「事件」が動くのだなあ、と感じさせる。事件が解決したあと、別れた女のところへ行った刑事が、ひとりで踊って見せるシーンもばかばかしくていい。へたくそで、ばかばかしくてリアルだ。女の気を引こうとしている。その「こころ」が見えるのがいい。
不満は、ひとつ。最初の方のシーンだが、ばらばら遺体と同時に「被害者」の作業服が出てくる。名前が書いてあったのだったか、身分証明書があったのだったか忘れてしまったが、それを手がかりに「被害者」が特定される。その瞬間、私は、「あ、これは被害者ではなく、偽装だ」とすぐに思ってしまった。ミステリーの初歩のトリックの「定石」。これは安直すぎて、ちょっとなあ……。ほんとうに「ばらばら遺体」にして身元を隠したいなら、身元につながるものは同じところに捨てない。トリックを完成させるための「伏線」。
でも、ほかが完璧だったので、★5個。
(2015年01月18日、KBCシネマ2)
*
「映画館に行こう」にご参加下さい。
映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
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「犯罪の影に女あり」というのはミステリー小説の定石。この映画はその「定石」を堅実に守っている。ストーリーはとてもよくできていて、できすぎていて退屈なくらいなのだが、これを「芸術」にまで高めたのがこの映画。
どんなふうに「ミステリー」を「芸術」に高めるかというと、人間を追いかけながら、登場人物以外の「情報」をびっしりとつめこむ。ストーリー以外の「情報」が「現実」をていねいに浮かび上がらせ、ストーリーを追うというよりも、「現実」の内部を表に引き出してくるという感じ。「現実」そのものを新しい視点で描き直して見せる--それが芸術だからね。
こんな抽象的なことを書いてもしようがないので、具体的に書くと。
女が逮捕されたあとのラストシーン。これが、この映画の特徴をとてもよくあらわしている。「現場検証」のために、女がかつて住んでいたアパートへ行く。そこで型通りの検証が行なわれるのだが、そのときストーリーとは無関係な「日常」が映画に割り込んでくる。
アパート(団地)では子どもたちが遊んでいる。昼間なのに花火をしている。「白日焔火」というのが映画の原題であり、また殺人に「白日焔火」というカジノバーが関係してくるので、これは締めくくりにふさわしい演出ではあるのだけれど、花火そのものとストーリーとは無関係。
で、その無関係な「日常」(子どもは殺人事件を知らずに、ただ遊んでいる)が、一瞬ではなくて、逸脱していく。誰かがアパートの屋上から花火を打ち上げる。その花火が四方八方に飛び散り、消防まで出動してくる。そういう「騒ぎ」が、まるでそのことがテーマでもあるかのように、真剣に描かれる。殺人事件のストーリーなんか、存在しない感じである。花火のシーンの情報(アパートには空き室が多い、あるいは解体途中なのか窓がないアパートの荒廃した感じ、はしご車まで出動してきて、花火を打ち上げているひとに警告する、など)が、「いま/ここ」の問題としてきちんと描かれる。ストーリーを忘れて、「その場」にいる感じになる。
考えてみれば、どんな殺人事件のときでも、そのまわりには殺人とは「無関係」に「日常」がつづいている。その「日常」はかってに「祝祭」的な雰囲気で動いている。「殺人事件」そのものも、他人から見れば「祝祭」のひとつかもしれない。自分では体験できなめずらしいこと。警官がやってくる。パトカーがやってくる。「何、何が起きた?」好奇心がにぎやかに騒ぎだす。だれが犯人? えっ、あの女? 美人じゃないか。野次馬だね。
これだね、この映画が描いているのは。
何かが起きる。その真実を追い求める人間がいる。その一方、真実を追い求めるというよりも、自分の「好奇心」で動く人間がいる。主人公の刑事も真実を追い求めるということもあるにはあるが、それよりも好奇心が強い。問題の女にも好奇心で近づいていく。好奇心で動くから、どうしても「おもしろいもの」を引き込んでしまう。自分にとっての「関心」の方が「真実」追求よりも大切になる。
こういうことを捜査用語で何と言うか。「刑事のカン」である。昔の殺人事件の被害者の妻、その美貌が気になる。その態度が気になる。その「気になる」には「刑事」の視線というよりも「男」の視線の方が大きな割合を占めている。女は別れた女にどことなく似ている。「男の視線」で女をみつめるとき、とうしたって「事件」とは別なものがどんどん入ってくる。クリーニング店で働いている。そのときの店長と女の関係とか、ちらりと目に入るものが「男」を刺戟する。そういう「場」の「情報」が、映画全体を豊かに膨らませていく。
いやあ、うまい。
いろいろ好きなシーンはあるが(ラストの花火は、フェリーニの「8 1/2」のラストの「祝祭」よりも自然で楽しい)、何度も出てくる雪もすばらしい。中国の北の方の都市が舞台。中国には不案内なので、私はそれがどこか見逃したのだが、雪が、北国の冷たい色をしている。日本に降る雪のように白くはない。灰色と青をまぜて凍らせたような色をしている。寒々しい。人間の欲望の色とは対極にあるような感じ。冷たいものと熱いものが絡み合って「事件」が動くのだなあ、と感じさせる。事件が解決したあと、別れた女のところへ行った刑事が、ひとりで踊って見せるシーンもばかばかしくていい。へたくそで、ばかばかしくてリアルだ。女の気を引こうとしている。その「こころ」が見えるのがいい。
不満は、ひとつ。最初の方のシーンだが、ばらばら遺体と同時に「被害者」の作業服が出てくる。名前が書いてあったのだったか、身分証明書があったのだったか忘れてしまったが、それを手がかりに「被害者」が特定される。その瞬間、私は、「あ、これは被害者ではなく、偽装だ」とすぐに思ってしまった。ミステリーの初歩のトリックの「定石」。これは安直すぎて、ちょっとなあ……。ほんとうに「ばらばら遺体」にして身元を隠したいなら、身元につながるものは同じところに捨てない。トリックを完成させるための「伏線」。
でも、ほかが完璧だったので、★5個。
(2015年01月18日、KBCシネマ2)
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