ケン・ローチ監督「ジミー、野を駆ける伝説」(★★★★)
監督 ケン・ローチ 出演 バリー・ウォード、シモーヌ・カービー、ジム・ノートン
アイルランドが舞台の映画は、私はとても好きだ。映像が美しい。特に緑が美しい。たぶん、島国であること、湿気が多いことが影響しているのだと思う。(イギリスの緑も好きである。アメリカ映画の緑は、どうにも好きになれない。)北の、さむざむしい空気が、雪国生まれの私にはなつかしく感じられる。
北のさむざむしい荒地と緑というのは、一種の矛盾かもしれない。たとえば東南アジアの豊かな緑の方が美しい、乾燥に苦しむことのない奔放な緑の方が美しい。暴力的な緑の爆発は輝かしい--という見方があると思う。それはそうなのだが、私は、アイルランドの(あるいはイギリスの)、一種の暗さを秘めた緑が好きなのである。根強く生きているという感じがする。
この映画の舞台になっている「ホール」の姿にも、何か、その根強さと共通するものを感じた。歌ってダンスして楽しむ。その一方で、音楽を教えたり、詩を語り合ったりする。地域の人が自主的に集まってきて、自分のできることを教えあい、楽しみ、生きていく。そこから、どこかへ出て行くわけではない。そこに根を張って、そこで生きて、楽しんでいる。ほかのことは、望まない。その「ささやかであること」の強さ、貧しさ、寒さを団結することではね返すような強さ……と書いてしまうと「意味」になりすぎるのだろうけれど。そういうものを感じる。
ここで生まれた、だからここで生きる、自分の意思で生きる、そのために工夫する。これは、どこでも必要なことだろうけれど、特に北の貧しい土地では、そういうことが必要だ。南国のように、放っておいても実りがあるわけではない。それが北の緑だ。
この映画の主役は、地主の搾取、資本主義体制と闘い、そのために国外に通報された青年だが、その主張が「労働者(農民)の権利の拡大」というよりも、「いま/ここで生きる」ということを妨げるものと闘うという感じなのが手ごわい。外に出ていかない。ただ「ホール」を守る、「ホール」で歌い、ダンスをし、いっしょに学び、教えあう。つまり、そこに生きる人がみんな根を張ってしまう、というのが手ごわい。
この映画で描かれているわけではないが、この「根を張る」という生き方は、資本主義にとってはいちばん困る問題かもしれない。資本主義は労働者をより合理的に組織しなければならない。人を集めなければならない。また、余分になったら、切り捨てなければならない。人が流動しないことには産業というのは合理的に組織できない。ひとと土地を切り離してしまわないと、人間は流動しない。
主役のジミー、主役の「ホール」は、その「根を張る」拠点である。「ホール」があるかぎり、若者は「ホール」に集まる。その土地を離れて、どこかへ出て行く必要がない。もし必要なものがあればと、それを「ホール」に持ち込めばいい。そういうことの象徴が、ジャズとジャズにあわせたダンスだ。ジミーはアメリカに追放されていたとき、ジャズクラブでジャズを聴いた。ダンスもした。それを「ホール」で再現する。みんなが夢中になる。ニューヨークへ行かなくても、「ホール」がニューヨークと同じ「場」になる。「世界の中心」になる。人間の行動が、「場」を豊かにかえていく。そこに集まる一人一人が豊かになれば、そこが豊かになる。その豊かさは、「金銭」の豊かさではない。精神の豊かさだ。
大人とこどもがいっしょになって詩を読むシーンがある。少女が朗読を終える。そのあと、詩の「意味」を問題にするのではなく、まずどう感じたか、何を感じたか、それを言ってみようと、その場のリーダーがいい、それに応じて一人が語りはじめる。語ることで、そしてそのことばを聞くことで、だんだんこころが豊かになっていく。そういう豊かさが、とても美しい。ことばを共有することで、豊かになっていく。
ジミーは結局、再びニューヨークへ追放される。この「追放」は、また、資本主義の限界をあらわしているとも言える。ジミーがアイルランドにいるかぎり、「根を張る」という運動は生まれてしまう。「根」を遠ざけるしかない。「根」を分断するしかない。そこに資本主義の弱点がある。資本主義と闘うときの「原点」は、生まれた場所から離れない、そこで生きるという方法なのだ。人間は、どこでも豊かに暮らせる、豊かになるためには「ホール」が必要だ。
北国の、緑の生き方を、そこに重ね合わせるように、私は映画を見た。
アイルランドの、どの町かも私にはわからない小さな町(あるいは田舎といってしまった方がいい)を舞台に、私には聞いたこともない青年を取り上げ、きちんとその主張を、「ホール」のにぎわいのなかで具体化するケン・ローチに敬意をあらわしたい。「ありがとう」と伝えたい。
(2015年01月24日、中洲大洋4)
*
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映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
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監督 ケン・ローチ 出演 バリー・ウォード、シモーヌ・カービー、ジム・ノートン
アイルランドが舞台の映画は、私はとても好きだ。映像が美しい。特に緑が美しい。たぶん、島国であること、湿気が多いことが影響しているのだと思う。(イギリスの緑も好きである。アメリカ映画の緑は、どうにも好きになれない。)北の、さむざむしい空気が、雪国生まれの私にはなつかしく感じられる。
北のさむざむしい荒地と緑というのは、一種の矛盾かもしれない。たとえば東南アジアの豊かな緑の方が美しい、乾燥に苦しむことのない奔放な緑の方が美しい。暴力的な緑の爆発は輝かしい--という見方があると思う。それはそうなのだが、私は、アイルランドの(あるいはイギリスの)、一種の暗さを秘めた緑が好きなのである。根強く生きているという感じがする。
この映画の舞台になっている「ホール」の姿にも、何か、その根強さと共通するものを感じた。歌ってダンスして楽しむ。その一方で、音楽を教えたり、詩を語り合ったりする。地域の人が自主的に集まってきて、自分のできることを教えあい、楽しみ、生きていく。そこから、どこかへ出て行くわけではない。そこに根を張って、そこで生きて、楽しんでいる。ほかのことは、望まない。その「ささやかであること」の強さ、貧しさ、寒さを団結することではね返すような強さ……と書いてしまうと「意味」になりすぎるのだろうけれど。そういうものを感じる。
ここで生まれた、だからここで生きる、自分の意思で生きる、そのために工夫する。これは、どこでも必要なことだろうけれど、特に北の貧しい土地では、そういうことが必要だ。南国のように、放っておいても実りがあるわけではない。それが北の緑だ。
この映画の主役は、地主の搾取、資本主義体制と闘い、そのために国外に通報された青年だが、その主張が「労働者(農民)の権利の拡大」というよりも、「いま/ここで生きる」ということを妨げるものと闘うという感じなのが手ごわい。外に出ていかない。ただ「ホール」を守る、「ホール」で歌い、ダンスをし、いっしょに学び、教えあう。つまり、そこに生きる人がみんな根を張ってしまう、というのが手ごわい。
この映画で描かれているわけではないが、この「根を張る」という生き方は、資本主義にとってはいちばん困る問題かもしれない。資本主義は労働者をより合理的に組織しなければならない。人を集めなければならない。また、余分になったら、切り捨てなければならない。人が流動しないことには産業というのは合理的に組織できない。ひとと土地を切り離してしまわないと、人間は流動しない。
主役のジミー、主役の「ホール」は、その「根を張る」拠点である。「ホール」があるかぎり、若者は「ホール」に集まる。その土地を離れて、どこかへ出て行く必要がない。もし必要なものがあればと、それを「ホール」に持ち込めばいい。そういうことの象徴が、ジャズとジャズにあわせたダンスだ。ジミーはアメリカに追放されていたとき、ジャズクラブでジャズを聴いた。ダンスもした。それを「ホール」で再現する。みんなが夢中になる。ニューヨークへ行かなくても、「ホール」がニューヨークと同じ「場」になる。「世界の中心」になる。人間の行動が、「場」を豊かにかえていく。そこに集まる一人一人が豊かになれば、そこが豊かになる。その豊かさは、「金銭」の豊かさではない。精神の豊かさだ。
大人とこどもがいっしょになって詩を読むシーンがある。少女が朗読を終える。そのあと、詩の「意味」を問題にするのではなく、まずどう感じたか、何を感じたか、それを言ってみようと、その場のリーダーがいい、それに応じて一人が語りはじめる。語ることで、そしてそのことばを聞くことで、だんだんこころが豊かになっていく。そういう豊かさが、とても美しい。ことばを共有することで、豊かになっていく。
ジミーは結局、再びニューヨークへ追放される。この「追放」は、また、資本主義の限界をあらわしているとも言える。ジミーがアイルランドにいるかぎり、「根を張る」という運動は生まれてしまう。「根」を遠ざけるしかない。「根」を分断するしかない。そこに資本主義の弱点がある。資本主義と闘うときの「原点」は、生まれた場所から離れない、そこで生きるという方法なのだ。人間は、どこでも豊かに暮らせる、豊かになるためには「ホール」が必要だ。
北国の、緑の生き方を、そこに重ね合わせるように、私は映画を見た。
アイルランドの、どの町かも私にはわからない小さな町(あるいは田舎といってしまった方がいい)を舞台に、私には聞いたこともない青年を取り上げ、きちんとその主張を、「ホール」のにぎわいのなかで具体化するケン・ローチに敬意をあらわしたい。「ありがとう」と伝えたい。
(2015年01月24日、中洲大洋4)
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