新川和江『続続・新川和江詩集』(現代詩文庫210 )(思潮社、2015年04月30日発行)
巻頭の「苦瓜を語るにも……」という作品。
一連目は詩を書くときの姿勢を書いている。対象と釣り合うことばの「重さ」。そうか、「重さ」か。どちらが先にでてきたのだろうか。「釣り合う」ということが先にあらわれて、それから「重さ」がやってきたのか。「重さ」が先で「釣り合う」があとか。無意識に、つながって出てきたのかもしれない。
もしかすると、一連目を書いているときに、すでに二連目が予感として存在し、「いのちの重さ」ということばが動いているのかもしれない。
その一連目から、二連目へ。
「量る」から「量られる」へと「動詞」の形がかわる。「わたくし」が「量る」のではなく「わたしく」が量られる。だれから? こういうとき、ひとは、たいがい「主語」を書かない。「主語」がだれであるか、新川は「無意識」のうちに納得している。
でも、だれ?
「神」と考えるのが一般的かもしれない。このときの「神」は「人間」を超える存在をさして「神」というのであって、特定の宗教の「神」ではないだろう。
「生かされている」ということばのなかにある「生」、そして「死」ということばを手がかりにすれば「いのち」そのものを支配している「運命」というものかもしれない。(こんなことはいちいち書かずに、ぱっと納得してしまうものかもしれない。しかし、私はこだわりたい。「神」というものを考えたことがないので、簡単に「神」といっていいかどうかわからない。)
このとき、新川が「わたくし」という前に「われわれ」という複数形をつかっていることから考えると、その「神」とか「運命」というものは、新川個人のものではなく、「人間」に共通するものである。
だから「いのちの重さ」も「わたくし」個人のものではなく、個人を超えるもののことである。個人は生きて、死ぬ。しかし「人間」は死なない。「他者」へとつながってゆく。広がっていく。拡大して行く。
三連目。
巻頭の「苦瓜を語るにも……」という作品。
苦瓜を語るにも 水盤をうたふにも
場合場合に釣り合つた重さのことばを量り分けようと
わたくしのなかの天秤は
終日 揺れやむことが無い
われわれもつねに量られてゐる
死とのあやふい均衡において
からうじて今日わたくしは
生かされた と思ふ
一連目は詩を書くときの姿勢を書いている。対象と釣り合うことばの「重さ」。そうか、「重さ」か。どちらが先にでてきたのだろうか。「釣り合う」ということが先にあらわれて、それから「重さ」がやってきたのか。「重さ」が先で「釣り合う」があとか。無意識に、つながって出てきたのかもしれない。
もしかすると、一連目を書いているときに、すでに二連目が予感として存在し、「いのちの重さ」ということばが動いているのかもしれない。
その一連目から、二連目へ。
「量る」から「量られる」へと「動詞」の形がかわる。「わたくし」が「量る」のではなく「わたしく」が量られる。だれから? こういうとき、ひとは、たいがい「主語」を書かない。「主語」がだれであるか、新川は「無意識」のうちに納得している。
でも、だれ?
「神」と考えるのが一般的かもしれない。このときの「神」は「人間」を超える存在をさして「神」というのであって、特定の宗教の「神」ではないだろう。
「生かされている」ということばのなかにある「生」、そして「死」ということばを手がかりにすれば「いのち」そのものを支配している「運命」というものかもしれない。(こんなことはいちいち書かずに、ぱっと納得してしまうものかもしれない。しかし、私はこだわりたい。「神」というものを考えたことがないので、簡単に「神」といっていいかどうかわからない。)
このとき、新川が「わたくし」という前に「われわれ」という複数形をつかっていることから考えると、その「神」とか「運命」というものは、新川個人のものではなく、「人間」に共通するものである。
だから「いのちの重さ」も「わたくし」個人のものではなく、個人を超えるもののことである。個人は生きて、死ぬ。しかし「人間」は死なない。「他者」へとつながってゆく。広がっていく。拡大して行く。
三連目。
夜更けに空を仰ぐと
南の天涯にもやはり秤があつて
をとめ座とさそり座の間
いづれかに傾がうとして幽かに揺れるのが見える
「わたしく」という個人から人類へと広がった視線は「地球」から宇宙へと広がってゆく。このとき、「神」ということばが、私の「頭」からぱっと消える。
ああ、さっぱりしたなあ。いいなあ、と思う。
宇宙の均衡。まあ、それも「神」がつくったというひとがいるかもしれないが、宇宙は人の「生死」を超える。かぎられた時間を超えるものが宇宙にある。
二連目の「生かされた」は、「人間」であることを思い出させることばだが、三連目には「人間」であることを忘れさせるものがある。人間とは無関係に動いている宇宙。その「摂理」。そのなかで、逆に、死んでいかなければならない「いのち」の小さな輝きがいとおしく思える。
詩がほんとうに「釣り合う」必要があるものがあるとしたら、この「摂理(真理)」なのかもしれない。そういうことを新川のことばは考えさせてくれる。
新川のことばは「苦瓜」のような具体的なものから動きはじめ、宇宙の摂理(真理)へまで、すばやく動いていく。そのすばやさを支える、ことばのむだのなさ、ととのえ方のなかに美しさがある。
続続・新川和江詩集 (現代詩文庫) 新川 和江 思潮社
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