詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

新川和江『続続・新川和江詩集』(2)

2015-10-02 10:35:51 | 詩集
新川和江『続続・新川和江詩集』(2)(現代詩文庫210 )(思潮社、2015年04月30日発行)

 『はね橋』から「路上」という作品。

おとうふを買いに行って
はからずも 母に会った
おとうふを買いに行かなければ
会えないおかあさんだった
陽がやや傾きかけた時刻
容れものを持って
西のおとうふ屋へ
おとうふを買いに行かなければ

 とうふを買いに行き、こんなふうにして母はとうふを買いに行っていたなあと思い出している。「肉体」で母親をなぞり(母親の形になり)、ことばで言い直している。とても自然な詩。
 私は、「肉体」が覚えていることだけが「ほんとう」のことだと思っている。「肉体」が思い出し、「肉体」でそれを繰り返す(つかう)。そうやって「いのち」は続いていると考えている。
 で、この「母」を反復する新川の「肉体」について書きたいことがたくさんあるのだけれど、それを「詩」というから見直すとき、ことばのなかに別なものが見える。

おかあさん

 このことばが、四行目に「突然」出てくる。二行目には「母」とある。ふつう、肉親のことを書く場合「母」と書く。「おかあさん」とは書かない。というのは、まあ、「日本語」の古いしきたりかもしれないが。新川も、そのしきたりにしたがって書いているのだが、四行目で「母」と書くことを忘れて、「おかあさん」と書く。
 この瞬間、新川は「書く」ということ、だれかに自分のことを語るということを忘れている。「母」にひっぱられて、「こども」にもどっている。「母」と新川しかいない。ふたりのときは「母」に対して、「母」とは言わない。「母は、きょうはおとうふを買いに行かないの」とは言わない。「おかあさん、きょうはおとうふを買いに行かないの」と言う。
 これは、「ことばの肉体」の動き。それも「口語」の「ことばの肉体」の動き。「肉体」になった「ことば」の動き。
 「おかあさん」ということばには、「母」というときとはちがった「距離感」がある。「近さ」や「つながり」がある。
 新川は単に母の姿を思い出しているのではない。その母の姿につながっている何か、あたたかいつながり、安心、というようなものを思い出している。それを「おかあさん」ということばであらわしている。

--わたしも 会いたいわ
この頃すこし老けた妹が
しおらしいことをいうので
ある午後誘って
おとうふを買いに行く
水を張ったボールに
一丁ずつ入れて買い
西陽を背にうけ 帰ってくる

路上に母がいる
アルマイトのボールを抱え
おとうふを買いに行った日の母が
そろりそろり 歩いている
--ほんとうだ
  まあ おかあさん--
それに今日は 二人も並んで
母が歩いている

 ここでも同じ。「母」ということばと「おかあさん」ということばが出てくるが、「おかあさん」と行った瞬間、そこには突然「こどもの時間」があふれてくる。母をみつけた喜びがあふれてくる。
 妹と新川は、「母」になって歩く。「母」は「二人」になる。「二人」になるのは「母」であって、「おかあさん」ではない。「おかあさん」は「肉体」では表現できない。繰り返せない。「おかあさん」ということばは、瞬間的にあふれてくる気持ちなのだ。

 こういう「ことばの肉体」を引き継いで行くのは難しい。それを難しいと感じさせないで、あたりまえのようにして書いている。この「おかあさん」ということばが、この詩のいちばん美しいところだ。

 と書いておいて、こういうことを書くのは……と少しためらいがあるのだけれど。

この頃すこし老けた妹が

 という一行に私は笑ってしまった。妹が「すこし老けた」なら、年齢的には「姉」である新川は「もっと老け」ているだろう。自分だけ年をとらず、他人だけが年をとっていくように見える。これは人間の奇妙な錯覚だ。いわば、「わがまま」な錯覚だ。そういう「わがまま」と「おかあさん」がいっしょにあらわれている。
 こういうことろに、何とも言えない「人間の幸福」のようなものが輝いている。
続続・新川和江詩集 (現代詩文庫)
新川 和江
思潮社


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