詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

詩集「注釈」残部僅少

2015-10-25 22:06:36 | 詩集
2015年10月24日、西日本新聞文化欄に岡田哲也さんが、「注釈」の批評を書いています。
pdfファイルでアップします。
(先日アップした、読売新聞西部版・文化欄の、渡辺玄英さんの批評も再度アップ)

「注釈」は1000円(送料込)で発売中。
「注釈」+「谷川俊太郎の『こころ』を読む」(1800円)=2000円(送料込)
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上原和恵「べべの変格活用」

2015-10-25 09:45:30 | 現代詩講座
上原和恵「べべの変格活用」(「現代詩講座」@リードカフェ、2015年10月21日)

 いろいろな詩を読むと、「あ、こんなふうに書いてみたい」と思う。そして実際にやってみる。自分の思ってけいたことが、いつもとは違ったことばのなかを通ることで、新しい自分に出会える。
 今回は、そういう作品。

べべの変格活用    上原和恵

赤いべべ着て朱の鳥居をくぐり
柏手で七つのお祝いおさめ
お狐さんの赤いべべの後ろに隠れ
神隠しにあったと大騒ぎする親を
「こん」と笑った

右と左の二つにわかれた
朱の鳥居のトンネルの始まりに
どちらを行けばよいのかと
白いべべをめくり
「えい」と高く下駄をほうると
右の鳥居に「こん」とあたり
ちょっと通してくだしゃんせ
くぐり抜けた先なんて誰にも分かりゃしない
「えい」と運に任せ
右のほそ道に一歩の歯型をつける

お日様がきらきらと隙間から降りそそぎ
朱に照り返されたべべは
たぎった血管と合わさり
白いべべは朱のべべとなるが
下付きの黒色が足をもつれさせ
水銀の毒気におかされたのか
崩壊寸前の精神で
白いべべは黒ずみ
行きはよいよいではなかったし
左の方にも怖くて帰れない

赤いべべ着れば気が狂ったと
ばばの白色のよだれかけは悲しく
早く神に召されよと
子どもたちが祈願する

 受講者の感想。

<受講者1>タイトルがおもしろい。最初「ベベ」はひとの名前かと思った。
      かわいいことと、怖いことが生々しく混じりあっている。
      「たぎった血管」、血管がたぎるというのがおもしろい。
<受講者2>「ベベ」は服。
      最初は明るいが徐々にかわっていく展開。
      「下付き」からがこわい。
      水銀、毒気、崩壊と一気に底に突き落とされる。
<受講者3>おもしろい。「赤いベベ」は七つのお祝い。
      横溝精史の小説のよう。
      最後に上原さんの願望がでているのがおもしろい。
      「変格活用」が聞いている。「ベベ」の変化をあらわしている。

 筆者の上原は、「変格活用」ということばがおもしろくて、自分でもつかってみたくて書いた。テレビで稲荷神社を包装していて、そこから触発された、ということだった。
 詩は、書かれている内容というよりも、書き方。作者がどんなに感動的なことを体験しようと、その「書き方(ことば)」がおもしろくなければ、読んでもおもしろくない。おもしろくなるためには、まず作者が自分のことばを「おもしろい」と感じないといけない。「変格活用」ということばはおもしろい。だから、それをつかいたい--こういう詩の出発は楽しい。書きたい、書くことで何かを見つけたいという欲望が動いている。
 どんな「変格活用」があるだろうか。

<受講者1>赤いベベ、白いベベ。
<受講者2>鳥居の朱色とベベの赤。「赤」という色のなかの変化。
<受講者1>色の変化。黒も出てくる。
上原    水銀は朱色の下色。(鏡の朱泥)
<受講者3>右と左。
<受講者2>行きと帰り。
上原    「べべ」と「ばば」も変格のつもり。

 この上原の意図(?)は一連目の「神隠し」と最終連の「神に召されよ」という「変格活用」を言い直したものだろう。幼い子供は「神隠し」にあう。年取った老人は「神に召される」。どちらも「この世」から消える。親は「神隠し」にあったこどもを心配する。こどもは「ばば(老人)」は早く死んでしまえと祈る。
 現実に、こどもがそんなことを思うのはよくないことかもしれないが、詩は「現実」でも「倫理」でもない。どんな「欲望/本能」でも、それが正直に動くなら、それでいい。私たちは、自分のできない「欲望/本能」をことばのなかで体験するということが必要なのだ。
 殺人者が主人公の小説でも、その殺人者が失敗すると、「殺人がなくてよかった」とは思わずに、「ああ、こんなことで失敗して」と思ったりする。警官に追われると、早く捕まってしまえ、とは思わずに、はらはらどきどきする。一方で、そのはらはらどきどきが楽しい。わくわくする。
 倫理的に考えると変なのだけれど、そのとき私たちは「いのち」の何かに触れているのだと思う。
 この詩は「七つのお祝い」(こどもの成長を祈る)から始まり、「ばばの死」まで「いのち」が「変格」していく。順序正しくというより、まあ、そのときの都合で思わぬ道をたどって動いてしまうということを書こうとしている。「くぐりぬけた先なんて誰にも分かりゃしない」の「分からない」が、そのことを端的に語っている。
 欲を言えば、その「変格」のハイライトの三連目が、もっと強烈、もっとでたらめ、もっと欲望丸出しという具合ならおもしろい。「ばばは神に召されよ(死んでしまえ)」が老人なのだから死ぬのはあたりまえ、くらいの感じで響いてくるくらいになると、詩はたのしい。こんなに苦しいなら死んだ方が楽、というくらいのことを三連目で書けると、詩は強烈に輝く。
 鳥居をくぐりぬけることが産道をくぐりぬけること、生まれていながらもう一度ど生まれ変わることにつながるとおもしろい。(そういうことを書こうとしたのだろうと推測できる。)セックスがあって、血管がたぎり、白い精子を受精し、卵子が分裂しはじめ、胎児の形になり、羊水の荒海を生き抜き、血まみれになって産道から新世界へとび出す。泣きわめいて自分の存在を告げる。その爆発的な力が、古い人間に「邪魔だ、邪魔するな、早く死んでしまえ」と言えると、詩は楽しい。
 「毒気」とか「崩壊」ということばに「代弁」させているのが、ちょっと残念。
 でも、あんまり乱暴なことを書くと批判される。それが、心配。そうかもしれない。えっ、このひとほんとうはこんなわがままなひとだった?と思われるのは困る。そうかもしれない。でも、逆に、よく書いてくれたと思うひともいるかもしれない。ほんとうは、こう言いたかった、言いたかったのはこういうことだ、と思うひとがいるかもしれない。
 「誤解」なんか、どうでもいい。人間は誰でも「誤解」されるもの。「誤解」されることを利用して、思い切って自分ではなくなってしまえばいい。
 でも、これは次の課題。

 ちょっと後戻りして。
 こういう詩は、どうしても「大きな変格」(三連目)に目を奪われ、そこを中心に感想が動いてしまうが、小さな「変格」に目を止め、

<受講者3>一連目の「こん」と笑った、二連目の「こん」とあたりがおもしろい。
      二回出てくる「こん」がいい。

 という指摘があった。
 一連目は狐の「声」、二連目は下駄が鳥居にあたる「音」。
 とても耳のいいひとだ。
 一連目の「こん」も二連目の「こん」も、ほんとうは「こん」ではないかもしれない。でも「こん」と同じ「ことば(音)」で書く。その「同じ」のなかにある「違い」。それこそ「変格」のいちばん大きいものかもしれない。
 「赤」と「白」は区別がはっきりしている。「七つの子」と「ばば」も区別がはっきりしている。「表記」そのものが違う。狐の鳴き声と下駄が鳥居にあたる音も違うはずなのに「こん」という「表記」が同じ。「表記」ではないことろ、「おもて」ではなく「奥」で何かが違う。
 ことばでうまく説明できないものを通りぬけているので、一連目と二連目は、不思議にスムーズにつながりながら、ずれていく。その「絶妙」な動きを支えているのが、この「こん」の「変格」である。
 で、その「こん」が「えい」という「声」に「変格」してゆく。
 この「えい」は二回出てくる。
 最初の「えい」と次の「えい」は、やはり「変格」しているが、この「変格」は狐の声と下駄の音よりもっと微妙だ。下駄をほうるときの「えい」は、まだ「運任せ」ではないが、一歩踏み出すときの「えい」は肉体そのものの動きなので「運任せ」が強い。「肉体」で「運」を実践するのだから、それは「任せ」ではないのだけれど、「任せ」というしかない何か、「分からない」何かである。「分からない」ことでも、人間は何かをすることができる。「肉体」が何かをしてしまう。「わからないまま」。
 二連目がていねいであるだけに、三連目が、やはり急ぎすぎている感じがする。
 でも、これは先に書いたように、次の課題。
 いっしょに詩を読んでいるひとが変わっていくのを見るのは楽しい。

*

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