詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

イスラエル・ホロビッツ監督「パリ3 区の遺産相続人」(★★)

2015-12-17 11:00:48 | 映画
イスラエル・ホロビッツ監督「パリ3 区の遺産相続人」(★★)

監督 イスラエル・ホロビッツ 出演 ケビン・クライン、クリスティン・スコット・トーマス、マギー・スミス

 パリ(フランス?)にはなかなかおもしろいシステムがある。不動産を持っている高齢者が住宅を売る。ただし即売というわけではない。売り手は死ぬまでそこにすみつづける権利があり、「年金」を買い手から受け取る。死んだら不動産は買い手のものになる。売り手が早く死ねば買い手がもうかり、長く生きていると買い手が損をする。ときには買い手が先に死んでしまうこともあるらしい。
 そのシステムを利用して、父親がアパートを買った。父親が死んで、息子がそのアパートの相続にパリに来てみたら92歳の老人が、まだ元気に生きていて……というストーリー。そのうち、父親はアパートを買うことが「目的」ではなく、そこに住む老いた女性の老後を支えるために、その「年金システム」を利用したということがわかる。父親と女性はかつては恋人。女性の夫が先に死んでしまったので、彼女の生活を支えるために「年金システム」を購入したのだ。息子は、そんなこととは知らず、アパートを売れば一儲けできるくらいの気持ち。
 で、映画のおもしろさは、そういうこととはあまり関係ない。
 だいたい「人間関係」がややこしく、しかもそれは「秘密」だったことがら。それをせりふで説明するのだから、どうもめんどうくさくていけない。劇的な展開もない。小説なら、きっとおもしろい。自分のペースで「ことば」を読み進み、その瞬間瞬間、登場人物の「心情」を想像し、共感したり、反発したり、じっくりと楽しむことができる。
 映画は、そういう具合にはいかない。役者の演技のスピードにあわせて観客が「感情」を共有しないといけない。なかなか、むずかしい。
 はずなのだけれど。
 これが、なかなか。
 ケビン・クライン、クリスティン・スコット・トーマスがうまいんだなあ。特別かわった演技をするわけではない。ただそこにいて、せりふをしゃべるだけ。よけいなことをしない。その、そこにいるだけ、という感じが古いパリのアパートの感じに非常によく似合っている。
 古いアパート、庭の緑、街並み……が持っている「時間」がある。その「時間」と「同化」する感じで、二人が生きている。ケビン・クラインはニューヨークからやってきたので、ほんとうはパリは知らない街、そこに「衝突」が起きても不思議ではないのだが、小さいころパリにいたという設定。それがなんとも心憎い感じで、パリになじんでいる。「違和感」をときどき出しながらも、基本的にパリに「同化」している。基本は「パリッ子」という感じ。ふるさとに帰って、ふるさとの「時間」を思い出し、ふるさとの人間にかわっていく感じ。
 自分を「取り戻す」という感覚かな。
 この「自分を取り戻す(あるいは自分を発見する)」という感じと、古いパリのなじみ方が、いや、ほんとうにおもしろい。
 人間ドラマなのだけれど、それが「個人的人間」というよりも、パリの人々の生き方のドラマになっていて、ケビン・クライン、クリスティン・スコット・トーマスという「個人」が見えてくるというよりも、パリそのものが見えてくる。「個人的な感情のドラマ」が個人的な「肉体」のなかで浮き上がってくるというよりも、あふれてくる感情が、静かに古いアパートの調度、窓から入ってくる光、空気のなかにひろがって、そこに溶け込んでいく感じ。どんなに感情があふれても、それを受けいれる「空気」がある。その「空気」のなかに、人間が落ち着いてゆく。「空気」のなかで「ほんとうの姿」に戻っていく。
 この「空気」を壊さないように、ケビン・クライン、クリスティン・スコット・トーマスが演技をしている。「空気」にもどっていくのが、当然、自然、という感じの演技をしている。なかなかすごい。
 マギー・スミスもイギリス人の役なのに、パリに長い間すんでいて、もうパリのひとという感じ。パリを生きている。イギリスの「個人主義」では、何と言えばいいのか、家具さえも「聞いていないから秘密は知らない」という感じの独立感(拒絶感)があるのだが、パリでは「聞いていないけれど、みんな知っている(知らないとは言わせない)」という「秘密の共有感」がテーブルや椅子や食器(食事)にまであふれ、「空気」になっていて、そういう感じをマギー・スミスも体現している。(マギー・スミスとクリスティン・スコット・トーマスのクライマックスの会話は、「知らないとは言わせない」という感じの、「秘密」の暴露だよね。イギリスの会話なら、そういうことは知っていても「聞いていないから知らない」という「過去」を無視した展開になる。)
 セーヌ河は出てくるが、特に「名所」が登場するわけでもないのに、いや登場しないからこそなのかもしれないが、パリが美しい。「恋愛」というものは、いつでも美しいと同時に、どうすることもできない「不純」を抱え込んでいるものだが、だからこそ人間の美しさが浮かび上がる。「不純」をつきやぶる「いのち」が美しくなる。そういうことが、パリではいつでも起きる。
 パリにいる気分になってしまう。パリにゆきたくなる映画である。
                      (2015年12月16日、KBCシネマ2)





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