詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ジェームズ・バンダービルト監督「ニュースの真相」(★★)

2016-09-04 19:07:15 | 映画
ジェームズ・バンダービルト監督「ニュースの真相」(★★)

監督 ジェームズ・バンダービルト 出演 ケイト・ブランシェット、ロバート・レッドフォード

 映画は、ブッシュ大統領の「軍歴詐称」報道をめぐる「裏話」。しかし、そこで明かされるのは、ブッシュに軍歴詐称があったかどうかではない。それはわきにおいておいて、ひとは何を真実と思い、思い込んだ真実を証明するために何をするか、が描かれている。ケイト・ブランシェットはブッシュの軍歴に疑問を感じ、それを証明しようとする。ブッシュ支持派はその報道に疑問を感じ、報道が「誤報」であることを証明しようとする。
 結果的にケイト・ブランシェットの「過失」が描かれるのだが、うーん、緊迫感がときどき欠ける。
 ロバート・レッドフォードのせいである。ロバート・レッドフォードは「真実」をニュースのアンカーマン。自分で直接「真実」を掘り起こすのではなく、ケイト・ブランシェットが掘り起こしてきた「真実」をインタビューをつうじて補強するという役どころなのだが。
 どうも、存在が「借り物」っぽい。
 まあ、「役どころ」が、自分で「真実」を掘りあてるというのではないから、そうなってしまうのかもしれないが、どうも「軽い」。
 「借り物」っぽく感じてしまうのは、「顔」のせいである。年齢を重ねて生まれる「表情」がない。もともと「表情」にとぼしい役者だとは思うが、最近は、特に「表情」が乏しい。深みがない。重みがない。こんな顔でニュースを読まれたら、とても「真実」とは感じられない。
 途中にハリケーン報道が出てくるが、あの「お天気おじさん」くらいなら、まあ、いいかなあとは思うのだが。
 なぜ、「借り物」というか、嘘っぽく感じてしまうのか。たぶん、「整形」のせいである。どうみても不自然な顔である。目がとても不自然である。目に昔の面影がない。頬もしわがない。目と頬が、アンバランスである。髪も、前髪(生え際)がかつらっぽいなあ。口元は昔の面影を残しているが……。
 で、なぜか、ブッシュの「軍歴」が詐称であるかどうかよりも、ロバート・レッドフォードが整形しているかどうか、その真相をはっきりさせてくれないかなあ、整形の「証拠」のようなものが、どこかにないかなあ、と思ってしまうのである。
 先に「整形疑惑(?)」を解決してくれないことには、「ニュースの真相」を追いかける気持ちになれない。
 ケイト・ブランシェットが、とても生々しいだけに、よけいにそういうことを感じる。

 で、「映画」の感想になるのか、ならないのか、よくわからないが。
 ひとり頑張っているケイト・ブランシェットの「生き方」で、私が共感するのは「質問をする」という姿勢である。「質問」だけが、世界を変えていくという信念である。この信念をケイト・ブランシェットは強烈に演じている。映画では「質問」という「字幕」になっていたが、私は「疑問」と思って映画を見た。「疑問」というのはソクラテスが対話をはじめるときの出発点にしたものだ。「疑問」が民主主義の出発点、権力の暴走を押しとどめる力だと思っている。
 「真実」などというものは、たぶん、「わからない」。誰もが自分が「真実」と思いたいものを真実と断定する。その断定された真実に「疑問」が入り込む余地がないか。ニュースは「真実」をつたえなければならないが、同時にそこに「疑問」があるということもつたえなければならないのではないか。「疑問」を報道することも、ニュースの責任ではないかと、私は感じている。「疑問」を「批判」という形にととのえ直して、真実の照明を求めるというのは報道の仕事だと思うが、そういう報道が少なくなってきていることに対して、私はとても不安を感じている。
 この映画では、「疑問」への「立証」、ブッシュが軍歴を詐称しているのではないかという「疑惑」を証明することを、疑問を感じた人に対して求めている。これは「疑惑」だけで他人を批判すれば「名誉棄損」になるからだ。それはそうなのだが、ブッシュのように「権力の座」にいる人間は、疑問を抱かれたら、それに対して「反証」する責任があるのではないかとも思う。この映画で言えば、正確な、空白のない「軍歴証明書」を提出する責任はブッシュにあるのではないかと思う。「軍歴詐称」の「根拠」とした文書が偽造されたものだから、ブッシュに「軍歴詐称」はない、とはならないと思う。あくまで、その文書を根拠に「軍歴詐称」と断定できないというだけのことである。「軍歴」への疑問はのこりつづける。
 「疑問」はまた「批判」でもある。「批判/疑問」を封じたまま、報道されるものは、「宣伝」にすぎないと思う。
 でも、これは映画の中の、ケイト・ブランシェットに寄り添いすぎた感想になるのかな? ロバート・レッドフォードを見ていると、「疑問」を追及するという感じがなかなかつたわってこない。「真実」を発見した、という喜びもつたわってこない。
                     (KBCシネマ1、2016年09月04日)



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自民党憲法改正草案を読む/番外14(情報への疑問「日露首脳会談」)

2016-09-04 00:00:00 | 自民党憲法改正草案を読む

 2016年09月03日読売新聞夕刊(西部版・4版)に、「日露平和条約 決着に意欲/首相演説 首脳会談 定例化提案」という記事が載っている。安倍が、ウラジオストクで開かれた「東方経済フォーラム」で演説したことを紹介している。その演説の中で安倍は、

日露間で平和条約が締結されていないことに言及し、ロシアのプーチン大統領に「70年続いた異常な事態に終止符を打ち、次の70年の日露の新たな時代をともに切り開いていこう」と早期決着を呼びかけた。

 とある。
 しかし、「日露平和条約」によって「北方四島」がどうなるのか、安倍がどうしたいのか、それがよくわからない。

また、安倍の演説のポイントとして

ロシア産業の多様化や生産性向上を進め、ロシア極東地域をアジア太平洋に向けた輸出拠点とするために協力する

 をあげている。
 このとき「輸出拠点」として考えられているは、どこだろう。ウラジオストクらしいのだが、ウラジオストクの輸出拠点化に協力するから、「北方四島」は日本に返すという形になるのだろうか。そんなうまい具合にいかないだろう。
 そのとき、いま「北方四島」に住んでいるロシア人はどうなるのだろうか。ロシアに帰るのだろうか。もしロシアに帰るのだとすれば、彼らはロシアのどこに住むのか。そして、そこへ帰るための費用、さらには新しい土地で生活するための費用などは、どうするのだろう。
 こんなことは「首脳会談」のテーマではなく、そういうことは「実務者」に任せておけばいいのかもしれないが、私は自分に理解できる「現実」しか考えることができないので、気になって仕方がないのである。
 「平和条約」を結ぶことについては、だれも反対しないだろう。
 しかし、その「平和条約」と「北方四島」が占領された状態のままでは、締結はむずかしいと思う。急いで(つまり、安倍の首相任期中に)平和条約を締結するとなれば、「北方四島」は棚上げした状態での締結になってしまうと思う。
 
 で、そこから私は、違うことを「妄想」するのである。

 いま、日本とロシアは「戦争」の危機にあるか。ない。「北方四島」が占領されているにもかかわらず、日本は「北方四島」を奪還しようとはしていない。(かわりに、経済協力を申し出ている。)「戦争を放棄しているから」と言えばそうなのだが、一方で、「戦争放棄」をかかげる憲法を改正しようとし、日本の領土でもない南シナ海での中国の動きを批判し、「戦争」にそなえているのに、どうして「北方四島」は占領されたままの状態で平気なのか。たぶん、「北方四島」が占領されている状態をアメリカが「黙認」しているからだ。アメリカとロシアは、「北方四島」をロシアが占領することで「合意」しているのだ。ロシアが「北方四島」を占領していることを、アメリカは日本の主権が侵害されているとは考えないのだ。もし、ロシアが武力で「北方四島」を占領しているとアメリカが判断しているのだとしたら、日米安保条約にしたがって、「北方四島」を取り戻すのがアメリカの「義務」になる。しかし、アメリカはロシアと戦争などしたくないから、「北方四島」は知らん顔なのである。「北方四島」は「平和」なのである。「平和条約」など結ばなくても、「平和」のまま、「暮らし」が続いている。
 では、なぜ「平和条約」? 70年間、そういうものがなく、「北方四島」が占領されたままで平和なら、今後70年も、そのままで「平和」なのではないのか。なぜ、新しく「平和条約」を結ぶ必要があるのか。「北方四島」をどうするかを明確にしないまま、「平和条約」の締結を呼びかけるのはなぜなのか。
 私は、歴史は苦手(昔のことを覚えさせられるのが大嫌い)だが、かつて「日ソ不可侵条約」とか「日ソ中立条約」というものがあったはずである。これは日本が第二次大戦のとき、ソ連と戦争を回避するために結ばれたものである。
 いま、また、同じことをしようとしているのではないのか。
 ロシアとは「戦争」をしたくない。ロシアとの戦争を封じるために「平和条約」を必要としている。安倍が、もし、ほかの国へ戦争を仕掛けることがあっても、そのとき、ロシアがその国を支援し(集団的自衛権を行使し)、日本に攻撃を仕掛けてくることがないようにするために、「平和条約」を結ぼうとしているのではないのか。
 北海道側から、日本海側から、ロシアが「参戦」してきては、こまる。だから、「平和条約」も結べば、ウラジオストクの経済も支援する。輸出拠点化に「金」をばらまく。「金」で「北方」の「安全」を買って、南方の「戦争」にそなえる。それを狙っているのではないのか。
 安倍が中国に戦争を仕掛けたとき、ロシアが中国の味方をしては困るのだ。「戦場」が南シナ海や中国大陸だけなら、まだ、いいのだが、ロシアが中国の援護をするために、「北方」から日本へ攻撃を仕掛けてきたら、日本の戦力は「南方」と「北方」のふたつに分断される。これでは、「敗戦」は目に見えている。

 そうならないようにするには、どうすればいいか。ロシアが「北方」から日本に攻撃をしてこないように「先手」を打つのが一番である。そのために「平和条約」を締結しようとしている。

 もちろん、こんなことは、どこにも書いていない。つまり、安倍がそう考えているとは、どの新聞も書いてはいない。「妄想」だからである。
 しかし、私は取材して、事実を書く人間ではないので、「妄想」をそのまま書く。言い換えると、ニュースを読んで感じた「不安」を拡大して、書く。
 安定している(膠着している、ともいうことができる)ロシアとの間に、「北方領土」という問題を抱えながら「平和条約」を結ぶためにあれこれ交渉するなら、その労力を中国との交渉に振り向けるべきだろう。南シナ海での中国の行動を批判するだけではなく、その行動をとめさせるために何ができるかを提案すべきではないのか、と思う。






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