詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

自民党憲法改正草案を読む/番外19(情報の読み方)

2016-09-13 10:43:41 | 自民党憲法改正草案を読む
 7月13日のNHKニュース「天皇の生前退位」を、私は安倍が籾井NHKをつかって仕組んだものと、いまでも疑っている。
 どういうことか。
 2016年09月13日読売新聞朝刊(西部版・14版)4面に「論点 生前退位」の5回目が参考になる。その最後の部分。少し長いが引用する。(段落の頭の数字は私がつけたもの。一部、肩書を補足した。)

 (1)今回、天皇陛下が生前退位の意向を持たれていることが表面化したのは、7月13日夜のNHKニュースだった。写真週刊誌「フライデー」が「『天皇の意向』を受け止めた秋篠宮」として、NHKの報道には皇室の意向があると報道すると、風岡(典之宮内庁)長官は記者会見で自らこの報道に言及し、「このような事実は一切ない」と強く否定した。陛下の意向を皇室側から問題提起したことはないと強調したとみられる。
 (2)お言葉から1か月たった9月8日。安倍首相は訪問先のラオス・ビエンチャンで記者団に今後の議論の進め方について初めて言及した。
 (3)「天皇陛下が国民に向けてご発言された。それに対して国民から、この問題に対応すべきだというご意見が多数ある中で、我々も検討しなければならないと考えている」
 (4)陛下のお言葉があったから検討するのではなく、国民が何らかの対応を取れと言っているので、政府が検討を進める--というわけだ。
 (5)「国民の反応」というワンクッションをはさむことで、天皇には「国政に関する権能」がないとする憲法との整合性を保つ。政府側も発言の一つ一つに苦心の跡が見える。

 (1)で風岡長官は「陛下の意向を皇室側から問題提起したことはないと強調した」と書いてある。この部分は、秋篠宮の「天皇定年制」発言を念頭においてのものだとも読めるが、「天皇の生前退位」そのものが、皇室側から(宮内庁から)提起したものではないという意味にも受け取れる。(読売新聞が、どう言おうとしているか、ここからははっきりとは判断できない)。
 そのあとの部分で気になるところをピックアップすると。
 (2)では、安倍が、なぜビエンチャンで記者団に語ったかということ。ビエンチャンに同行する「記者団」は、いわば安倍のスポークスマンである。安倍の言うことは、そのまま正確につたえるだろうが、安倍に対して「いじわる」な質問はしないだろう。批判的な質問はしないだろう。それを前提にして、安倍は「安心して」発言している。
 記者から質問(批判)がある可能性があるときは、どうするか。
 8月8日の天皇のビデオ放送のあとの反応と比較してみると、よくわかる。

 「天皇陛下が国民に向けてご発言されたことを重く受け止めております。ご心労に思いをいたし、どのようなことができるかをしっかり考えていかなければいけないと思っています」
 首相は用意された原稿を読み上げると、足早に立ち去った。

 ビデオ放送の内容は、事前に「検閲」している。それなのに、そっけないことしか安倍は言っていない。しかも原稿を読み上げている。何よりも「足早に立ち去った」が安倍の姿勢を物語っている。質問を拒絶しているのだ。質問されては困るから、質疑応答を避けたのだ。
 (3)は、質問されない(批判されない)という「安心」というか、気の弛みが、たっぷりと出ている。
 (4)で、安倍のことばを読売新聞が言いなおして説明しているが、今回の問題は「政府が主導しているのではなく、国民の声があるから、そうしている」という「イメージ」をつくろうとしている。これは、逆に言えば、政府は「天皇の生前退位」を推し進めたいのだが、政府が主導しては国民から反発が来る。それを回避するために、策を練っているということを意味するだろう。
 政府の考える「生前退位」とは「摂政の設置」と同義語である。官邸は、天皇側に対して何度も「摂政ではダメなのか」と水面下で交渉したことが報道されているし、天皇のことばのなかにもそれを「暗示」する部分がある。このことについては、すでに書いた。こんなことが明確になれば、多くの国民は安倍批判を展開するだろう。
 そうならないようにするには、どうするか。国民が「天皇は高齢で大変だ。負担を軽くしてやりたい。生前退位がいいのではないか」と思わせることである。国民の「意見」を動かすにはNHKを利用するのが一番である。これは参院選で証明された。
 NHKは参院選の報道を控えた。そうすることで「少数意見」を封じた。少数意見があることを、無視した。そればかりか参院選があることを隠そうとした。週間予定を知らせるコーナーでは「参院選投票日」をつげなかった。7月9日のニュースでは、「あす7月10日は参院選投票日」というかわりに「あす7月10日はナナとトウで納豆の日」と言っている。投票率をさげることで、安倍に加担している。
 (5)は「憲法との整合性を保つため」というよりは、

 「国民の反応」というワンクッションをはさむことで、政府側の意向「天皇の生前退位→摂政の設置」(天皇を「お飾り」にして、「摂政」を操り人形のようにつかうという「自民党憲法改正草案の狙い)を、どうやって「隠す」かということに苦心しているということだろう。
 今回の読売新聞の連載には「憲法との整合性に腐心/政府「世論受けて」対応」という見出しがついている。これは、

政府「世論を利用して」対応

 を、安倍寄りに言いなおしたものである。安倍は「世論」を利用している。そして「世論」を利用するためにNHKを動かしている。
 籾井の動向が最近、ニュースにならないが、あの報道以来、籾井は何をしているか、今回の報道について籾井は何と言っているか、ぜひ、知りたい。

 きょうの読売新聞の一面には、また世論調査が載っている。それによると、天皇の生前退位について、いまの天皇だけではなく、今後すべての天皇について生前退位を認めるという意見が67%を占めた。
 そういう「事実」を書いたあとに、つぎのくだりがある。

 政府は、皇室典範を改正して生前退位を制度化するのではなく、現在の天皇陛下の退位だけを可能にする皇室典範の特別措置法を制定することを軸に検討している。しかし、調査では、今後のすべての天皇陛下について生前退位を容認すべきだとする意見が多く、今後の制度改正での課題の一つになりそうだ。

 政府が「特別措置法」にこだわるのは、皇室典範そのものを改正するには時間がかかるからだろう。なんとしても「早く」、いまの天皇を天皇からひきずりおろしたいのだろう。
 
 天皇のことばから、こういう安倍と天皇との軋轢、天皇が安倍に利用されようとしていることへの、天皇の「苦悩(悲鳴)」を読み取ることもできる。

天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら,私が個人として,これまでに考えて来たことを話したいと思います。

憲法の下もと,天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で,(略)ここに私の気持ちをお話しいたしました。

 最初と最後の方で、二度にわたって「憲法と天皇」の関係について語っている。天皇は「国政に関する機能を有しない」、政治的行為を禁止されていると語っている。一度言えばすむことを、わざわざ「二度」言っているのは「意味」がある。
 政治的行為を禁止されている天皇が、政治として利用されている。そのことを天皇は、必死になって語っているのである。
 同じことを「二度」表現した部分は、もうひとつある。

私も80を越え,体力の面などから様々な制約を覚えることもあり

既に80を越え,幸いに健康であるとは申せ

 天皇が80歳を超えていること、国民周知の事実である。それを「一回」ではなく「二回」言っている。これは、安倍が、「天皇は80歳を超えている=高齢である」ということを「生前退位(摂政の設置)」に利用しているということを語っていないか。
 きっと天皇が80歳を超えているということを国民に強く訴え、つまり国民の高齢の天皇に対する「思い」を利用しようとしているということを、天皇が苦心してつたえようとしているのではないか。

 私は天皇のことばを丁寧に聞いたことも読んだこともないが、8月8日のことばは、他のことばと比べて「文体」に異常なところがある。なぜ、こういう表現になるのかわからないところがある。
 今回の天皇の動きを、憲法改正へ突き進む安倍への抵抗と見る意見もあるが、私は、かなり疑問に思っている。もし憲法改正への抵抗ならば、それが国会で議題になる直前、あるいは議題になってからの方が、よりインパクトが強いだろう。聡明な天皇なら、それくらいのことは考えるだろう。
 そうではなくて、憲法改正への「じゃまもの」、リベラルな天皇を、いまのうちに「世論」を利用して蚊帳の外に追い出してしまおうというのが狙いだろう。何でもできるんだぞ、ということを皇室全体に知らせるために、安倍は動いているだと思う。





*

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水木ユヤ「網戸」、山本純子「電池」

2016-09-13 09:01:39 | 詩(雑誌・同人誌)
水木ユヤ「網戸」、山本純子「電池」(「ヘロとトパ」、2016年09月20日発行)

 水木ユヤ「網戸」、山本純子「電池」を読みながら、詩のはじまり、詩の終わりということについて考えた。
 水木ユヤ「網戸」。

星がない
風がない
空がない
網戸の向こう側には
何もない
LEDの体温を見誤った
虫たちが
網戸にぴたりと
貼りついている
関節がきしむ扇風機の風に
透きとおった羽を
規則正しくゆらされている
虫たちは
何もないところから
姿をあらわし
何もないところへ
消えてゆく

 「何もない」が、ぐいと迫ってくる。これは「星がない/風がない/空がない」を言いなおしたもの。「ない」が、そこに「ある」という感じ。「無」から姿をあらわし、「無」へ消えていく。
 とても清潔だ。
 この清潔感は、たぶん人間の暮らしに「ある」ものとの対比から生まれる。「網戸」「LED」「扇風機」。それは「星」や「風」や「空」に比べると、なんとなく、うるさい。ちまちま、ごちゃごちゃしている。「無」の方がさっぱりしていて、開放的で、気持ちがいい。この感じが清潔感だな。
 で、詩は、ここで終わってもいいと私は思うのだが、水木は、次の5行を付け加えて終わる。

わたくしは
網戸のこちら側の
何かあるはずの場所にいて
何かをしている
はずである

 これは「網戸」「LED」「扇風機」の「ある」暮らしを言いなおしたものだが、なんとなく、「理屈」っぽい。
 言わないと落ち着かない気持ちもわかるけれど、言わなかった方が、読者がかってに考えることになるので、おもしろいかもしれない。
 「清潔」だったものが、急に「濁ってくる」感じを覚えた。この「濁ってくる感じ」を「いきるかなしみ」ととらえ、ここがいいという人もいるだろうけれど。



 山本純子「電池」。

電池には
プラス極とマイナス極があって
たのしい気分とこわい気分が
発生している

それで 夜
かいちゅう電灯をにぎると
たのしいような
こわいような気分が
手のひらから
からだ中にひろがっていく

 これは、一連目から書いたのかなあ。
 書いたのは一連目からかもしれない。けれど、「こころ」の方は二連目から動いている感じがする。
 懐中電灯を手にした子ども。まわりは真っ暗。楽しくて、怖い。この楽しくて怖いを、別なことばで言いなおせないだろうか。ちょっと考える。すこし変わったことを言って、友達や両親を驚かせてみたい。「表現の欲望」(ことばの欲望)が動く。
 で、一生懸命考える。学校で習ったことを、動かしてみる。
 「電池には/プラス極とマイナス極」がある。プラスとマイナスは反対。楽しいと怖いは反対。反対のものがぶつかると、何かが起きる。何かが「発生」する。
 ことばにすると、それが、「実感」にかわる。
 この「実感」が、

手のひらから
からだ中にひろがっていく

 と言いなおされる。
 一連目と二連目が、そのことばが往復しながら、強くなっていく。「肉体」として見えてくる。

 水木の、網戸を挟んだ虫と人間も、ことばになって往復していたのだが、往復しすぎたのかもしれない。往復しすぎると、そこに「道」がくっきりとできすぎる。アスファルト舗装された道、いや高速道路になってしまう。つまり「肉体」ではなく、論理、思考(頭)になってしまう。
 詩は、あ、ここに「道」があるのかなあ。だれかが歩いた跡がある。踏みしめた草が倒れているというくらいの感じがいいのかもしれない。あ、この「肉体」の感覚、わかるなあ、というくらいがいいのかもしれない。
 「何もないところから/姿をあらわし/何もないところへ/消えてゆく」というのは「哲学的」であるけれど、日本語の「肉体」のなかには「無常観」が動いていて、それは知らず知らずに聞いていることばとつながっているから、「理屈」っぽくはないね。

 どこから書き始め、どこで終わるか、むずかしい。

ふふふ ジュニアポエム
山本 純子
銀の鈴社
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