詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

國井克彦『國井克彦詩集』

2016-09-12 09:10:49 | 詩集
國井克彦『國井克彦詩集』(現代詩文庫226)(思潮社、2016年07月25日発行)

 國井克彦『國井克彦詩集』の最後の方に「未刊詩集」があり、そこに「わが台湾三峡」という作品がある。読みながら、あ、これは読んだことがあると思い出した。
 ブログを探してみたら、感想を書いていた。それを引用してみる。

 國井克彦「わが台湾三峡」(初出「ゆすりか」102 、2014年10月)。終戦後、台湾の三峡から日本へ引き上げてくる。八歳のときの体験を書いている。

大人たちはトラックの前方を見ていた
去り行く三峡の街を見ていたのは自分だけだ
なぜ愛しい三峡の街を山を河を
大人は振り返らないのか
わが人生でこのことは常に思い出された

 あ、美しいなあ。思わず声がでそうになった。
 私は台湾へ行ったことがない。三峡がどこにあるかも知らないし、どんな街、どんな山、どんな河なのかも知らない。知らないなら、調べろ、という人がいるが、私は調べない。ネットで調べて、写真を見ても、それは自分の体験とは無関係である。それがどんなに美しい街、風景であろうと、それ見ることで國井の気持ちが「わかる」わけではないと考えるからだ。
 では、何が美しいのか。

去り行く三峡の街を見ていたのは自分だけだ

 この一行。そこにある「時制」がカギだ。その前の行では「見ていた」(過去形)がもう一度「見ていた」(過去形)で繰り返され、そのあと「だけだ」と「現在形」になる。「自分だけだった」と過去形になっていない。
 「自分だけだ」という断定が「現在」であるために、「いま/ここ」で國井がかつて見た風景を見ているという感じが強く伝わってくる。「見ていた」のは過去のことなのに、「いま」それを「見ている」。「過去」が「現在」として、「いま/ここ」にある。その生々しい動きが凝縮している。主観が躍動する。
 「大人は振り返らないのか」という現在形の疑問(「大人は振り返らなかったのか」という過去形ではない)にも強い主観を感じる。
 そして、この感覚は、次の行、

わが人生でこのことは常に思い出された

 この「常に」に言いなおされている。「常に思い出された」と過去形で書かれ、ここでは國井はちょっと「客観」に戻っているのだが、この「過去形」は方便だ。「常に」だから「いま」、そして「これから」もという時間がそこにはある。かわらない。時間の影響を受けない。言いかえると、この「常に」は「永遠」なのである。

 なぜ、自分の書いたものを引用したかというと。
 この感想を書いたのは2015年01月23日、1年半以上も前のことである。私は、「結論」を決めて書き始めることがない。だから、書く度に(読むたびにと言い換えてもいい)感想が変わってしまう。前に書いたことを忘れてしまって、まったく違ったことを書くこともある。何を書くかは、その日の気分次第なのである。
 それなのに、今回、あ、この詩は後半部分だけを引用し「自分だけだ」について書いたぞ、とはっきり思い出してしまったのだ。
 これは、変な言い方になるが、不気味なできごとである。私にとっては、不気味である。なぜ、そんなことが起きたのか。
 國井の詩には、何か「不変」のものがあるのか。「不変」は「普遍」かもしれないが……。その「不変/普遍」が、私に影響してきているのか。

 1年半前に書いた感想に何をつけくわえることができるだろうか。1年半の間に、私は、何を見つけられるようになっているだろうか。かなり真剣になって、私は詩を読み返し、ほとんど無理やりという形で、何かつけくわえられると思った。
 それは、こういうこと。
 先に引用した「わが人生でこのことは常に思い出された」のあとに、さらにことばがある。

見えないものを見る
やがて見えなくなるものを見る
見えないものを見ているわが人生

 同じことばの繰り返しは國井の作品に特徴的なことである。ことばを繰り返しながら、そこに何か「不変」を探しているのだろう。普通は、同じことばを繰り返しながら違うものになっていくのだが、國井は違うものを結びつけながら「同じ」のなかへ帰っていく。「不変/普遍」になる。
 「見えないものを見る」というのは、目には「見えない」のだけれど、目ではない何かが「見る」もののことだろう。「見えない」ものは「ない」のではなく、「ある」。「見えない」のは「見えなくなった(過去形)」からである。しかし、個人が体験する時間を超えて「ある(現在形)」。國井は「三峡」から遠ざかったために目には見えないが、それは存在している。そして、その存在は「意識/記憶」には見える。その「見える」は「知っている」、あるいは「覚えている」ということでもある。この「いま/ここ」には「ない」が、「いま/ここ」を超えて「ある」ものを、國井は「不変/普遍」として見ている。この「不変/普遍」を見るというのが國井の人生、生き方なのである。
 ただ、その「見える/知っている/覚えている」は、ほんとうに「意識」か、というと私は少し違うと思う。ことばとして「矛盾」したことを書くが、「見える/知っている/覚えている」のは「肉眼」なのだと思う。「意識」などという都合のいいものは「方便」である。存在するのは「肉眼(肉体)」だけである、と國井の作品を読んで、私は、思ったのである。そう付け加えたくなったのである。
 これは、今回、この一篇だけを読んだのではなく、他の作品を読んだことが影響している。
 巻頭に「詩」がある。とても印象的な作品だ。

おまえはふりむくな
ぼくが騒々しい連中をみているから
黙つて眠れ
夕やけのようなぼくの背中よ

 ここに書かれている「おまえ」とは「ぼくの背中」である。「背中」には「目」はないから、それが「振り向いて何かを見る」ということはできない。けれど、あたかも目があるかのように「ふりむくな」と國井は書く。ここに最初の「矛盾」がある。
 「背中」は目とは裏表の関係にある。それが「ふりむく」とは目が見ているものを見ることになる。「前」を向くことになる。これは、第二の「矛盾」である。
 けれど、この詩を読むとき、そういう「矛盾」とは違ったものを感じてしまう。
 背中にも「目」はある。それは「背中」が感じる「力」である。「肉体」を統一する「力」、いのちそのものが、そこに書かれているのだ。「肉体の目/いのちの目/まだ目になる前のいのち」が、後ろで騒いでいるものを感じ取っている。その「肉体の感じる力/目に分節されるまえのいのちの力」に対して「ふりむくな」(後ろを見るな)と言っている。
 分節されて「目」なっている「肉体」にあわせて、前を見ろと言っている。
 「後ろの騒々しい連中」は「ぼく(意識)」が見る。これは、「ぼく(ぼく)」はそいつらのことを「知っている」。そいつらは、どんなふうに「分節」されて社会にいるか知っている。そんな「分節された存在」を気にせずに、「未分節のまま、いのちの力のまま、背中であり続けよ」と言っているのである。
 国井は、「未分節」の「いのち/エネルギー」のようなものを「不変/普遍」としてつかみ取っている。それが詩を書き始めたときからつづいているのだ。
 そういうことを感じた。
 「詩」の二連目には、こういう行がある。

おまえはふと考える
ぼくとこうしてとなりあっていることを
遠い国でみてきた樹のことを

 これは、こう言いなおすことができる。

「肉体」はふと考える
「意識」とこうしてとなりあっていることを
遠い国でみてきた樹のことを

 そして「三峡」の最期の二行はこうである。

樹の中にいつも見ている愚かな人生
それは八歳のかの日から始まった気がする

 「遠い国の樹」は「三峡」の、國井が最後に見た「樹」である。その「樹」は「樹」であって「樹」ではない。國井の「肉体」そのものである。國井の「肉体」は、その「樹」とつながっている。「未分節」なのである。しかし「樹」に「分節」された「樹」をみつめるとき、「樹」は國井の「肉体」である。
 自分だけの「肉体」を越えて、「未分節」の世界から何かが生まれてくる(樹として生まれてくる力)のようなものと國井はつながっていて、それが「不変/普遍」という感じになって、「いま/ここ」にあらわれてきているのだ。
 「分節」されながら、「未分節」へ帰ろうとする運動がどこかにあって、それが「矛盾」というかたちで表現されてしまうのだ。「分節/未分節」の同時におきる運動は「矛盾」でしかいいあらわせないものなのだ。ここに「不変/普遍=真実/永遠」がある。國井の「抒情」は、そういうものに触れている。

國井克彦詩集 (現代詩文庫)
國井 克彦
思潮社
コメント (1)
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