小松弘愛『眼のない手を合わせて』(花神社、2016年09月10日発行)
小松弘愛『眼のない手を合わせて』にはいろいろな作品が収録されている。「比喩ではなく」という作品は結城哀草果(ゆうき・あいそうか)という山形の歌人の作品を読みながら、小松の過去を重ね合わせる。結城哀草果は「中学講義録」で独学したひとらしい。小松にも「早稲田講義録」という高校のテキストをとりよせて独学した時代があったらしい。そういうことを書いた後、
この「自分で喜んでいる」の「喜んでいる」が、私には、とてもうれしい。満足な食べ物がない。飢えている。そこで工夫して、あれこれを食べる。そのつらさを乗り越えて生きてきた、乗り越えることができたという「誇らしさ」のようなものがある。「いのち」の「自慢」と言っていいかもしれない。
「自慢」というのは、あまりするものではないのかもしれないけれど。でも、「自慢」のなかには、何とも言えない「生きる力」がある。「生きる力」の「確認」があって、それは、やっぱり大切なことなのではないかと思う。「生きる力」を「確認」し、それを「うれしい(喜び)」と受け止められなくなったとき、きっとひとは死んでしまう。
「苦しみを共感する」ということばがある。それは「他人への愛」へとつながるのだが、そういう「共感」よりも「喜びの共感」の方が、私は好き。信じられる、と言えばいいかな。「苦しい」のは、私は、嫌いだ。「苦しい」ことなんか、したくない。「苦しい」のかもしれないが、それをこんな具合に乗り越えたと「喜ぶ」(自慢する)、その「明るさ」が好きということか。
あ、書こうとしていたことから、少し、ずれてしまったかなあ。
私は何を書こうとしていたのだったかなあ。
「話題が食べ物のことに及んだとき、こんなふうに話して自分で喜んでいることがある。」と小松は書いている。なぜ、そんなことを小松は書いたのか。「喜んでいる」と書いたのか。
そのことを書きたかった。
引用されている哀草果の一首。その歌を書いたとき、哀草果は、どんな気持ちだったのだろう。
やっぱり、喜んでいたのではないだろうか。
「飯を食う君たちは、どんな糞をしている。我等は、木の実と草根を食っているので、その糞は黒いのだ」と、いのちの強さ(力)を自慢している。社会への怒りもあるかもしれないが、生きていることを自慢している。生きていることを喜んでいる。飯(コメ)を食えない貧しさを突き破って、生きる力が噴出している。
この、言い換え不能の「強さ」、「同じ強さのことばを言ってみろ」とでもいうような「強さ」に、小松は共感したのだと思う。こういう「強いことば」を言える「力」、「いのちの力/喜びの力」に誘われて、「自分で喜んでいる」あの瞬間を思い出したのだ。それは哀草果の書いている「生きる力」そのものとは「一致」しないかもしれないが、どこかでつながりがある。
生きていることを、生きてきたことを自慢できるのは、とてもいいことだと思う。
いま、ここに、このいのちを奪うものがない、ということ。
そういう「喜び」かもしれない。
うまくつなげることができるかどうかわからないが(論理的に説明できるかどうかわからないが)、私は、この「生きていること、生きてきたことを自慢する力/それに共感するこころ」を、小松の多くの詩に感じる。
たとえば、「紫蘇」。
ここには「ひとり」で「生きる」強さが書かれている。そして、この「ひとり」は「比喩ではなく」の「独学」の「独」につうじるものである。「他人の力を借りない」という「意思」のようなものがある。そうやって「生きる」ことへの「自慢」のようなものがある。
で、この「紫蘇」という詩は、紫蘇のことを書いているのだけれど、
これが、私には「人間」を描いているように感じてしまうのである。言い換えると、そこに「人間」を重ねて読んでしまうのである。
人間はもちろん「自然」に生まれるわけではない。どこかから「種」が飛んできて生まれるわけではない。ちゃんと両親がいる。
けれども、生まれてきた「人間」の「意思/意思」は、どうか。
だれかが種を蒔いたのでも、植えたのでもない。いや、誰もが種をまき、また植えるのだけれど、たとえば、両親は、子供にいろいろなことを語り、しつけるのだけれど、ひとは、それにただ従うわけではない。与えられたものだけで生きるわけではない。
自分でなにかを探し出し、見よう見まねで、「生きる」。自分の中から、「自然に」芽を出してくるものがある。そして「ひとり」であっても生きている。
あらゆの「意思/思想」は「ひとり生え」である。「ひとり」で生きていかなければならないものである。たとえデモのなかで「連帯」していても「ひとり」である。「ひとり」であると自覚するから「連帯」する。「ひとり」であるために「連帯」する。「ひとり」で「生きる力」を全うできるために「連帯」すると言えばいいのか。
「ひとり」であることは、自慢できることでなければならないのだ。おれの糞はおまえらの糞とは違って真っ黒なのだ。そういうことが自慢できなければならない。そして、その自慢する力こそ、「共有」されなければならない。このときの「共有」とは、「ひとり」として「認める」ということ、「生きている」ということを「認める」こと。
ここから「矮鶏」、あるいは「春の山羊」へと飛躍すること、そういう作品と連結することは乱暴だろうか。「論理」として乱暴だろうか。
でも、私は、ふっと思い出すのである。私のことばは、そこへつながりたいというのである。「春の山羊」を引用する。
山羊だから「草」を食べる。これは当然。しかし、ここに書かれている「山羊」はただ「山羊」なのではなく、私には、なぜか「わたしは草と木の実を食べて育ちました。草食動物です」と言う小松そのひとに見えてしまうのである。
詩は、このあと、小松が山羊の世話をしたことがあること。山羊の乳で大きく成長したことなどが書かれているのだが、こういうときの「山羊」は乳の出すだけのもの、ではない。奇妙な言い方になるが、小松は、山羊になって、小松を育てているのである。山羊と小松は一体。それは人間が木の実、草根を食べて生きるのとき、その人間は単にそれらを食べる存在ではなく、同時に木の実、草根であるというのと同じだ。別個の存在にみえるが、それは、「方便」。ほんとうは「ひとつ」につながっている。つながることで「自立」している。
その不思議な関係を実感するために、小松は山羊を見に行くのだろう。「山羊は五月の風に吹かれて/緑を濃くしてきた草を食べていた」。ああ、このうれしさ。山羊になって、五月の風に吹かれて、草を食べてみたい。「生きている」、そしてその生きていることを「喜んでいる」。そして、生きていることを「誇っている」。その喜びと誇りが「乳」になって、小松を育てた。乳を飲み、小松は五月の風と緑の草にもなる。「世界」がまるごと「ひとつ」になって小松の「肉体」をつくる。それは小松「ひとり」のもの。
だれにも、この「肉体/いのち」を奪う権利はない。そう叫んでいる。「声高」にではなく、だれにも聞こえない声で。「国」とか「権力」には絶対に理解できない「声」で、強く。とても、強く。「いま/ここ」、つまり「土佐」を離れない「声」で。
小松には「土佐方言」を題材にした詩集があるが、方言にこだわるのも、そこに「生きていることへの誇り」と「喜び」があるからだろうなあ、と思う。「共通」なんて、関係ない。自分が、いま/ここにいる。「いま/ここ」のすべてが「自分のいのち」という感じが動いている。そういうものへの「共感」を書こうとしているのだろうと思うのだった。
論理はまた飛躍するのだが。
こういう「声」こそ、安倍の「独裁」(全体主義)と戦うときの「よりどころ」であると、私は思う。「全体/共通」から自分を切り離す。組み込まれない。「ひとり」であることを、「ひとりひとり」が「独自」に守るための「よりどころ」である。
「五月の風に吹かれて、山羊を土手までつれていく。山羊が草を食べるのを待っている。終わったら、家へ帰って乳を搾って飲む。子供に飲ませる。それが、したい。風も、土手も、草も、山羊も、みんな私。その全部が私。それがばらばらにされるのはいやだ。だから、戦争なんかいやだ」と、私は言いたい。小松の詩を読んだ後の私は。
小松は安倍批判を書いているわけではないのだが、国会がはじまり、「憲法改正」を議題にしようとする動きに触れると、感想も、こんな具合に、「いま」とぶつかりながら動くのである。
小松弘愛『眼のない手を合わせて』にはいろいろな作品が収録されている。「比喩ではなく」という作品は結城哀草果(ゆうき・あいそうか)という山形の歌人の作品を読みながら、小松の過去を重ね合わせる。結城哀草果は「中学講義録」で独学したひとらしい。小松にも「早稲田講義録」という高校のテキストをとりよせて独学した時代があったらしい。そういうことを書いた後、
木の実と草根(くさね)を食(くら)ひ飯食わぬ人らは黒き糞(ふん)たれにけり
「草根」は草の根ではなく地上に生える草の意で
哀草果の歌集『すだま』(一九三五)
の中の一首
「木の実」「草根」
この二つの言葉が
一九三四年生まれのわたしを子供の頃へと連れて行く
「わたしは草と木の実を食べて育ちました。草食動物です」--
戦中戦後、旧山北村で子供の頃を過ごしたわたしは話題が食べ物
のことに及んだとき、こんなふうに話して自分で喜んでいること
がある。
この「自分で喜んでいる」の「喜んでいる」が、私には、とてもうれしい。満足な食べ物がない。飢えている。そこで工夫して、あれこれを食べる。そのつらさを乗り越えて生きてきた、乗り越えることができたという「誇らしさ」のようなものがある。「いのち」の「自慢」と言っていいかもしれない。
「自慢」というのは、あまりするものではないのかもしれないけれど。でも、「自慢」のなかには、何とも言えない「生きる力」がある。「生きる力」の「確認」があって、それは、やっぱり大切なことなのではないかと思う。「生きる力」を「確認」し、それを「うれしい(喜び)」と受け止められなくなったとき、きっとひとは死んでしまう。
「苦しみを共感する」ということばがある。それは「他人への愛」へとつながるのだが、そういう「共感」よりも「喜びの共感」の方が、私は好き。信じられる、と言えばいいかな。「苦しい」のは、私は、嫌いだ。「苦しい」ことなんか、したくない。「苦しい」のかもしれないが、それをこんな具合に乗り越えたと「喜ぶ」(自慢する)、その「明るさ」が好きということか。
あ、書こうとしていたことから、少し、ずれてしまったかなあ。
私は何を書こうとしていたのだったかなあ。
「話題が食べ物のことに及んだとき、こんなふうに話して自分で喜んでいることがある。」と小松は書いている。なぜ、そんなことを小松は書いたのか。「喜んでいる」と書いたのか。
そのことを書きたかった。
引用されている哀草果の一首。その歌を書いたとき、哀草果は、どんな気持ちだったのだろう。
やっぱり、喜んでいたのではないだろうか。
「飯を食う君たちは、どんな糞をしている。我等は、木の実と草根を食っているので、その糞は黒いのだ」と、いのちの強さ(力)を自慢している。社会への怒りもあるかもしれないが、生きていることを自慢している。生きていることを喜んでいる。飯(コメ)を食えない貧しさを突き破って、生きる力が噴出している。
黒き糞たれにけり
この、言い換え不能の「強さ」、「同じ強さのことばを言ってみろ」とでもいうような「強さ」に、小松は共感したのだと思う。こういう「強いことば」を言える「力」、「いのちの力/喜びの力」に誘われて、「自分で喜んでいる」あの瞬間を思い出したのだ。それは哀草果の書いている「生きる力」そのものとは「一致」しないかもしれないが、どこかでつながりがある。
生きていることを、生きてきたことを自慢できるのは、とてもいいことだと思う。
いま、ここに、このいのちを奪うものがない、ということ。
そういう「喜び」かもしれない。
うまくつなげることができるかどうかわからないが(論理的に説明できるかどうかわからないが)、私は、この「生きていること、生きてきたことを自慢する力/それに共感するこころ」を、小松の多くの詩に感じる。
たとえば、「紫蘇」。
八月の末
「安全保障関連法案」は違憲
のデモから帰っててき
一か月ほどたっているが
一茎の紫蘇がまだ視野に揺れている
デモの列が電車通りに入ったとき
街路樹の根元
その乾いた土に生えている紫蘇が目に留まった
歩きながら考えるともなく
あれは だれかが
蒔いたものでもなければ植えたものでもない
どこからか一粒の種が飛んできて
自然に芽を出したもの
そう
ひとり生えの紫蘇である
ここには「ひとり」で「生きる」強さが書かれている。そして、この「ひとり」は「比喩ではなく」の「独学」の「独」につうじるものである。「他人の力を借りない」という「意思」のようなものがある。そうやって「生きる」ことへの「自慢」のようなものがある。
で、この「紫蘇」という詩は、紫蘇のことを書いているのだけれど、
あれは だれかが
蒔いたものでもなければ植えたものでもない
どこからか一粒の種が飛んできて
自然に芽を出したもの
これが、私には「人間」を描いているように感じてしまうのである。言い換えると、そこに「人間」を重ねて読んでしまうのである。
人間はもちろん「自然」に生まれるわけではない。どこかから「種」が飛んできて生まれるわけではない。ちゃんと両親がいる。
けれども、生まれてきた「人間」の「意思/意思」は、どうか。
だれかが種を蒔いたのでも、植えたのでもない。いや、誰もが種をまき、また植えるのだけれど、たとえば、両親は、子供にいろいろなことを語り、しつけるのだけれど、ひとは、それにただ従うわけではない。与えられたものだけで生きるわけではない。
自分でなにかを探し出し、見よう見まねで、「生きる」。自分の中から、「自然に」芽を出してくるものがある。そして「ひとり」であっても生きている。
あらゆの「意思/思想」は「ひとり生え」である。「ひとり」で生きていかなければならないものである。たとえデモのなかで「連帯」していても「ひとり」である。「ひとり」であると自覚するから「連帯」する。「ひとり」であるために「連帯」する。「ひとり」で「生きる力」を全うできるために「連帯」すると言えばいいのか。
「ひとり」であることは、自慢できることでなければならないのだ。おれの糞はおまえらの糞とは違って真っ黒なのだ。そういうことが自慢できなければならない。そして、その自慢する力こそ、「共有」されなければならない。このときの「共有」とは、「ひとり」として「認める」ということ、「生きている」ということを「認める」こと。
ここから「矮鶏」、あるいは「春の山羊」へと飛躍すること、そういう作品と連結することは乱暴だろうか。「論理」として乱暴だろうか。
でも、私は、ふっと思い出すのである。私のことばは、そこへつながりたいというのである。「春の山羊」を引用する。
橋の袂で自転車を止め
このまま真っすぐに行くか
横に逸れて土手道に出るか
遠回りになるけれど
あの山羊に会ってゆこう
人影のない未舗装の土手道で
山羊は五月の風に吹かれて
緑を濃くしてきた草を食べていた
若い山羊である
山羊だから「草」を食べる。これは当然。しかし、ここに書かれている「山羊」はただ「山羊」なのではなく、私には、なぜか「わたしは草と木の実を食べて育ちました。草食動物です」と言う小松そのひとに見えてしまうのである。
詩は、このあと、小松が山羊の世話をしたことがあること。山羊の乳で大きく成長したことなどが書かれているのだが、こういうときの「山羊」は乳の出すだけのもの、ではない。奇妙な言い方になるが、小松は、山羊になって、小松を育てているのである。山羊と小松は一体。それは人間が木の実、草根を食べて生きるのとき、その人間は単にそれらを食べる存在ではなく、同時に木の実、草根であるというのと同じだ。別個の存在にみえるが、それは、「方便」。ほんとうは「ひとつ」につながっている。つながることで「自立」している。
その不思議な関係を実感するために、小松は山羊を見に行くのだろう。「山羊は五月の風に吹かれて/緑を濃くしてきた草を食べていた」。ああ、このうれしさ。山羊になって、五月の風に吹かれて、草を食べてみたい。「生きている」、そしてその生きていることを「喜んでいる」。そして、生きていることを「誇っている」。その喜びと誇りが「乳」になって、小松を育てた。乳を飲み、小松は五月の風と緑の草にもなる。「世界」がまるごと「ひとつ」になって小松の「肉体」をつくる。それは小松「ひとり」のもの。
だれにも、この「肉体/いのち」を奪う権利はない。そう叫んでいる。「声高」にではなく、だれにも聞こえない声で。「国」とか「権力」には絶対に理解できない「声」で、強く。とても、強く。「いま/ここ」、つまり「土佐」を離れない「声」で。
小松には「土佐方言」を題材にした詩集があるが、方言にこだわるのも、そこに「生きていることへの誇り」と「喜び」があるからだろうなあ、と思う。「共通」なんて、関係ない。自分が、いま/ここにいる。「いま/ここ」のすべてが「自分のいのち」という感じが動いている。そういうものへの「共感」を書こうとしているのだろうと思うのだった。
論理はまた飛躍するのだが。
こういう「声」こそ、安倍の「独裁」(全体主義)と戦うときの「よりどころ」であると、私は思う。「全体/共通」から自分を切り離す。組み込まれない。「ひとり」であることを、「ひとりひとり」が「独自」に守るための「よりどころ」である。
「五月の風に吹かれて、山羊を土手までつれていく。山羊が草を食べるのを待っている。終わったら、家へ帰って乳を搾って飲む。子供に飲ませる。それが、したい。風も、土手も、草も、山羊も、みんな私。その全部が私。それがばらばらにされるのはいやだ。だから、戦争なんかいやだ」と、私は言いたい。小松の詩を読んだ後の私は。
小松は安倍批判を書いているわけではないのだが、国会がはじまり、「憲法改正」を議題にしようとする動きに触れると、感想も、こんな具合に、「いま」とぶつかりながら動くのである。
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