詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

自民党憲法改正草案を読む/番外15(情報の読み方)

2016-09-06 11:38:32 | 自民党憲法改正草案を読む
 2016年09月06日読売新聞朝刊(西部版・14版)一面。「「生前退位」に限り議論/有識者会議 「女性宮家」は先送り/政府調整」という見出しで有識者会議の動きが報道されている。

 政府は、天皇陛下が「生前退位」の意向を示唆されたことを踏まえ設置を検討している有識者会議について、生前退位と公務の負担軽減策にテーマを絞る方向で調整に入った。女性・女系天皇の容認や女性宮家創設など(略)は検討を先送りし、退位問題の決着を優先させる。

 この「前文」のあと、報道の後半部分に、次の一段落がある。

 有識者会議の議論を受け、政府は法整備に着手する。生前退位を認める場合、制度化するための皇室典範の改正ではなく、現在の天皇陛下の退位だけを可能にする皇室典範の特別措置法制定を軸に検討している。早ければ来年の通常国会に関連法案を提出する方向だ。

 あれっ、有識者会議はこれから設置するのでは? 前文には「設置を検討している」と書いてある。つまり、まだ有識者会議は開かれておらず、そこではどんな議論もおこなわれていないはずである。それなのに「有識者会議の議論を受け」というの奇妙ではないだろうか。「現在の天皇陛下の退位だけを可能にする皇室典範の特別措置法制定を軸に検討している」というのは、とても奇妙ではないだろうか。まるで有識者会議の「検討」が「現在の天皇陛下の退位だけを可能にする皇室典範の特別措置法制定」へ落ち着くとわかっているみたいではないか。きっと、そうなるよう、政府が有識者会議を「誘導」するということだろう。
 ここから思うのは、(妄想するのは)、「生前退位」がほんとうに天皇の意向なのか。それとも政府(安倍)が「生前退位」をさせたがっているのか、ということだ。なぜ「現在の天皇陛下の退位だけを可能にする」ための「特別措置法」なのか。

 天皇(あるいは宮内庁)と政府のあいだで、「生前退位」をめぐるやりとりがおこなわれていたということは、すでに読売新聞で報道されている。06日の4面に「論点 生前退位」という記事がある。そのなかにも

 陛下の意向を感じ取った首相鑑定では昨年初めから、ごく一部の関係者が宮内庁と水面下のやりとりを続けていた。生前退位の制度化に慎重だった官邸は、摂政の設置要件の緩和を念頭に置いていた。皇室典範を改正し、「加齢による身体機能の低下」を要件に加える案を検討していたが、陛下のお言葉は官邸の機先を制した格好になった。

 というくだりがある。
 この書き方では、天皇が「生前退位」の意向をもらし、それをめぐって官邸と水面下でやりとりがあったと読めるが、逆かもしれない。官邸が「加齢による身体機能の低下」を理由に、「摂政設置」を持ちかけた。それに対して、天皇が「摂政」ではだめだ、「天皇は象徴であり、天皇が生きている限り、それはかわらない」と反論し、「もし退位するなら、摂政をおかずに、生前退位しかない」と反論したのかもしれない。

 このことに、こだわるのは、この「生前退位」報道が籾井NHKによってスクープされたことと、08月08日の「天皇のお言葉」の一部に不自然さを感じるからだ。
 「政治的行為」を禁止されている天皇からの、「摂政ではダメ」という反応に、安倍はうろたえたのかもしれない。自民党憲法改正草案の「第一章 第一条」は「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」とあるが、日本国憲法にはなかった「元首であり」という文言に天皇は反発するかもしれない。
 実際、08月08日の「おことば」は「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」というタイトルで読み上げられ、そこには「象徴」が強調されていた。「天皇は象徴である。摂政では、象徴のつとめを誰がするのかという問題が起きる」と天皇は摂政を求める安倍に対して牽制したのだ。
 この、思い通りにならない天皇をどうやって動かすか。そのために籾井NHKに「生前退位」というテーマをスクープさせ、「議論」を政府主導のものにしたかったのだ。「議論」を政府主導のものにするという姿勢は、最初に引用した「有識者会議の設置を検討」(まだ設置もされていなければ、議論もおこなわれていない)→「特別措置法制定」というシナリオの存在によって明確である。

 で、このことを、もう一度「天皇のおことば」そのものから指摘したい。前にも書いたのが、一部に、とても奇妙な表現がある。仕事をしながらテレビで聞いていたときは、思わず「いま、なんて言った?」と頭の中で問いかけてしまった。背景が説明されていないので「意味」が「わからない」のだった。(背景に、官邸との水面下のやりとりがあったということがわかったのは、後日の読売新聞での報道からだった。)(引用は、宮内庁のホームページから。http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12)

 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。また,天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

 「思われます」「考えられます」というふたつの「動詞」に私はつまずいたのである。「思われます」とは、どういうことだろう。天皇が「思います」ではないのか。
 「考えられます」は「考えることができます」だろうか。これも、天皇が「考えます」という形で表現しないのだろうか。
 ども、おかしい。
 他の部分の「思う」「考える」という「動詞」のつかい方と比較するとはっきりする。念のため、全文を引用しておく。

 戦後70年という大きな節目を過ぎ,2 年後には,平成30年を迎えます。
 私も80を越え,体力の面などから様々な制約を覚えることもあり,ここ数年,天皇としての自らの歩みを振り返るとともに,この先の自分の在り方や務めにつき,思いを致すようになりました。
 本日は,社会の高齢化が進む中,天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか,天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら,私が個人として,これまでに考えて来たことを話したいと思います。
 即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。
 そのような中,何年か前のことになりますが,2 度の外科手術を受け,加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から,これから先,従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合,どのように身を処していくことが,国にとり,国民にとり,また,私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき,考えるようになりました。既に80を越え,幸いに健康であるとは申せ,次第に進む身体の衰えを考慮する時,これまでのように,全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが,難しくなるのではないかと案じています。
 私が天皇の位についてから,ほぼ28年,この間私は,我が国における多くの喜びの時,また悲しみの時を,人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。
 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。また,天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
 天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い殯の行事が連日ほぼ2 ヶ月にわたって続き,その後喪儀に関連する行事が,1 年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります。
 始めにも述べましたように,憲法の下,天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で,このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ,これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。
 国民の理解を得られることを,切に願っています。

 他の部分では、「思う」「考える」以外のことばを含めてピックアップすると、

「覚えることもあり」「思いを致すようになりました」「考えて来たことを話したいと思います」「模索しつつ過ごして来ました」「思いを致し」「考えつつ,今日に至っています」「覚えるようになった」「考えるようになりました」「考慮する時」「案じています」「考えて来ました」「考えて来ました」「感じて来ました」「感じて来ました」「国民を思い」「国民のために祈る」「懸念されます」「思いが,胸に去来する」「気持ちをお話しいたしました」「願っています」

 「懸念されます」のほかは、すべて直接的な表現である。ただ、この「懸念されます」は「国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます」とあるように、自分自身のことではない。「国民」のことを思っているので、表現が間接的になっている。天皇自身のことではない。
 しかし、私が指摘した「思われます」「考えられます」は、いずれも天皇自身のことである。ここに「思われます」「考えられます」という表現がまじってくるのは、どうも奇妙である。
 水面下でおこなわれたという宮内庁と官邸のやりとりを想像(妄想)してみると……。

官邸「高齢化に伴い、国事行為や象徴としての行為を縮小してはどうか」
天皇「そう考えることは、無理があろうと思われます」(断定を回避している)
官邸「摂政を置くという考えはどうでしょうか」
天皇「そういう考えがあることはわかります(しかし、無理があろうと思われます)」(断定の回避)

 そういう「やりとり」を踏まえて、天皇は、「しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。」と「断定」している。「思います」も「考えます」もつけくわえずに、ことばを述べている。「思われます」でも「考えられます」でもない。そういう間接的な表現ではなく、強い「断定」である。
 この「文体」の違い(動詞のつかい方の違い)にこそ注目して読まないといけないと、私は思う。
 天皇は「摂政」置いた場合は「天皇が十分にその立場に求められる務め(象徴としてのつとめ)を果たせぬまま,生涯の終わ」る。それは天皇にとって耐えられない、と言っているのである。「象徴としてのつとめ」こそ天皇の仕事であるという、つよい「自負」がここにあらわれている。
 天皇の「思い」が、そういう強いものであるからこそ、安倍は、マスコミを利用し、国民の感情をくすぐり、状況を突破しようとしているように思える。
 天皇が一生懸命語った「象徴のつとめ」とは何かを放り出して、天皇が高齢化している、体力に問題があるとアピールすることで、天皇を退位させ、そのまま「憲法改正草案」にある「元首」としての天皇を生み出そうとしている。私には、そんなふうに思える。

 この私の不安(妄想)に対して、ある人から、天皇の退位は憲法改正とは関係がない。皇室典範の改正だけで十分である。憲法改正論議に持ち込んではいけない、と指摘を受けた。
 もちろん皇室典範の改正で天皇の皇位継承問題は解決できるだろう。だが、それだけで自民党が憲法改正から手を引くか。
 「戦争放棄(第九条)」のことを考えてみれば、容易に想像できる。
 戦争法が施行され、日本は「個別的自衛権」の枠を超えて「集団的自衛権」が行使できるようになった。「駆けつけ援護」の実績づくりに南スーダンに自衛隊が派遣される。もう「第九条」は改正しなくてもいいはずである。しかし、自民党は改正しようとしている。「集団的自衛権」の実績を重ねることで、「第九条」は「現実にあわなくなっている」「現実にあわせて憲法を変えるときだ」と主張してくる。
 同じことが「天皇」についても起きるだろう。
 皇室典範を変えるだけで「生前退位」問題は解決できるというだけではなく、安倍が何を狙って動いているか、そのことに対して「想像力」を「妄想」の領域にまでひろげて警戒しなければならないと思う。背後にどんな動きがあるのか、報道されていないことを、報道のことばの「乱れ」のなかに見つけ出していく必要があると思う。
 だれが考えだしたのかわからないが、「報道しない」ことで巨大政党が有利になる報道システムを考え出し、「民進党にはもれなく共産党がついてくる」というキャッチコピーで参院選を「自民党対共産党」という「二者択一」にしてしまう手法を考える人間がどこかにいる。(安倍自身かもしれない。)
 何かが動き出している。その何かが何なのか、わかったときは、取りかえしがつかなくなっているだろう。
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服部誕『おおきな一枚の布』

2016-09-06 09:12:25 | 詩集
服部誕『おおきな一枚の布』(書肆山田、2016年08月12日発行)

 服部誕『おおきな一枚の布』は、ことばの動きが散文的である。事実を積み重ねてく。飛躍が少ない。たとえば「阪神電車から見えるちいさい家の裏窓」。

大阪と神戸を東西に結ぶ阪神間の鉄道は
北の六甲山系の山裾から南の大阪湾沿いへと順に
阪急・JR・阪神の三路線が平行して走っている

 これは、描写か、説明か、ちょっと区別がつかない。「北から、南へ、順に」の「順に」というのは、私の感覚では「描写」ではなく「説明」だなあ。「事実」をととのえて、わかりやすくするためのことばだ。
 服部は、たぶん「わからなくてもいい」という気持ちになったことがないのだと思う。それは、自分の気持ちが他人に「わからなくてもいい」というだけではなく、他人の気持ちが「わからなくもいい」とはちっとも考えないということ。言い換えると、いつも他人の気持ちをわかろうとしている。それも、ただ「わかる」だけではなく、その向こう側、他人が「わかってほしくない」と思っていることまでも「わかる」というところまで進んでいく。そして、たぶん、その「隠していること」をつかむことを「ほんとうにわかる」と思っているのだろう。だから、その「隠していること」をことばにする。
 目で「世界」を見るだけではなく、「目」以外のもので、見えたものを「ととのえる」、「ことばにする」。
 さきに引用した「順に」というのも、ほんとうは隠していることなのだ。ただ三本の線路が走っているだけなのに、そこに「北から、南へ、順に」という「秩序」も、それが「平行」であるというのも、「肉眼」では確認できない。目で見たものを、頭の中で整理し直す、たとえば「地図」に書き込んで整理し直すことで、「目に見えるようになる」。「目」で見たのではなく、頭で「目に見えるようにした」世界に服部は住んでいる。
 肉眼では見えない「秩序」を導入することで、その「世界」を「分析する」と同時に「固定化する」。あることがらを「分析し」、ととのえて「固定化する」ことを「説明」というのかもしれない。
 くどくどしく書いてしまったが、作品の三連目、阪神電車と家並みの描写を読むと、そういう印象がいっそう強くなる。電車のなかから風景を眺めていると……。

狭い裏庭や軒先の物干し竿には家族構成の窺える洗濯ものが干されている
どれも近所づきあいのなかではことさら見せあわないものばかり
その家の住人はちゃんと匿していると思っているのだろう
電車が日に幾度となく通過しても誰にも見られてはいないと思っている
通過しているのは阪神電車の車輛であって
住んでいる人にその乗客は見えないのだ

 洗濯物。大きいシャツ、小さいシャツ、男物のパンツ、女物のブラウス。そういうものは「肉眼」で見える。けれど、「肉眼」では「家族構成」は見えない。けれど、服部は、そこにある秩序を発見し、「家族構成」を見る。さらには、その家に暮らしている人の「こころの動き」まで、「見てしまう」。
 その「見たもの」、つまり、ことばでととのえなおした「世界」は、もしかしたら「誤読」かもしれないが、服部は「誤読である」と指摘されないように、ていねいに書いている。
 でも、私は、こういうことばを読んでも、少しもリアルには感じない。言い換えると、こういうことばを読んでも、描写とは感じられない。「説明」としか思えない。だから「わかった」という気持ちにもなれない。

 あ、こんなことを書いていると、なぜ、この詩を取り上げて感想を書いているか、わからなくなるかもしれない。
 私は、このあとの、説明が終わったあとの部分で思わず傍線を引いたのだ。
 説明はさらに、

阪神・淡路大震災で全壊するまで おまえの父母は
そんな線路ぎわの騒音と振動が絶えなかったちいさな家で暮らしていた

 と続くのだが。(先に「説明」されていた「住人」は、ここで「父母」になって生きているのだが。)
 そのあと、

毎年一月十七日になるとおまえは
大阪梅田から阪神電車に乗って両親の墓参りにでかける
あの日 地震の揺れを堰き止めたたくさんの川
新淀川神崎川庄下川蓬川武庫川夙川宮川芦屋川住吉川石屋川都賀川新生田川
電車はそれらの川をやすやすと渉り
しだいに震度をあげながら神戸三宮へと近づいていく

 十二本の川の名前が一気に書かれ一行。
 そこには「東から、西へ、順に」ということばはない。「順に」という、世界をととのえることばがない。だから、この一行では、川のすべてが、「順番」をもたずに、つまり「相対化され」、同時に「固定化」されずに、目の前にあらわれてくる。それを見るとき、その流れが「川」になり、名前になる。そして、また「名前」を失う。「名前」はあるが、それは、その川を語るときにその名前があらわれてくるだけであって、いつでもその名前であるわけではないのだ。(と、書いてしまうと、何か違うことを書いてしまっているという気持ちになるが。)
 「川」ではなく「家」を見ればいいのかもしれない。地震によってこわれた一軒一軒の家。そこに住むひとは、それぞれに名前があって、別々の人。しかし、そこで芯でいった人を思うとき、そのすべての人は「父母」である。「父母」であって、またひとりひとり別な人間。それが、一気に、目の前にあらわれてくる。それは「頭」でととのえ、順番に並べ直すことのできないものである。
 川は「順番に」書かれているかもしれない。しかし、そこに「順に」ということばがないことによって、「順」を失っている。「順」を無視して、それぞれが、その一行のなかに同時にあらわれてきている。便宜上上から下へ川の名前がならべられているが、そこには「順」はない。
 引用の最後の一行「しだいに震度をあげながら神戸三宮へと近づいていく」は三宮に近づくに従って、その「震度」が強くなるのを感じながら、三宮の方が梅田よりも震度が大きかったのだということを思い出しながらということだろう。そうすると、そこには一種の「順序」が「しだいに……あげながら」という形で書かれているのかもしれないが、あの一行には、「順」を感じさせる「差」がない。すべてが密着している。くっついてひとつになって、同時に、瞬間瞬間に、固有名詞として噴出してきている。
 その強烈さに、私は、何度も何度も、その知らない川を、川の名前を読み直してしまう。
 被災者の名簿を読むとき、そこに書かれているひとりひとりが、自分の肉親ではないかと感じるように。強く、肉体そのものを揺さぶられる感じだ。
 こういう「無秩序」としての「現実」がもっと書かれれば、ことばはさらに強靱になると思った。

おおきな一枚の布
服部 誕
書肆山田
コメント (1)
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