詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

林和清『去年マリエンバートで』

2017-11-04 10:54:53 | 詩集
林和清『去年マリエンバートで』(書肆侃侃房、2017年10月15日発行)

 林和清『去年マリエンドートで』は歌集。最近の、若い人の歌集とは少し違う。いや、かなり違うかなあ。

あけぼののやうやうしろき山際を見つつリビングに朝の茶を飲む

 巻頭の一首。「あけぼののやうやうしろき山際を」は「枕草子」を踏まえている。この「古典を踏まえたことば」という部分が、最近の短歌とは大きく異なる。
 どんなことばも、それぞれ「過去」を持っている。「過去」はことばの可能性を縛る。だから、「過去」を断ち切って、最近のひとはことばを動かすのだろう。もちろん、断ち切っても、断ち切っても、「過去」からことばはよみがえってくる。断ち切っているようで断ち切っていない。断ち切っていないのに断ち切ったつもりになっている。どんな世界で起きることだけれど。
 林は、こういうことに対して自覚があるのだろう。断ち切ったつもりが断ち切れていないなら、断ち切るのではなく逆に接続を強くする。そうすると、接続できないものが見えてくる。接続できないもの、といっても、ことばに接続できないものはない。どうしても接続してしまうのがことばなのだけれど。
 「リビング」くらいでは、単なる「名詞」の衝突。こういうことばは「やうやう」と同じように、アクセサリーになってしまう。
 などということを思いながら。
 「朝の茶」。うーん。これが、おもしろい。この「朝の茶」って、何? 緑茶? いわゆる日本茶? それともコーヒー? あるいはモーニング・コーヒーなんだけれど、ことばの数をあわせるために「朝の茶」と言ってみただけ? 「茶」だからコーヒーはありえない? そうかなあ。「あけぼののやうやうしろき」は、それでは、どう? 「現実」を「すでにあることば」で整えているだけであって、それは林の「オリジナル」ではない。つまり、そこには林はいても、それは林ではないということが起きている。そうであるなら、そこに「朝の茶」と書かれていても、それは「茶」ではないということが起きていてもいい。コーヒーなんだけれど、こういうときは「朝の茶」という方が世界が整う、という感じで。「リビング」に重きを置けばコーヒー、「あけぼの」に重きを置けば「茶」。さあ、どっちにする? 「事実」ではなく、ことばの問題だね。
 これは別な言い方をすると、「あけぼののやうやうしろき」と同じように、「茶」にも「出典」があるかも、ということ。そうすると、その「出典」の選択そのものが、世界の整え方、ということになるけれど。そして、その「出典」というのは、「無意識」ということもある。「あけぼののやうやうしろき」というのも、多くの日本人にとっては「意識」というより、「無意識」。「ことばの肉体」になっている。「註釈」がいらない。こういう「註釈」なしのことば、というのは私たちの「肉体」のなかにたくさんあって、それが「自然」に動いている。「自然」と「無意識」は同じ。
 で、この「自然」と「無意識」は同じというとろこから、「詩はわざと書くもの」、「意識的に書くもの」という「方法」もうまれる。「わざと」が「意識的」。
 ややこしいのは、この「わざと」には「あけぼののやうやうしろき」のように、ほとんど「無意識」のものもある。だれもがわかる「わざと」と言えばいいのか。
 そして私は、この「無意識」に近い「わざと」が好き。というか、「わざと」のなにか「無意識の肉体」が感じられることばが好きなのだ。「ことばに幅がある」「ことばに奥行きがある」と言ってもいいけれど。
 そういうものを、ひさびさに、短歌から感じた。
 そういうものを、林は「精神体」と呼んでいるようだけれど。

 読み始めたばかりなのだけれど、

母方の曽祖父母祖父母夜を来て月の屏風を踏み倒しゆく

浚渫船がずるずる引き摺り出してゐる東京の夜の運河の臓腑

木曽川長良川揖斐川とわたりつつ途中のひくい川の名をしらず

 というような歌が私は好きだ。「来て-踏み倒しゆく」「ずるずる引き摺り出して-臓腑」「ひくい-しらず」ということばの「連絡」に、「ことばの肉体」の「強さ」を感じる。この「連絡」は、一首のなかで他のことばにも「通路」をつくっている。それをどう読んだかを書いていくと、どこまで書いても終わらない「誤読」になるので、きょうは書かない。
去年マリエンバートで (現代歌人シリーズ18)
クリエーター情報なし
書肆侃侃房

*


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軍事的措置の「主語」は?

2017-11-04 07:04:13 | 自民党憲法改正草案を読む
軍事的措置の「主語」は?
            自民党憲法改正草案を読む/番外142(情報の読み方)

 2017年11月04日の読売新聞(西部版・14版)の1面。

トランプ氏あす来日/対北有事 日韓と協議/米補佐官明言 危険性を共有

 という見出し。前文には、こう書いてある。

北朝鮮の核・ミサイル開発を巡り、米国のマクマスター国家安全保障担当大統領補佐官は2日、トランプ大統領が3日からのアジア初歴訪で「軍事措置の可能性について話さなければ無責任なことになる」と述べた。

 意味がよくわからない。
 「軍事的措置」の「主語」がわからない。
 名詞(軍事的措置)を動詞に書き直して(「軍事的措置をとる、軍事的制裁をくわえる」と書き直して)、その動詞の主語を探し当て、文章をとらえなおさないといけない。
 北朝鮮に対して、誰が(どの国が)「軍事的措置」を取るのか。韓国が? 日本が? 違うなあ。アメリカだろう。
 でも、なぜ?
 北朝鮮が韓国侵攻を企てている。日本への戦争を企てている。これも違うだろう。
 北朝鮮の核開発、ミサイル開発が進んで、アメリカ本土が「射程」に入ってきつつある。このことに対して、アメリカは「軍事的措置」を考えている、ということだろう。
 そのことを日本、韓国と「協議する」必要があるのはなぜか。
 アメリカが北朝鮮を「先制攻撃」する。北朝鮮の核開発施設、および核兵器を格納している施設を攻撃し、破壊する。「戦争」は、それだけでは終わらない。北朝鮮はきっと反撃する。「核弾道ミサイル」が破壊され、つかえなくなったとしても、反撃する。アメリカ本国を攻撃できないなら、近くにある米軍基地を攻撃する。韓国にある米軍基地、日本にある米軍基地を攻撃する。つまり、アメリカのしかけた戦争に韓国と日本がまきこまれる可能性がある。だから、「事前協議」をしておく必要がある。言い換えると、韓国と日本に対し「準備をしておけ」と言いにくるぞ、と言っている。

 これは、こんなふうに言いなおされている。これを読むと、かなり「内容」がわかる。

①北朝鮮による侵略の危険性
②軍事行動に伴い発生するかもしれない重大な犠牲
③北朝鮮の核・ミサイル開発阻止のために十分な努力をしないことの危険性
について、(マクマスターは)「共通の理解」を得る必要があるとした。

 ①は、主語、補語を明確にして書き直すと、「北朝鮮が核ミサイルをつかってアメリカを攻撃する可能性」である。「主語」は北朝鮮。
②は北朝鮮(①の主語)に対して、対抗措置として、アメリカが軍事行動を起こした場合、発生するかもしれない重大な犠牲。ここでの主語は「アメリカ」であり、「重大な犠牲」が発生する場所は、書かれていないが韓国と日本である。(北朝鮮については、敵国なので、「重大な犠牲」とは言わないだろう。)これは、韓国、日本を「犠牲にしてでも」、アメリカはアメリカ本土を守る意思がある、ということ。
③は、だから、日本と韓国に対して、北朝鮮が核ミサイルを開発することをやめるようにするために、どんな「努力」をするのか、明言しろ、ということ。戦争になれば、犠牲になるのは韓国と日本。犠牲になりたくなかったら、何かしろ。何をするか、はっきり言えというのである。

 ③は、簡単に言えば、防衛のためにもっとアメリカから「軍備」を買え、ということだろう。そうすれば「犠牲」は、ある程度は少なくできる。
 「日韓と協議」とは「日韓」と「武器売りつけ」に関する協議をするということだろう。これだけ買えば、これだけ安全が高まる、という「説明」をし、武器を売りつけるということだろう。
 インタビューの「要旨」(7面)を読むと、このことがさらに鮮明になる。

安倍首相は日本の防衛力をいかに進化させるかについて明確な展望を持っており、米国は支援を惜しまない。弾道ミサイルが日本を飛び越えるようなことは容認できない。

 後半の「弾道ミサイルが日本を飛び越えるようなことは容認できない」は、安倍の「北朝鮮ミサイルが日本上空を通過した」という表現を借用したものだろう。安倍の言い分を借用しながら、北朝鮮の危険性を訴える(安倍の説を正しいと肯定する)つもりなのだろう。
 でも、注意深く読んでみよう。マクマスターは、

北朝鮮ミサイルが日本を攻撃することは容認できない

 とは言っていない。「飛び越えるようなことは容認できない」と言っている。言い換えると「日本を飛び越えずに、日本に落とすことは容認できる」でもある。日本を飛び越えて「アメリカを攻撃すること」は容認できないと言っているのだ。
 そういうことが起きないようにするために、韓国と日本に米軍基地をつくっている。韓国、日本という、北朝鮮に近い場所に米軍基地をつくり、そこからいつでも北朝鮮を攻撃するぞ、と言っているのである。
 前半は、安倍首相は、日本の防衛力を進化させるために、「何をアメリカから買うべきか」ということについて明確な展望を持っている、ということであり、その展望を支持するということは、それに必要な武器を必ず売る。けっして売り惜しみはしない、ということである。
 「明確な展望」に「憲法改正」を含めるひとがいるかもしれないが、憲法改正を「有事」は待っていてくれるとは限らない。それよりも「武器を買え」だろう。

 アメリカは、北朝鮮危機をあおりながら、「日本に武器を買え」という交渉をしにくる。日韓が武装を強化しつづければ、北朝鮮はアメリカではなく日韓に目を向ける。そうすれば、アメリカが攻撃される危険性は減る。
 外交とは、言い換えると、戦争をしないで、どうやって金をもうけるか、という交渉が基本だろう。「戦争」を前面に出すと問題が多いので、「平和を守り続けるために」と言うけれど、いまやっていることは「金もうけ」ばかり。金がもうかれば、それでいい、金を多くもうけるのが「正しい」という資本主義がのさばっている。金もうけのために、「戦争の聴き」さえ利用しようとしている。安倍が衆院選で利用したものを、トランプがさらに利用しようとしている。
 金をばらまくことで、相手の歓心を買う(気に入られるために金を惜しまない)ことが大好きな安倍は、トランプとの「協議」のあと、アメリカからどういう「軍備」を買うのか。きっと、膨大な「支出」が約束されるのだろう。
                    


#安倍を許さない #安倍独裁 #沈黙作戦 #憲法改正 #天皇生前退位
 
詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載
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