監督 トム・フォード 出演 エイミー・アダムス、ジェイク・ギレンホール
これは反則映画である。
映画のなかで主人公(エイミー・アダムス)が、別れた夫(ジェイク・ギレンホール)が書いた小説(ノクターナル・アニマルズ)を読む。小説は「映画」として描かれている。エイミー・アダムスの「頭の中」、小説を読んで思い浮かべる「情景」が「映画」として描かれている。
こんな反則は、いけない。
どっちが「映画」なのか、わからない。
小説を読んでいるエイミー・アダムスが映画なのか、別れた夫との関係が映画なのか、それとも小説を再現した部分が映画なのか。しかも、「現実」の別れた夫と、再現映画の主人公をジェイク・ギレンホールが演じるので、とてもややこしくなる。
エイミー・アダムスが主人公を想像するとき、ジェイク・ギレンホールを重ね合わせただけなのか、「現実のジェイク・ギレンホール」は小説の中の主人公を「自分」と重ね合わせて書いているのか。エイミー・アダムスが「小説の主人公」と「現実ジェイク・ギレンホール」と重ねるとき、その小説に出てくる「妻」と「娘」はどうなるのか。エイミー・アダムスとほんとうの娘なのか。
小説のなかでは妻と娘はレイプ魔に殺される。そのためにジェイク・ギレンホールは苦しむのだが、現実にあったことは、エイミー・アダムスがジェイク・ギレンホールのこどもを堕胎する。生まれるはずの「娘」を殺したのは、「現実」の世界ではエイミー・アダムスであり、彼女は生まれるはずの「娘」を殺すことでジェイク・ギレンホールを殺したとも言える。(愛を葬り去った。)小説の中のジェイク・ギレンホールの姿を追いながら、エイミー・アダムスは隠し続けてきた彼女の「殺人」に出会ってしまう。それは「意識」のなかの「殺人」である。
この「意識」を中心に「全体」を見渡しなおすと、「現実のジェイク・ギレンホール」は「現実のエイミー・アダムス」の「殺人(堕胎)」に対しての復讐をするために、小説を書いていることになる。(復讐は、映画の途中で「リベンジ」という文字として登場してくる。)小説のなかでは、ジェイク・ギレンホールは妻と娘を殺したレイプ魔を殺している。
という具合で。
映画は、「現実」と「小説/小説の映画」は交錯しながら、登場人物の(エイミー・アダムス、ジェイク・ギレンホール、レイプ魔)の関係を微妙にずらしながら重ね合わせる。「意識」がまじりあう。「小説の映画」のなかの登場人物が、実際は誰を「象徴」しているのか、わからなくなる。どう解釈しても、その解釈が成り立つようになっている。
この「重ね合わせ」と「ずらし」を、「小説映画」のなかの映像(エイミー・アダムスの想像)と「現実の映像」をシンクロさせる形で強調する。小説のなかで殺された妻と娘の向き合った裸は、現実の娘(新しい夫との間の子ども)が男とセックスし、抱き合っている姿と重なるという具合に。
とても巧妙である。
そして、この「重ね合わせ」が素早くできるようにするために、「小説」の舞台をテキサスの荒野にしたところが、また、とても「ずるい」。反則ではないが、反則であることを確信して、映画をつくっている。誰もいないハイウェー、その暗いだけの道。そこで起きる「事件」は、「目撃者」がいない。だから、それは「空想」かもしれない。それこそ「小説」であって、現実ではないかもしれない。「意識」のなかで、ことばがストーリーをつくっているだけなのかもしれない。「意識」だから、すべてが簡単に「交錯」し、また入れ替わる。
こういうことができるのは、繰り返しになるが、情報量が少ないからである。映像がシンプルである。だから簡単に重ねあわさるのだ。都会のハイウエーで起きた「レイプ」なら、こんな具合にはいかない。
この情報量の少なさは、エイミー・アダムスの「仕事」を、なんだかよくわからない現代アートにしたことによって、さらに効果的になっている。逆手にとっている、ともいえるなあ。「現実」の映像が、シンプルで、奥行きがない。とても「豪華」であるのだけれど、「余剰」がない。
どうも、どこまで「反則」が可能か、を追及した映画のようにも見える。映画そのものはふつうの娯楽映画なのだが、この手の込んだ「反則」と、真剣に「反則」をしかけてくるつくり方に★を一個追加した。最後の最後、小説に感動した(?)エイミー・アダムスがジェイク・ギレンホールをデートに誘うのだが、その誘いに「いく」と答えながら姿をあらわさないところなど、「反則」の仕上げとして最高によくできている。「来ない」ということは、見ていれば誰にでもわかるのだが、その誰にでもわかるところに「幕」をもっていくというのは、「反則」の結末としてとてもいい。
(KBCシネマ1、2017年11月01日)
*
「映画館に行こう」にご参加下さい。
映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
https://www.facebook.com/groups/1512173462358822/
これは反則映画である。
映画のなかで主人公(エイミー・アダムス)が、別れた夫(ジェイク・ギレンホール)が書いた小説(ノクターナル・アニマルズ)を読む。小説は「映画」として描かれている。エイミー・アダムスの「頭の中」、小説を読んで思い浮かべる「情景」が「映画」として描かれている。
こんな反則は、いけない。
どっちが「映画」なのか、わからない。
小説を読んでいるエイミー・アダムスが映画なのか、別れた夫との関係が映画なのか、それとも小説を再現した部分が映画なのか。しかも、「現実」の別れた夫と、再現映画の主人公をジェイク・ギレンホールが演じるので、とてもややこしくなる。
エイミー・アダムスが主人公を想像するとき、ジェイク・ギレンホールを重ね合わせただけなのか、「現実のジェイク・ギレンホール」は小説の中の主人公を「自分」と重ね合わせて書いているのか。エイミー・アダムスが「小説の主人公」と「現実ジェイク・ギレンホール」と重ねるとき、その小説に出てくる「妻」と「娘」はどうなるのか。エイミー・アダムスとほんとうの娘なのか。
小説のなかでは妻と娘はレイプ魔に殺される。そのためにジェイク・ギレンホールは苦しむのだが、現実にあったことは、エイミー・アダムスがジェイク・ギレンホールのこどもを堕胎する。生まれるはずの「娘」を殺したのは、「現実」の世界ではエイミー・アダムスであり、彼女は生まれるはずの「娘」を殺すことでジェイク・ギレンホールを殺したとも言える。(愛を葬り去った。)小説の中のジェイク・ギレンホールの姿を追いながら、エイミー・アダムスは隠し続けてきた彼女の「殺人」に出会ってしまう。それは「意識」のなかの「殺人」である。
この「意識」を中心に「全体」を見渡しなおすと、「現実のジェイク・ギレンホール」は「現実のエイミー・アダムス」の「殺人(堕胎)」に対しての復讐をするために、小説を書いていることになる。(復讐は、映画の途中で「リベンジ」という文字として登場してくる。)小説のなかでは、ジェイク・ギレンホールは妻と娘を殺したレイプ魔を殺している。
という具合で。
映画は、「現実」と「小説/小説の映画」は交錯しながら、登場人物の(エイミー・アダムス、ジェイク・ギレンホール、レイプ魔)の関係を微妙にずらしながら重ね合わせる。「意識」がまじりあう。「小説の映画」のなかの登場人物が、実際は誰を「象徴」しているのか、わからなくなる。どう解釈しても、その解釈が成り立つようになっている。
この「重ね合わせ」と「ずらし」を、「小説映画」のなかの映像(エイミー・アダムスの想像)と「現実の映像」をシンクロさせる形で強調する。小説のなかで殺された妻と娘の向き合った裸は、現実の娘(新しい夫との間の子ども)が男とセックスし、抱き合っている姿と重なるという具合に。
とても巧妙である。
そして、この「重ね合わせ」が素早くできるようにするために、「小説」の舞台をテキサスの荒野にしたところが、また、とても「ずるい」。反則ではないが、反則であることを確信して、映画をつくっている。誰もいないハイウェー、その暗いだけの道。そこで起きる「事件」は、「目撃者」がいない。だから、それは「空想」かもしれない。それこそ「小説」であって、現実ではないかもしれない。「意識」のなかで、ことばがストーリーをつくっているだけなのかもしれない。「意識」だから、すべてが簡単に「交錯」し、また入れ替わる。
こういうことができるのは、繰り返しになるが、情報量が少ないからである。映像がシンプルである。だから簡単に重ねあわさるのだ。都会のハイウエーで起きた「レイプ」なら、こんな具合にはいかない。
この情報量の少なさは、エイミー・アダムスの「仕事」を、なんだかよくわからない現代アートにしたことによって、さらに効果的になっている。逆手にとっている、ともいえるなあ。「現実」の映像が、シンプルで、奥行きがない。とても「豪華」であるのだけれど、「余剰」がない。
どうも、どこまで「反則」が可能か、を追及した映画のようにも見える。映画そのものはふつうの娯楽映画なのだが、この手の込んだ「反則」と、真剣に「反則」をしかけてくるつくり方に★を一個追加した。最後の最後、小説に感動した(?)エイミー・アダムスがジェイク・ギレンホールをデートに誘うのだが、その誘いに「いく」と答えながら姿をあらわさないところなど、「反則」の仕上げとして最高によくできている。「来ない」ということは、見ていれば誰にでもわかるのだが、その誰にでもわかるところに「幕」をもっていくというのは、「反則」の結末としてとてもいい。
(KBCシネマ1、2017年11月01日)
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