詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

吉田正代『る』

2017-11-21 09:42:43 | 詩集
吉田正代『る』(まどえふの会、2017年07月31日発行)

 吉田正代『る』は二部構成。前半は「つめ」が描かれてる。「る」は「つめ」を見て思いついた詩のようである。

くるん とはねるつめ
ひとさしゆびのつめ
たてにわれて
る るるん るん

 この「る」は「おと」かなあ。
 私には「形」に見えてしまう。「る」の最後の部分、丸まった部分が「は」「ね」「る」の文字に共通する。「め」もなんとなく似ている。「視覚の音楽」がある。
 二行目に出てくる「ゆ」も似ていないことはない。
 でも、三行目には「る」に似た形の文字がない。ここがちょっと残念。
 「るる」はどうか。

のびる
のびる
つめがのびる
るるる
のびる
のびる
つめがまるまる
まるまる
まる
まる

 何も書いてないといえば何も書いていない。でも「る」が書いてある。なんでもないのだけれど、なんとなく私の目は「る」の字を楽しんでいる。
 「はる」は楽しい。「る」以外の繰り返しも出てくるが、「る」の繰り返しを見ているので、「る」の変奏のようにも感じられる。

ゆなちゃんのママのママから
とどいたはる
たらのめたらのめ
よもぎ

つめたいみずにこなをくわえ
かるくまぜ
はるのてんぷらぷら
ゆずしおつけて
ゆなちゃんのママのママの
ききてのつめ
まっくろくろくろ
そまったはる

 「おばあちゃん」と言わずに「ママのママ」と書くところから繰り返しははじまっているのだが、二連目の「おゆずしお」からの展開がとてもおもしろい。
 「ゆ」ずしお、「ゆ」なちゃんが行をまたいで「横」に繰り返されたあと、

ききてのつめ

 この「きき」の「縦」の「き」の繰り返しが不思議。「利き手」という「意味」になっているのだけれど、一瞬「意味」を忘れる。
 「そまったはる」は「染まった春」なのだろうけれど、京都弁(?)では「染まっている」を「そまってはる」とか「そまったはる」という具合に言わないだろうか。
 私は京都の人間ではないので、なんとなくそんなことを感じ、ここに「口語」が生きていると感じ、それもこの詩を楽しく感じる理由になっている。
 春の山菜で天ぷらをつくる。そういう日常が「音楽」になっている。「視覚」と「聴覚」が不思議な形でまじりあう。「つめ」を前面に出さず、山菜のアクで黒く染まっていると隠しているところもおもしろいと思った。

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