詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

なぜいま「森友学園」か。(安倍の沈黙作戦)

2017-11-23 11:37:37 | 自民党憲法改正草案を読む
なぜいま「森友学園」か。(安倍の沈黙作戦)
             自民党憲法改正草案を読む/番外153(情報の読み方)

 2017年11月23日の読売新聞(西部版・14版)が森友学園問題を取り上げている。1面の見出し。

森友用地 ごみ過大推計/検査院指摘 「実際は3-7割」

 関連記事が社会面に載っている。その見出し。

森友問題 財務局「ゼロ円に近く」/音声データ 学園の要求通り

 籠池が執拗に値引き交渉し、それに沿う形で国が対応したという「実態」がやっと明確になってきた。
 でも、なぜ今なんだろう。検査院はなぜもっと早く調査結果を公表できなかったのか。私は疑り深い人間なので、こう考える。
 これは「加計学園」問題から目をそらさせるためのものである。加計学園獣医学部は新設が認められたが、認められればそれで「終わった」ということにはならないだろう。問題点を探り出し、「認可」が正しいものであるかどうか問いただすことはできる。そこから安倍の姿勢を追及することもできる。そういうことをさせないために、森友学園の問題が利用されているのだ。
 加計学園獣医学部の認可は、8月末、10月末、11月とつぎつぎに引き延ばされたが、これは衆院選を有利に進めるというだけではなく、森友学園の問題を発表する時期をも含めて「調整」されたのではないのか。

 読売新聞の社会面の記事では、次の部分に注目した。(すでに既報のものだが。)籠池と近畿財務局との交渉を記録した音声データ。

 「損害賠償(訴訟)を起こさなしゃあない」。2016年3月15日、籠池被告と妻(略)は、財務省国有財産審理室長に強い口調で迫った。室長は「当然、対応しなければならない」と約束した。

 加計学園の審査過程でも「訴訟」がとりざたされた。認可しないと加計学園から訴えかけられないという話が出て、問題点を認識しながらも審査員が「認可」に賛成したという記事を読んだ記憶がある。(11月11日の新聞が手元にないので引用できない。)
 森友学園の籠池も「損害賠償(訴訟)を起こさなしゃあない」と言っている。同じことを、加計が直接、審査員に対していったわけではないだろうが、「どこかから」そういう声が「聞こえてきた」。そして、おじけづいた。
 ふーむ。
 私は、籠池が、あるいは加計が、独自に「訴訟話」を思いついたとは考えない。同じ「脅し」を籠池と加計が思いつくとは思えない。だれかが、交渉に行き詰まれば「訴訟」を口にすればいいと指示しているのではないか。すでに工事は見切り発車ではじまっている。金を投資している。認可されないと損害が出る。どうしてくれる。訴えるぞ。

 安倍は、加計問題を隠すために(加計問題の論戦を沈黙させるために)、森友学園(籠池)の問題をしきりに報道させようとしているのだろう。
 しかし、おもしろいことに、籠池の問題を全面展開すると、そこに加計問題で「ちらり」と見えたものがクロースアップされるということが起きる。ふたつの問題は完全に重なり合う構造なのだ。安倍の「沈黙作戦」のほころびか。あるいは読売新聞の記者の反骨か。


詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載
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天皇の政治利用と「静かな環境」

2017-11-23 10:55:38 | 自民党憲法改正草案を読む
天皇の政治利用と「静かな環境」
             自民党憲法改正草案を読む/番外152(情報の読み方)

 2017年11月23日の読売新聞(西部版・14版)の1面の見出し。

19年5月 新天皇即位へ/元号 来年中に公表

 きのうの「続報」。なぜ「5月1日」か。その「理由」がふたつ書いてある。

(1)19年4月の統一地方選が終了することに加え、大型連休中の国会も、事実上休会していると予想されることから、「政治的な対立が激しい中での退位は望ましくない」(政府関係者)とする方針に合致する。
(2)「19年3月末退位・4月1日改元」案もあわせて検討しているが、転勤・進学など国民の転出入がピークを迎える時期と重なり、元号変更に伴う官公庁の混乱を懸念する声が出ている。

 もっともらしく聞こえるが、こういう「理由」は「屁理屈」にすぎない。
 (1)は、天皇は「国権に関する権能を有しない」、つまり「政治的な行為はできない」のだから、政治の状況がどうであれ、「退位/即位」は無関係である。「政治的な対立が激しい」かどうかは関係がなくおこなわれることである。「政治的対立」を避けたいというのは、政治的対立を「起こしたくない」、野党を「沈黙させたい」ということの言い換えにすぎない。安倍は、なんとしても国民を沈黙させ、沈黙の中で「政治支配」をしたいということである。
 (2)の理由は、私ははじめて読んだ。これまでに、こういう「理由」が書かれたことがあったかどうか。私が読み落としただけなのか。しかし、とても滑稽である。
 前文には「新元号は、来年中に事前公表する方針だ」とある。年号が「4月1日」に変更すると事前にわかっていれば、あらゆるシステム処理は事前に終わっているはずである。(うまく作動するかどうかの点検を含めて。)そうであるなら、転勤・進学など国民の転出入がピークだったとしても、いつも通り(例年通り)転出入手続きができるはずである。だいたい、問題を起こさないための「事前公表」のはずである。
 こんなばかばかしい「理由」をでっちあげるのは、別の「理由」が隠されているからである。いつ「天皇を強制生前退位をさせるのが政治的に一番有効か」ということが考えられているだけである。

 読売新聞は、きのうにつづいて、

「静かな環境で」最優先

 と「静かな環境」ということばをつかって「退位へ 残された課題」という「連載」をはじめている。
 このときの「静かな環境」というのは「政治的に静かな環境」ということである。安倍の「代弁」である。「平成天皇ありがとう、新天皇誕生おめでとう」という感謝、祝福が「静かな」形で展開されるのがいいということではない。もし、国民のなかに「お祝いしたい」という気持ちが盛り上がり、「にぎやか」になったら、それも「静かではない」という理由で抑圧するのだろうか。きっと「新天皇誕生/新元号」をテーマ「商戦」が「にぎやか」に展開されるだろう。これも「静かな環境」に反するからしてはいけない、ということになるだろうか。「静かな環境」ということばは美しいが、美しさにはいかがわしいものが隠されていることがある。

 安倍が「静かな環境」というとき、それはいつでも国民に「政治批判をさせない」という意味である。天皇制と安倍政治の関係について「批判させない」ということだけを安倍は考えている。これは、やはり天皇制度の「政治利用」である。
 籾井NHKをつかった「天皇生前退位意向」のスクープから、それはずっーとつづいている。いや、それ以前から天皇の発言を利用する(いつ、天皇に発言させるかコントロールする)ということはつづいている。それがどんどんエスカレートしている。
 読売新聞の1面には「森友用地 ごみ過大推計」という見出しの記事ものっている。森友学園、加計学園の問題なども、「教育が政治的議論になると、勉学する児童(生徒)、学生に影響する。教育には静かな環境が不可欠である。政治的対立は避けるべきだ」という論理で、「真相究明」が封印される危険性がある。
 国会で加計学園が最初に話題になったとき、安倍は何と言ったか。「名前を出す以上、確証がなければ失礼。生徒も傷つく。(安倍が)全く関係なかったら責任取れるんですか?」と「生徒の心情」を引き合いに出し、追及した福島の質問を封じている。こういうことがこれからも頻繁に起きてくるだろう。そのとき必ず「静かな環境」ということばがつかわれるだろう。
 「静かな環境」というのは、安倍の「独裁」を批判せずに受け入れろという意味なのである。

 何度も書くが、「うるさい」のが民主主義の基本である。「小さな声」にどれだけ時間をかけて向き合うか、「小さな声」が指摘する問題点にどう答えていくかが民主主義の課題である。「小さい」というだけで切り捨てるとき、「独裁」がはじまる。すでにはじまっている。


#安倍を許さない #安倍独裁 #沈黙作戦 #憲法改正 #天皇生前退位
 
詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載
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