狩野永徳「檜図屏風」と長谷川等伯「松林図屏風」(「新桃山展」、九州国立博物館、2017年11月15日)
狩野永徳「檜図屏風」と長谷川等伯「松林図屏風」が同時に見られる、というので九州国立博物館の「新桃山展」を見てきた。
「同時に」というのは、「同じ会場で」くらいの気持ちで行ったのだが、ほんとうに「同時に」見ることができる。直角に交差する壁の正面に「檜図」を見るとき、右手に「松林図」、正面に「松林図」を見るとき、左手に「檜図」という具合。その部屋に入った瞬間、自然に二点が見える。
この展示方法に度肝を抜かれる。まさか、こういう展示になっているとは思わなかった。
感想は、どう書き出そうか。
永徳の「檜図屏風」は、登りたくなる木である。木に勢いがある。大木だから、老木でもある。だが力がみなぎっている。山で育った子どもなら、たぶん誰でも、こういう木を見ると登らずにはいられない。木に登ると木を征服した気持ちになる。木よりも強くなった気がするからだ。大将になった愉悦がある。そして永徳の檜は、木というよりも「龍」である。いまふうに言えば「ゴジラ」、それも「シン・ゴジラ」である。これを乗りこなければかっこいい。そういう気持ちがむらむらと沸き起こってくる。
等伯の「松林図」の松は登る木ではない。眺める木である。いや、木を眺めるというよりも、木との「距離」を眺めると言った方がいい。それは自分自身を間接的に見つめるという感じかなあ。大将の愉悦ではなく、孤独にひたり、孤独をに酔う。でも、こういうのは思い過ごしで、松は人間を相手になどしてくれない。だからよけいにさびしさに閉じこもってしまうのだが、そういう「感情」を、等伯は松林にたちこめる霧に託して描いている。「空気」を描いている。松林を「背景」にして、霧を動かし、その動きを描いている。
では、永徳は「空気」をどう描いている。永徳は霧ではなく雲を描いている。永徳の雲は等伯の半透明の霧とは違って、不透明で、雲の背後を完全に隠す。遮断する。その「目隠し」を強いる雲を突き破って躍動する檜を、永徳は描いている。雲を背景に、木の力を描いてる。雲はもちろん、あらゆるものを破壊してしまう力を描いている。
描き方がまったく違う。
永徳が檜を「主役」に雲(空気)を「脇役」として描いているとしたら、等伯は霧を「主」にして松を「脇役」にしている。そして、この「主役」と「脇役」は永徳の場合は固定化しているが、等伯の場合は固定化しない。松を見つめれば松が「主役」に、霧を見つめれば霧が「主役」にと流動化するという点でも、二人の描き方はまったく違う。
さらに「遠近感(距離感)」の描き方も違う。
永徳の檜は幹と枝の重なり具合をとおして「距離感(遠近感)」をつくりだしている。太い幹の手前に枝が右から左へ伸びる。幹はその枝の「背景」になっている。「前後」ができる。つまり「遠近感」が、一本の木の動きとして描かれている。木が成長すること、大きくなる(育つ)という時間の動きがそのまま「遠近感」になっている。
等伯の「遠近感」は一本の松で産み出されるのではなく、複数の松の重なり合い、ふたつの松のあいだの「空間」として描かれている。そして、その「遠近感」(画家からの距離)は二本の松を比較するときはわりと明瞭だが、離れた松の距離感となるとかなりむずかしい。こうだろう、という具合に思うことはできるが、それが正確かどうかはわからない。ただよう霧の動きが遠近感を壊していく。そして、「遠近感」をつくりながら同時に壊すという動きで、霧は「霧こそが主役だ」と主張しているようにも見える。
(この「新桃山展」での展示の仕方も、なかなかおもしろい。どちらも「屏風図」なのだが、永徳の檜は、平らに、襖絵のように展示されている。等伯の松は屏風の形、つまり折れ曲がった状態で展示してある。スペースの関係でそうなったのかもしれないが、この折れ曲がった屏風そのものがつくりだす遠近感が等伯の絵にさらに陰影を与えている。)
等伯の松は、霧がつくりだす独自の遠近感(距離感)によって、孤立する。複数の松が描かれているのに「孤独」が感じられる。永徳の檜はエネルギーが有り余っているので、一本でも「孤立」という感じはない。右端にもう一本檜の幹があると私は見たが、そこに別の木があろうとなかろうと、完全に独立している。こういう印象も違う。
さらに私は、こんなことも考える。私はピカソ、セザンヌ、マティスが好きである。永徳と等伯のなかに、ピカソ、セザンヌ、マティスはいないか。
永徳の、「遠近感」をつくっている枝を見ると、私はピカソを思い出さずにはいられない。ピカソは素早く動く視線の力で、平面のなかに「時間」を同居させた。たとえば「泣く女」の顔には涙を流し、ハンカチを食いしばる女の「動き」そのものが一瞬として描かれてる。永徳の枝の動きにも、その枝がその形になるまでのいくつもの動きが瞬間として描かれている。だから、まるでゴジラの尻尾のように、いまにも右方向にも動いていきそうな力を感じる。しっぽをぶんぶん振り回し、戦車や戦闘機と戦うゴジラのように。ピカソが対象を「運動する生き物」として描いているように、永徳もまた「動く存在」として檜を描いている。そしてまた、その少ない色数の、色の拮抗のなかにマティスを感じる。色が動いている。色がリズムになっている。
等伯に感じたのはセザンヌである。セザンヌは、私にとっては色が堅牢、堅牢な色の画家である。墨一色、墨の濃淡で描かれた絵のどこにセザンヌが生きているか。筆の動き、余白の力にセザンヌがいる。セザンヌの色はパレットの上で完成している。セザンヌはパレットの上でつくった色をさっとカンバスに塗る。カンバスのなかで色を重ねて色をつくるということはしない。(と、私は思っている。)等伯も、まるで墨を含ませた筆そのもののなかで濃淡をつくり、それをぱっと襖の上に走らせただけという感じだ。筆の勢いで墨がかすれる。そうやってできる「空白」さえ、筆のなか(墨のなか)でつくられたものであるかのような印象がある。書き直しのきかない速さのなかで絵をつくっている。(ほんとうに短時間で描いたかどうかではなく、そこに残されている筆の動きの時間が短いというのが、セザンヌに似ている。)
等伯の「松林図屏風」については、以前にも書いたことがあるので、永徳についてだけ、もう少し追加して感想を書く。
展覧会に入場したひとは、その道順にしたがって歩いていくと、「檜図屏風」を見る前に、永徳の「琴棋書画図」を見る。水墨画である。(それがちょうど「松林図」と向き合っている。)この右側部分に描かれた松(?)の枝振りが檜の枝振りに似ている。右から左へ伸びた枝が幹を手前で横切る形になっている。永徳は、この構図(?)が好きだったのだろうか。枝を幹と交錯させることで、強引に「遠近法」をつくりだし、全体を動かすということが好きだったのだろう。そういうことを感じる。
またこの展覧会では、永徳の祖父の元信の「四季花鳥図屏風」も展示されている。狩野派なのだから当然なのだろうが、雲の描き方が共通しているのがおもしろい。「四季花鳥図屏風」では金色の雲が桜や何やらを、強引に、部分的に隠している。手前に鳥がいて、その後ろに雲がむくむくと動いていて、その雲の向こうに桜がところどころ姿を見せている。こういう「遠近法」は「絵」のなかだけにしかない。実際の風景としては見ることができない。けれど、「遠近」をつくりだす方法としてはとてもおもしろい。それを永徳は踏襲している。ただ踏襲するだけではなく、檜と雲を戦わせているというのがおもしろい。永徳は描きたいものだけを描く、描きたくない部分は雲で隠す。隠して、見る人に隠れされている木を初めとする風景を想像させる。
等伯は、霧で隠れている松を想像させると同時に、松を隠す霧にも「主役」を割り振ってたのに……。
あ、また等伯のことを書いてしまったか。
絵を見ながら感想を書いているのではなく、思い出しながら書いているので、どうしてもことばがあっちへ行ったりこっちへ行ったりしてしまうが、とても刺戟的な展覧会である。時間があれば、ぜひ、もう一度みたい。