池井昌樹「言葉」(「●福」107、発行日不詳)(●は「巨」のコの下に縦線、「臣」のコの上下の縦線のうち、上の縦線がない漢字)
池井昌樹「言葉」の全行。
なんでもひとりでできたころ
どこにもひとりでゆけたころ
なんだってよろこびだった
どこだってかがやいていた
……そらがきれいだ
うみがきれいだ
なんにもひとりでできなくなって
どこにもひとりでゆけなくなって
ひとはひとりでないことを
ひとりでいられないことを
……そらがきれいだ
うみがきれいだ
そんなことばももらしたけれど
……もっときれいだった
なんのこと?
わからない
そういいかけて
ふいにだまって
ひとはうまれてはじめてのよう
みつめあうのだ
……そらのした
うみのほとり
どんなことばもきれいにすてて
三連目の「ひとはうまれてはじめてのよう」が強く響いてくる。同時に、なぜ「ひと」なのだろうか、とも思う。「ひと」と書いているが、この詩の場合、「ひと」は池井と妻だろう。「わたしたちは」、あるいは「ふたりは」が主語である。
でも、池井は「ひと」と書いている。
自分自身のこことして語っていない。
読み返すと、全部がそうである。池井の「体験」を書いているように見えるが、池井であることにこだわっていない。「ひと」になって書いている。
そうであるなら、最終行の「どんなことばもきれいにすてて」も個人ではなく、「ひと」と「ことば」の関係だろう。
「ことば」を捨てて向き合う(見つめ合う)のは、妻とだけではない。「世界」そのものと向き合う。「空」とも「海」とも「ことば」を捨てて向き合う。それは「ひと」が「世界」になることだ。
「世界」を生み出しながら、同時に「世界」のなかへ消えていく(世界とひとつになっしまう/区別がなくなる)ことば。
それを詩と呼んでいいかどうか、むずかしい。
「結果」は詩ではない。
でも、そこへ向かって動いている間は、ことばは、詩だ。
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