大木潤子『私の知らない歌』(思潮社、2018年06月01日発行)
詩というもののほかに、詩集というものがあるのかもしれないが、私は「本」よりも「ことば」を読みたい。そしてそのときの「読む」とは目で見るではなく、音を聞くことである。私は音読はしない。(朗読にはまったく関心がない。)でも、ことばは音だと信じている。
大木潤子『私の知らない歌』は「477」までページ番号が振ってある。奇数ページにのみ作品が印刷されている。右側のページは空白だ。だからこの半分のページでも詩集(本)にできるのだが、大木はあえてこういうスタイルをとっている。これは言い換えると、詩集そのものが詩だという主張だ。
しかし、私はこういう主張に与しない。
私はいつでも詩集を離れてことばを読む。ことばを動かす。私の肉体の中で動くものとしか向き合うことができない。
409ページから425ページにかけては1ページに1行ずつ書かれている。詩集のスタイルを無視して引用すると、次のようになる。
引用しなかった部分との関連で言うと「粉」は「鳥の羽毛」の比喩である。それは光り輝く傷という比喩に変わる。「のようなもの」というまだるっこしいことばを踏み台にして、比喩が跳躍していく。
それはそれで、ことばの「論理」としてわかるが(誤読かもしれないが)、疑問の方が大きい。
なぜ1ページに1行なのか。
比喩が動くときのリズムを明確にしたいのかもしれないが、もしリズムを重視するなら1ページ1行という振り分け方自体がおかしくないか。大木にとって、ことばは、そんなふうに正確なリズム(単調なリズム?)で動くものなのか。
光を含む二つのことば、「燐光」「閃光」のあいだに「放射される」という動詞があり、それが「傷」という異質なものを呼び込み、一種の化学反応のようなものが起きる。こういうとき、私の感覚では、それは「無時間(非常に短い瞬間)」である。ことばが、突然詩に変わる瞬間は、短い。それを1ページずつに割り振ってしまうリズム感覚(時間感覚)が私にはわからない。
私はわからないものは、信じない。
*
評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』を発行しました。190ページ。
谷川俊太郎の『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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「詩はどこにあるか」5、6月の詩の批評を一冊にまとめました。
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注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
詩というもののほかに、詩集というものがあるのかもしれないが、私は「本」よりも「ことば」を読みたい。そしてそのときの「読む」とは目で見るではなく、音を聞くことである。私は音読はしない。(朗読にはまったく関心がない。)でも、ことばは音だと信じている。
大木潤子『私の知らない歌』は「477」までページ番号が振ってある。奇数ページにのみ作品が印刷されている。右側のページは空白だ。だからこの半分のページでも詩集(本)にできるのだが、大木はあえてこういうスタイルをとっている。これは言い換えると、詩集そのものが詩だという主張だ。
しかし、私はこういう主張に与しない。
私はいつでも詩集を離れてことばを読む。ことばを動かす。私の肉体の中で動くものとしか向き合うことができない。
409ページから425ページにかけては1ページに1行ずつ書かれている。詩集のスタイルを無視して引用すると、次のようになる。
粉
のようなもの
の
散乱
鱗粉、
( 燐光、-- )
放射される
傷
( 閃光 )
引用しなかった部分との関連で言うと「粉」は「鳥の羽毛」の比喩である。それは光り輝く傷という比喩に変わる。「のようなもの」というまだるっこしいことばを踏み台にして、比喩が跳躍していく。
それはそれで、ことばの「論理」としてわかるが(誤読かもしれないが)、疑問の方が大きい。
なぜ1ページに1行なのか。
比喩が動くときのリズムを明確にしたいのかもしれないが、もしリズムを重視するなら1ページ1行という振り分け方自体がおかしくないか。大木にとって、ことばは、そんなふうに正確なリズム(単調なリズム?)で動くものなのか。
光を含む二つのことば、「燐光」「閃光」のあいだに「放射される」という動詞があり、それが「傷」という異質なものを呼び込み、一種の化学反応のようなものが起きる。こういうとき、私の感覚では、それは「無時間(非常に短い瞬間)」である。ことばが、突然詩に変わる瞬間は、短い。それを1ページずつに割り振ってしまうリズム感覚(時間感覚)が私にはわからない。
私はわからないものは、信じない。
*
評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』を発行しました。190ページ。
谷川俊太郎の『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455
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ここをクリックして2000円(送料、別途250円)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
「詩はどこにあるか」5、6月の詩の批評を一冊にまとめました。
詩はどこにあるか5、6月号注文
オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512
(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
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