詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ESTOY LOCO POR ESPANA(番外1)

2018-07-28 11:21:30 | estoy loco por espana


El trabajo de Joaquin Llorens Santa tiene un silencio misterioso.
Belleza tranquila es como las herramientas cotidianas para brillar al agotarse.
Por ejemplo, un yunque. Una herramienta para procesar hierro.
El yunque ha sido golpeado repetidamente, y el yunque esta quieto.
Ese tiempo soportable todavia esta alli senciosamente.
Al mismo tiempo, la sensacion de la mano de la persona que trabajo alli aun permanece.
Para ese sentimiento, es muy similar.
Aunque este trabajo esta hecho de hierro, la suavidad de la curva del detalle es un sentimiento familiar para la mano, como si se creara lentamente con las manos.
De hecho, puede estar tomando prestada la potencia de un martillo y un fuego, pero siento una curva que se ha producido naturalmente mientras acariciaba con la mano una y otra vez.
La fuerza de la paciencia de la mano y la fuerza del hierro estan unidas. Hay fuerza para soportar el tiempo.
Joaqun siente que el hierro en sesta vivo.
(Esta traducción usa la traduccion de Google)



 Joaquin Llorens Santa の作品には不思議な静かさがある。使い込まれることで輝きだす日常の道具のような静かな美しさがある。たとえば金床。鉄を加工するときの道具。何度も叩かれ、じっと耐えている。その耐え抜いた時間が、そこに静かに残っている。同時に、そこで働いてきた人の手の感じも残っている。人の手と、人の暮らしを感じさせる何かが残っている。
 その感じに、とても似ている。
 この作品は鉄でできているが、細部のカーブの滑らかさは、手でゆっくりなでながら創り出したような、手になじむ感じだ。実際には、ハンマーと炎の力を借りているのかもしれないが、何度も何度も手でなでているうちに自然にできてしまったカーブを感じさせる。強引さがない。手の根気強さと、鉄の強さが一体になっている。時間に耐えてきた強さがある。
 ホアキンは、鉄そのものを生きている、と感じる。


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estoy loco por espana
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大橋政人『朝の言葉』

2018-07-28 10:31:32 | 詩集
大橋政人『朝の言葉』(思潮社、2018年07月25日発行)

 大橋政人『朝の言葉』は、表題作になっている「朝の言葉」がいちばん印象に残る。

まあ、花はえらいね
いろんな色に咲き分けて

隣に住んでる
田野倉トメさん、八十九歳
毎朝、勝手にわが家の庭に入ってきて
ひとまわりして出て行く

花はえらいもんだよ
だれが色を塗ったという訳でもないのに

毎朝、同じことを言っているのに
本人はそのことに気づかない

毎朝、同じことを聞いているのに
聞いている方も聞き飽きない

いつ聞いても
新しい
朝の言葉だ

 「同じ(こと)」は「いつ(聞いて)も」(いつも)と言いなおされている。「いつも」とは「普遍(永遠)」でもある、と要約してはいけないのかもしれないが。さらに、この「いつも」は「えらい」と言いなおされているのかもしれない。「普遍/永遠」に達したものは「えらい」。
 この「同じ」「いつも」の反対のことばは「いろんな」(同じではない、同じとは違う)と「新しい」(いつもと違う)だね。しかし、反対のことばなのに、知らない間に「同じ」「いつも」と重なってしまうところがある。
 どうしてだろうか。
 繰り返すからだ。
 「同じことを言っている」(同じことをしている)、「同じことを聞いている」には、繰り返しがある。繰り返すから「同じ」だとわかる。でも「同じ」を繰り返しながら「同じ」ではない。「新しい」。
 何が?
 ここから先を説明するのはむずかしい。
 「同じ」に見えるが、「同じ」ではないのだ。毎回、「まあ、花はえらいね」ということばは生み出し直されている。違う日に言っているのだから、そこには「違い」があるはずだ。でも、「違い」よりも「同じ」ことの方を強く感じる。そして、「同じ」ならば退屈するかといえばそうではなくて、「同じ」であると「新しく」判断するのである。「新しい」は聞く側からも生み出されている。「同じ」ではなく「新しい」が毎日生み出される。
 「永遠/普遍」は、どこか遠いところにあるのではなく、日々、「同じ」を「新しく」生み出し続けるとき、その瞬間の中にあらわれる。





*

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朝の言葉
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高橋睦郎『つい昨日のこと』(20)

2018-07-28 09:59:48 | 高橋睦郎「つい昨日のこと」
20 凡人の権利

 英雄と対比し、「凡人の権利」を高橋は、こう語る。

八十歳になって彼らの優劣を論うたのしみは
英雄にも暴君にもなれなかった草莽 我らのもの

 「論う」は「あげつらう」と読む。「論じる」あるいは「語る」ときの、「内容」よりも「論じ方」(語り方)の方に重点があるのかもしれない。自分を棚に上げて何かを言う、というのが「あげつらう」だと私は思う。
 たしかに庶民(凡人)の権利ではある。
 でも「英雄にも暴君にもなれなかった」と言ってしまうと、そこに羨望がまじってしまう。「権利」は負け惜しみになってしまう。
 「草莽」は「そうものう」か。
 私はひねくれた性格なのか、こういうことばを読むと、凡人はこういうことばはつかわないなあ、と反発してしまう。
 「英雄にも暴君にもなれなかった」ではなく、「なることを拒んだ」ひとのことばの方を読みたい。「英雄や暴君」を笑うことばを読みたい。

 高橋のことばはゆるぎがないが、それは教養の完結のなかでのゆるぎのなさだ。暮らしの中で生き抜いてきた強さとは違う。ずるさ、たくましさがない。

つい昨日のこと 私のギリシア
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