詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高橋睦郎『つい昨日のこと』(18)

2018-07-26 00:07:50 | 高橋睦郎「つい昨日のこと」
                        

18 ペリクレスに

その疫病の病原菌は傲慢 その傲慢がとどのつまりあなたを滅ぼし
あなたのアテナイを滅ぼし ギリシアなるものを滅ぼすだろう

 「傲慢」ということばが美しい。「意味」ではないからだ。「傲慢」はなくても「意味」は通じる。つまり「論理」はかわらない。「病原菌があなたを滅ぼし/あなたのアテナイを滅ぼし ギリシアなるものを滅ぼすだろう」。
 「無意味」なことば。
 「無意味」とは「超/意味」のことだ。
 あるいは余剰。過剰。過激のことだ。

 「傲慢」ということばから、人は何を感じるか。そこには何かしら暴力的なものがある。そして、その暴力は、人が求めて止まないものだ。自分の超越して、暴力的に生きたいという欲望が、人にはある。
 そうやって生きている人は輝かしい。ときに「英雄」と呼ばれる。

 この詩は「人類史の中で あなたが最もあなたらしくあったのは」と書き出されている。ペリクレスがもっもと輝かしく、英雄的だったのは、「光の中の市民を前にした 戦死者追悼演説の輝かしいとき」か。そうではない。疫病に犯されていたときだと高橋は言う。彼自身がさらけだされ、なおかつ彼が彼を超えようとしているからだ。
 「病原菌の傲慢」とペリクレスの「傲慢」が拮抗する。
 そして「病原菌は傲慢」は「傲慢はペリクレス」に急転換する。その制御できない「急」の奥に、私は不思議な「必然」を感じる。偶然ではなく、必然。必然をひっぱりだすのが「傲慢」ということばだ。
 だから、それが詩として、詩のことばとして輝く。

つい昨日のこと 私のギリシア
クリエーター情報なし
思潮社
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