詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高橋睦郎『つい昨日のこと』(3)

2018-07-12 09:02:28 | 高橋睦郎「つい昨日のこと」
3 五月 レヴァディア

裏庭からまっすぐ続く山腹にかけて 群れ立つ松の木
その針の派のひまに つんつんと立つ青い突起
いまは五月 ギリシアの野山の 恋の 発情の季節

 「恋の」と言ったあと、「発情の」と言いなおしている。「青い突起」が発情ということばを誘っている。高橋が発情したのだ。
 恋をしなくても、発情する。それを、高橋はこう言いなおしている。

青臭い万の生殖器を通して 神神がてんでに発情する時
ギリシアの神神は発情する神神 夏がめぐるごとに
神神は甦る ギリシアはいきいきとギリシアになる

 セックスは常に神とするもの。セックスをすることで神と一体になる。神になる。「我」は消えてしまう。つぎつぎに新しいセックス。そのなかで人間は甦る。神になる。
 「神神がてんでに発情する」の「てんで」が豪快だ。
 神は恋など気にしない。発情したあと、セックスしたあと、恋の問題は考えればいい。肉体の自然にまかせて動く。それがギリシアだ。
 恋をあとまわしにするから悲劇も生まれる。こころはいつでも遅れてやってくる。


つい昨日のこと 私のギリシア
クリエーター情報なし
思潮社
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