詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

藤原安紀子「( 原語修復 )」

2018-07-19 12:14:48 | 詩(雑誌・同人誌)
藤原安紀子「( 原語修復 )」(「みらいらん」2、2018年07月15日)

 藤原安紀子「( 原語修復 )」は死んだ兄を思い出す詩である。故人を思い出すことを「記憶を修復する」と言いなおすことができる。記憶の純粋な状態、最初の状態を「原状」と呼べば、そこに「原語」の「原」の文字があらわれる。「記憶」とはことばによって語るもの。そういう「意味」が込められている、と私は「誤読」する。

生まれつき、とはなんですか
流動するさきの背景がうつむくかげんで折りたたまれていた、ただそれだけのことです
わたしの半生が軌道のみどりを作業する、曲がりびと
( 呼ばれびと )である兄が
握りしめた指の

 「生まれつき」は「折りたたまれる」「曲がる」ということばで言いなおされる。それは「握りしめる」とさらに言いなおされる。
 これは「記憶」をほどくと同時に、記憶をとじこめもしている。
 「兄」は何か「生まれつき」、真っ直ぐでないものを兄の個性としてもっていた。その「個性」で「呼ばれ」つづけた。「呼ぶ」とは、「あらわす」ことである。「呼ぶ」とは「名前」をつけることである。その「名前」は、兄の「比喩」である。「比喩」は「原状」を別なことばであらわしたものだ。そういう関係を暗示させながら藤原のことばは動いている。
 「原状」を語ることばがどこかに存在したはずだが、それは語られない。
 直接的なことばは避けられ、何度も言いなおす。言い直し、言い直しをさらに言い直しに繰り返す。その運動のなかに原状を隠してしまう。
 でも、そうなのか。
 違うかもしれない。この原状を隠すという運動そのもののなかに「原状」がある、隠すという運動が「原語」の本質である。

 明らかにするのではなく、ただ隠す。隠すために語る。隠されたものが何か、それに「名前(比喩)」はいらない。何とでも呼ぶことはできる。何度でも言いなおすことはできる。繰り返しながら「原語」そのものになる。この作業を「修復」と藤原は読んでいるようだ。

砕けた関節にはじまり、六角形を入れ子状にしながら増殖と反復をつづける
さいごの箱庭の片隅に結ばれていたとしても

 「増殖」と「反復」をつづければ、それは「原状(原語)」から遠ざかってしまう。「増殖」と「反復」によって生まれてきたものをとりのぞくことが「原状(原語)」へちかづくということだ。だが、それは「原語/原状」を「名詞」としてとらえたときの定義である。「修復する」という動詞に重点を置いて見つめなおせば、「増殖と反復」こそが「原語/原状」がもっている力そのものを定義していることがわかる。
 だから、

「解体する前提でつくられた骨組みですから、記録などたやすいことでした
仮に時間を( 星 )とすれば思いのほかひとに似た文字をかくこともできたのです。箱庭をしめす喪木のあることが、途切れない手のうごきとなり、情動は湧くそばから気化します
さしずめプロテクターとして」

 というような「謎解き(自己解説)」はない方がいいと思う。読者の「誤読」を拒んでいる。「誤読」されることで詩は読者の「孤独」に届く。ことばはそのとき「御毒(ごどく、と読んでほしい)」になる。貴重な「毒」になる。「解毒」してしまっては、味もそっけもない。

*

評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』を発行しました。190ページ。
谷川俊太郎の『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして2000円(送料、別途250円)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。


「詩はどこにあるか」5、6月の詩の批評を一冊にまとめました。
詩はどこにあるか5、6月号注文


オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977




問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

ア ナザ ミミクリ―an other mimicry
クリエーター情報なし
書肆山田



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高橋睦郎『つい昨日のこと』(10)

2018-07-19 09:58:23 | 高橋睦郎「つい昨日のこと」
10 予言 アルゴー号顛末

若い日の悪業すら その無残な結果すら
ひそひそ話にもせよ 語られなければ
きみの一生は いったい何だったのだ

 語る、とは何か。人は「きみ」の「みじめな死」を語る。きみの人生が語られる。ことばを通して、人は、きみの人生を知る。きみの代わりに、ことばが生き始める。
 直前に、

死んだことすら 誰にも知られないよりは

 という一行がある。
 語られたことを聞いて知るだけではなく、語られたことを語り継ぐことで人はきみを深く知る。自分のものにする。語る人は、語ることで、きみを生きなおす。きみになる。
 ことばのなかに、きみが生きる。きみが、ことばになって生きる。
 このとき、きみとことばは同じか。
 同じに見えるが、違う。
 きみは死んでしまってここにはいないが、ことばは生きている。語られることで、きみは「不死」を手に入れる。
 「一生」は、こうやって「永遠」になる。

 この詩のなかでいちばん重要なのは「語る」という動詞だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする