傍らのひと | |
鷹森 由香 | |
ふらんす堂 |
鷹森由香『傍らのひと』(ふらんす堂、2019年10月01日発行)
鷹森由香『傍らのひと』は「記憶(思い出)」をどのように描くか。「記憶」がメーンのテーマではないかもしれないが、最近考えていることをどうしてもつづけて考えてしまう。
「傍らのひと」の三連目。
ここ抜けてね 左に曲がって
この塀おぼえてる
あっマンション建ってる
陶器市とか古本市のときは
平野神社までずっと露天がつづいてね
ぐいと引き込まれた。「ここ抜けてね 左に曲がって」という「肉体」の動きが「肉体」をゆさぶる。いや、これは正確ではないなあ。「肉体」そのものをゆさぶるというよりも、「肉体」の動きを「ことば」にして、それから「肉体」を動かしている。「ことば」を「肉体」が追いかけている。追いかけた上で、それが「正しい」と確認する。それを「おぼえてる」ということばで言い表す。ここに「対話」がある。ことばとことば。それからことばと肉体、の対話。
その「記憶」を記憶になかったことが破る。「あっマンション建ってる」。これは、「意識」の反射なのだが、意識だけではなく「肉体」が動いている感じがする。目が、はっきりとマンションをとらえている。
そのあと、おだやかに「記憶」がはじまる。「いま、ここ」にないものが思い出されている。
このリズムがとてもいい。まるで、その世界に入っていくようだ。行ったことがないのに、そこに行ったような気持ち、これは「私の記憶だ」と言いたい気持ちになる。
「おんな紋」もいいなあ。留袖、喪服に「紋」がついている。私は「家紋」だとばかり思っていたが、おんなの場合はそうではないのだという。
めったに広げることのない
留袖や喪服の背にひっそりと咲いている
わたしの桔梗紋
家紋とちがい
女紋は母から娘へと受け継がれていくという
と簡潔に説明したあと二連目。
母 充子は京都 わら天神のほど近く
上八丁柳で育ったが
祖母 さかゑは高尾の紅葉のずっと奥
北山杉の木立に見え隠れする清流をたぐり
やがていきつく源流の
花背 芹生 山国といった集落に囲まれた
京北町上黒田村で生まれた
曾祖母 まつは日本海の波うち寄せる小さな町
久美浜より 嫁いできたという
ここには鷹森自身の「肉体」は描かれていないが、女たちの「肉体」がつらなって動いている。京都の地理はわからないからテキトウなことを書くのだが、街中からだんだん山の中へ入り、山を越えて日本海側にまで達する。その長い距離を女たちは少しずつ移動してきた。三代の母が描かれるから、半世紀以上、一世紀近くかかっているかもしれない。そのなんとも静かな長い旅。それが風景、紅葉や清流だけではなく「地名」とつながる形で書かれる。「地名」とはなんだろうか。そこに生きている「人間」そのものをあらわしているような気がする。「地名」を聞いただけで思い浮かぶひとがいる。「他人」がいる。「他人」との「交流」が、固有名詞として刻み込まれている。
私はなんだかうれしくなる。涙が出そうだ。
何人もの「他人」がいるが、「母」はひとりだ。「他人」のなからからそれぞれの「母」は「ひとり」として生まれてきて、また「ひとり」を生むのだ。その繰り返しとつながりの、不思議な華やかさ。いくつもの地名が「母」から「娘」へのつながりを彩る。まるで、そこに書かれている「地名」は「母」が生み出した「娘」とでも言っているかのようだ。
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