詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

天皇のことば(中立とは何か)

2019-10-23 11:08:39 | 自民党憲法改正草案を読む
天皇のことば(中立とは何か)
             自民党憲法改正草案を読む/番外2965(情報の読み方)
 読売新聞2019年10月23日朝刊(西部版・14版)の三面、「スキャナー」に、平成の天皇と令和の天皇の「即位礼」のときのことばの比較が載っている。どこが違っているか。
 読売新聞は、三点指摘している。
 ①平成の天皇が「皇室典範」の定めるところによって皇位を継承すると言ったのに対して、令和の天皇は「皇室典範特例法」と言った。これは法律に変更があったからそう言ったまでで、何も問題はない。
 ②先の天皇への言及。これは対象者が違うのだから、違って当然である。
 ③憲法との関係について、平成の天皇は「日本国憲法を遵守し」と言った。平成の天皇は「憲法にのっとり」と言った。「遵守する」と「のっとる」はどう違うのか。「遵守する」は簡単に言えば「守る」、「のっとる」と「従う」になるかもしれない。ことばの「定義」は、ひとの暮らし方にかかわるから、簡単にはできないが、私はそう考えている。
 このことについて、読売新聞は、こう書いている。

平成のとき、上皇さまは「憲法を遵守」すると誓われた。この「遵守」には「守り、従う」という意味があり、保守派から「護憲派よりだ」との声が上がった。今回、陛下は「憲法にのっとり」と述べられた。

 「遵守(する)」は「定義」しているが、「のっとる」は定義していない。中途半端な表現だ。その上で、こうつづける。

皇室に詳しい古川隆久・日本大教授(日本近現代史)は「上皇さまは、憲法の『遵守』を強く打ち出されたことで、一部からは『護憲派』とみられるようになった。いまの陛下は、表現を軟らかくし、中立性を出すことで、政治的な議論に巻き込まれるのを避けたのではないか」と指摘している。

 「皇室に詳しい」というのは「皇室」のだれかに接触し、天皇の「意向」を確認したということだろうか。そうであるなら、そうはっきり言うべきだろう。古川の意見が、古川だけの個人的見解なら「皇室に詳しい」という「説明」は不要だろう。
 そのうえで言うのだが、古川の「定義」もなんだかあやふやである。「遵守」よりも「のっとり」が「表現が軟らかい」とはどういう意味だろうか。「どうとでも解釈できる」ということだろうか。
 きのう、高校国語から「文学」が排除されることについての思いを書いたが、「解釈の多様性」を受け入れる要素が「のっとり」の方が大きいということだろうか。
 これは「中立性」ということばへ引き継がれていくのだが、「中立」についても古川は「定義」していない。
 古川のいう「中立性」とは、安倍が「戦争ができるように9条に自衛隊の存在を明記する(内閣が指揮権を執る)」と改憲しようがしまいが、「改憲されるがままに」何も言わないということか。天皇は政治的発言を禁じられているから、いずれにしろ何もできない。「遵守する」といったところで、天皇にできることは何もない。何もできないというのは、何もしないということ、「中立」ということ。それなのに、わざわざ平成の天皇は「護憲派」であり、いまの天皇は「護憲派ではなく中立」と強調するのはなぜなのか。「中立」を、古川は、どう定義(解釈)しようとしているのか。
 憲法を変えないと変えるの間に「中立」というものはない。憲法を守ることこそが、憲法に対して「中立」である。憲法を守らない、と主張すれば、それは「違憲」である。憲法にどう向き合うかは「合憲」か「違憲」かしかない。それなのに、古川は「中立」という概念意を持ち込み、憲法を「遵守する」と言わないことを「中立」と呼んでいる。
 「中立」は「公平」とか「正しい」という「解釈(意味)」含むが、古川は「中立」を持ち込むことで、「護憲」を主張しないことが「公平」「正しい」と言いたいのだろう。こういうごまかしは「合憲(護憲)/違憲」という基本的な対立を隠すための薄汚い「方便」である。
 もし中立というものを問題にするなら、改憲案A、改憲案Bというものがあり、そのどちらに対しても「賛成/反対」を言わないことが中立である。そういう段階ではなく、「改憲」の動きがあるなかで、「護憲」であると明言しないことが「中立」であると定義するのは、間接的に、「護憲派」を否定することであり、同時に古川が「改憲派」であることを語っていることになる。
 先に書いたように「中立」は、公平とか、正しいとかの「意味」につかわれる。つまり「解釈」されるが、古川は自分は「中立(正しい/公平)」と宣伝した上で、「改憲派」は「正しい」へと世論を誘導しようとしている。読売新聞は、その「論理」を利用しようとしている。自分では何もいわず、「識者」に語らせることで、それこそ「中立」を装っていることにもなるだろう。
 きっと、「遵守する」から「のっとる」への変更は、これから「政治利用」されていくだろう。
 たぶん、この記事は天皇に対して何か言うというよりも、護憲運動に対して、「もう天皇はあてにできないんだよ。天皇は安倍寄りに方針転換したんだよ」と言いたいのだろう。そうすることで、改憲の動きを「推進」したいということだろう。つまり、「改憲派」は勝ったんだと「勝利宣言」したいのかもしれない。だが、私は、この「勝利宣言」には屈しない。

 別のことも書いておく。5月の即位のときも書いたのだが、「象徴の定義」についてである。
 平成の天皇も、令和の天皇も「日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たす」と言っている。「日本国及び日本国民統合の象徴」という表現は「日本国憲法」にはない。自民党の改憲草案(2012年)に出てくる。この定義は、安倍が5月に天皇が即位するとき、やはりつかっている。
 平成の天皇がつかっているから、令和の天皇がつかっても問題がないとはいえない。平成の天皇がそう言ったとき、まだ自民党改憲草案は存在しなかった。平成の天皇は日本国憲法を「簡略に」言いなおしたのだろう。ところが、その同じことばは自民党改憲草案に書かれることで違った意味を帯びている。「元首」という意味も含んでいる。それをそのまま安倍は令和の天皇に言わせている。すでに安倍は令和の天皇を「支配下」に置いているのである。
 天皇のことばは天皇が「基本」を書くだろうが、内閣の承認を経て発表されている。つまり「検閲」が存在する。そのことを考えると、天皇が「遵守する」ではなく「のっとる」という動詞をつかったことも安倍の「支配」という面からとらえなおしてみる必要がある。
 古川が言っているように「中立」ではなく、「護憲派ではない」ということを明確にするために「遵守する」と拒否し、「のっとる」と言わせたのだと考える必要がある。天皇の「口封じ」である。安倍の「沈黙強要作戦(独裁遂行作戦)」は、平成の天皇については完全に成功した。令和の天皇についても着々と進んでいる。

(追加)
 書き忘れたが、安倍もお祝いのなかで憲法に「のっとり」という表現を使っている。安倍が、平成の天皇の「遵守する」を「のっとる」に書き換え、それを新天皇に押し付けた「痕跡」を、私は読み取るのである。


 


#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


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