キム・グエン監督「ハミングバード・プロジェクト0・001秒の男たち」(★★)
監督 キム・グエン 出演 ジェシー・アイゼンバーグ、アレクサンダー・スカルスガルド
この映画は、予告編を見たとき非常に気になった部分があった。株取引で金を稼ぐ話なのだが、値上がりしそうな株を買って、高値になったら売って儲けるという話とはぜんぜん違う新しい「儲け方」がテーマになっていることだ。売り注文と買い注文の間に割り込む。2000円なら売るという人がいて、2100円でなら買う人がいると仮定する。間に入って2050で買い取り2100円で売り飛ばす。50円の利益だが、その株の総量が1万株なら50万円。そういうことを可能にするために、電子取り引きにかかる時間を短縮する。他の人が取り引きを成立させるのに1分かかるところを30秒で処理すれば、そういうことが可能になる。こういうことを、私が書いたような1分とか30秒ではなく、なんと「ミリ秒(0・001秒単位)」でやろうとする。そういうことにアメリカの証券会社(?)は取り組んでいる。実話らしいのだが。
私は株を持っていないし、株取引にも関心がないのだが、株取り引きで金を稼ぐということの「意味」がよくわからない。ある企業のやっていることに賛同し、そこに投資し、利益配分を受けるという株の持ち方は理解できるが、取り引きで「利ざや」を稼ぐということが、いったいどういうことなのかわからないので、それを知る手がかりがどこかにあるかなあと期待して見に行った。
そして、私の考えていたことがどういうことだったのか、やっとわかった。
主人公たちの「悪戦苦闘」のなかに、ひとつ、どうでもいいようなエピソードがある。アレクサンダー・スカルスガルド(この色男っぽい目、どこかで見たことがある、と思ったらステラン・スカルスガルドの息子だった。頭を禿にして、猫背をやっても、目の色っぽさが目立つ)が小さなバーに入り、酒を飲む。ウェートレス(いまは、これは差別語か、聞かなくなった)が近づいてきて、「何してるの?」「秘密だ」「CIA?」というようなやりとりをした後、どうせ説明してもわかりっこないだろうと思ったのか、アレクサンダー・スカルスガルドが「極秘情報(彼らのやっている計画)」を話す。そのとき「蜂蜜」か何かの会社の株を例にとる。一株の利益は小さくでも、取り引きが大きければ厖大な利益になる、と。それを聞いてウェートレスは「でも、蜂蜜をつくっているひとは?」と聞き返すのだ。これにアレクサンダー・スカルスガルドは何も答えられない。
この瞬間、私が疑問に感じていることは、これだったのだと気づいた。ある企業の株を買うというのはその企業に出資すること。言い換えると、その企業の労働者に出資するということ。いい製品をつくり売れれば企業の儲けになり、労働者の賃金も上がる。つまり出資者は配当利益を得ると同時に労働者を支えることにもなる。でも、株の売買は? 資金調達力が間接的に労働者の賃金に影響してくることはあるだろうけれど、そういうことは株取引でカネ稼ぎをしているひとは気にかけていないだろうなあ。労働者は、株取引というカネの動きの中では存在しないのだろうなあ。
カネ至上主義に対する批判は、アーミッシュのひとたちとの交渉でも出てくるが、このウェートレスのひとことの方が強烈に印象に残った。
いま世界で起きていること、特に日本で起きていることは、このウェートレスの批判にすべてつながる。「現実に生きているひとりひとりはどうなるのか」という問題だ。カネの流れの中で、ひとりひとりの「労働(時間)」は、どう評価されているのか。そのことが無視されている。企業は金儲けのために労働者の賃金をおさえる。そのために子会社をつくりもする。正規社員と非正規社員との賃金格差が、そのまま企業の収益になるということだけではない。何やら最新の経済学では、国債はどれだけ発行しても債務超過にはならないといわれているらしい。国債は政府が発行し、いまは買い手がいなくて日銀が買っている。その日銀は諸経費を差し引いた利益を国に還元する。そういうことを繰り返すので財政破綻は起きないさらに「円」もどれだけでも増刷できる。--この、私にはさっぱりわからない「理論」も、なぜわからないかといえば、そこに「私」という「労働者」が組み込まれていないからだ。
普通の税金(?)なら、「私という労働者」は組み込まれている。毎日8時間働き続けて、稼いだカネから税金を払ってきた。働けなくなったいま、いままで収めてきた税金(国を支えてきた税金)の見返りとして年金を払ってくれ、医療費を補助してくれと言える。でも、国債をつぎつぎに発行して財政をまかなうとき、「私という労働者」はどうなっている? 働かなくても「国債」で支出がまかなえるから心配しなくていい? そりゃあ好都合だけれど、働いていない分を受け取る(働かないで収入を得る)って、何かおかしくないか。働かなくてもいいといわれる一方、どこかで働かない人間は排除してしまえ、ということが起きていないか。年金だけでは老後の生活は維持できない。2000万円資産が必要という「試算」が発表されたとき、麻生は、その報告書を拒否した。豊かなひとたちは「2000万円準備しない方が間違っている」とも言う。それが他人を排除することだとは意識しないで。
経済学に、人間(労働)をどう組み合わせるか、ということが、もう一度問われないといけないのだと思う。
映画から、どんどんずれていってしまったが、たぶんずれて行った部分にこそ、ほんとうに書きたいことがある。だから、これから先は付け足し。
光ファイバーのためのトンネルと、ジェシー・アイゼンバーグが胃の検査を受けるためにのむ胃カメラが重なる部分がとてもよかった。アメリカ人の「強欲さ」を人間の当然の欲望として描いているのもよかった。「秘密」をつきとめるために取る方法が「尾行(追跡)」「盗撮」というアナログだのみ(人間の直接的な行動)」というのが皮肉だし、無線中継の塔をジェシー・アイゼンバーグが電動のこぎりで倒しに行こうとするところも人間的でよかった。
(ユナイテッドシネマキャナルシティ、スクリーン13、2019年09月25日)
監督 キム・グエン 出演 ジェシー・アイゼンバーグ、アレクサンダー・スカルスガルド
この映画は、予告編を見たとき非常に気になった部分があった。株取引で金を稼ぐ話なのだが、値上がりしそうな株を買って、高値になったら売って儲けるという話とはぜんぜん違う新しい「儲け方」がテーマになっていることだ。売り注文と買い注文の間に割り込む。2000円なら売るという人がいて、2100円でなら買う人がいると仮定する。間に入って2050で買い取り2100円で売り飛ばす。50円の利益だが、その株の総量が1万株なら50万円。そういうことを可能にするために、電子取り引きにかかる時間を短縮する。他の人が取り引きを成立させるのに1分かかるところを30秒で処理すれば、そういうことが可能になる。こういうことを、私が書いたような1分とか30秒ではなく、なんと「ミリ秒(0・001秒単位)」でやろうとする。そういうことにアメリカの証券会社(?)は取り組んでいる。実話らしいのだが。
私は株を持っていないし、株取引にも関心がないのだが、株取り引きで金を稼ぐということの「意味」がよくわからない。ある企業のやっていることに賛同し、そこに投資し、利益配分を受けるという株の持ち方は理解できるが、取り引きで「利ざや」を稼ぐということが、いったいどういうことなのかわからないので、それを知る手がかりがどこかにあるかなあと期待して見に行った。
そして、私の考えていたことがどういうことだったのか、やっとわかった。
主人公たちの「悪戦苦闘」のなかに、ひとつ、どうでもいいようなエピソードがある。アレクサンダー・スカルスガルド(この色男っぽい目、どこかで見たことがある、と思ったらステラン・スカルスガルドの息子だった。頭を禿にして、猫背をやっても、目の色っぽさが目立つ)が小さなバーに入り、酒を飲む。ウェートレス(いまは、これは差別語か、聞かなくなった)が近づいてきて、「何してるの?」「秘密だ」「CIA?」というようなやりとりをした後、どうせ説明してもわかりっこないだろうと思ったのか、アレクサンダー・スカルスガルドが「極秘情報(彼らのやっている計画)」を話す。そのとき「蜂蜜」か何かの会社の株を例にとる。一株の利益は小さくでも、取り引きが大きければ厖大な利益になる、と。それを聞いてウェートレスは「でも、蜂蜜をつくっているひとは?」と聞き返すのだ。これにアレクサンダー・スカルスガルドは何も答えられない。
この瞬間、私が疑問に感じていることは、これだったのだと気づいた。ある企業の株を買うというのはその企業に出資すること。言い換えると、その企業の労働者に出資するということ。いい製品をつくり売れれば企業の儲けになり、労働者の賃金も上がる。つまり出資者は配当利益を得ると同時に労働者を支えることにもなる。でも、株の売買は? 資金調達力が間接的に労働者の賃金に影響してくることはあるだろうけれど、そういうことは株取引でカネ稼ぎをしているひとは気にかけていないだろうなあ。労働者は、株取引というカネの動きの中では存在しないのだろうなあ。
カネ至上主義に対する批判は、アーミッシュのひとたちとの交渉でも出てくるが、このウェートレスのひとことの方が強烈に印象に残った。
いま世界で起きていること、特に日本で起きていることは、このウェートレスの批判にすべてつながる。「現実に生きているひとりひとりはどうなるのか」という問題だ。カネの流れの中で、ひとりひとりの「労働(時間)」は、どう評価されているのか。そのことが無視されている。企業は金儲けのために労働者の賃金をおさえる。そのために子会社をつくりもする。正規社員と非正規社員との賃金格差が、そのまま企業の収益になるということだけではない。何やら最新の経済学では、国債はどれだけ発行しても債務超過にはならないといわれているらしい。国債は政府が発行し、いまは買い手がいなくて日銀が買っている。その日銀は諸経費を差し引いた利益を国に還元する。そういうことを繰り返すので財政破綻は起きないさらに「円」もどれだけでも増刷できる。--この、私にはさっぱりわからない「理論」も、なぜわからないかといえば、そこに「私」という「労働者」が組み込まれていないからだ。
普通の税金(?)なら、「私という労働者」は組み込まれている。毎日8時間働き続けて、稼いだカネから税金を払ってきた。働けなくなったいま、いままで収めてきた税金(国を支えてきた税金)の見返りとして年金を払ってくれ、医療費を補助してくれと言える。でも、国債をつぎつぎに発行して財政をまかなうとき、「私という労働者」はどうなっている? 働かなくても「国債」で支出がまかなえるから心配しなくていい? そりゃあ好都合だけれど、働いていない分を受け取る(働かないで収入を得る)って、何かおかしくないか。働かなくてもいいといわれる一方、どこかで働かない人間は排除してしまえ、ということが起きていないか。年金だけでは老後の生活は維持できない。2000万円資産が必要という「試算」が発表されたとき、麻生は、その報告書を拒否した。豊かなひとたちは「2000万円準備しない方が間違っている」とも言う。それが他人を排除することだとは意識しないで。
経済学に、人間(労働)をどう組み合わせるか、ということが、もう一度問われないといけないのだと思う。
映画から、どんどんずれていってしまったが、たぶんずれて行った部分にこそ、ほんとうに書きたいことがある。だから、これから先は付け足し。
光ファイバーのためのトンネルと、ジェシー・アイゼンバーグが胃の検査を受けるためにのむ胃カメラが重なる部分がとてもよかった。アメリカ人の「強欲さ」を人間の当然の欲望として描いているのもよかった。「秘密」をつきとめるために取る方法が「尾行(追跡)」「盗撮」というアナログだのみ(人間の直接的な行動)」というのが皮肉だし、無線中継の塔をジェシー・アイゼンバーグが電動のこぎりで倒しに行こうとするところも人間的でよかった。
(ユナイテッドシネマキャナルシティ、スクリーン13、2019年09月25日)