詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

作田教子『胞衣』

2019-10-24 10:46:26 | 詩集
胞衣(えな)
作田 教子
思潮社


作田教子『胞衣』(思潮社、2019年09月15日発行)

 作田教子『胞衣』を読みながら、かなり奇妙な気持ちになった。作田が書いている情景は、私にはとてもよくわかる。しかし、そのわかるは別なことばで言いなおすと「思い出す」なのだ。「いま」起きていることが「わかる」のではなく、書かれていることを思い出すことができる、なのである。
 たとえば「みどり」の次の部分。

家への道は何通りもあった
川を渡り 民家の庭を横切り
桑の実をほおばり
暗くなっても家に着かない
空が高くなった分だけ草の背が伸びて
そこに埋もれるとわたしはいなくなる

 「民家」ということばは、私の「思い出」のなかにはないから(いまでも「民家」ということばを私はつかわないが)、全てを「思い出す」とは言えないのだが、ここに書かれているそれ以外のことは、はっきり思い出せる。「民家」のかわりに、キヨシの家とかキクコの家、ハジメの家という具合。さらには「桑の実」もミツコの家の(畑の)桑の実ということになる。
 私は、ここに書かれていることを子どものときに体験したことがある。
 だからこそ思うのだが、作田の書いているのはいったいいつのことなのだろう。作田が何歳なのか知らないが、過去のことを書いているのだろうか。もし過去のことを書いているとしたら、それはなぜなのだろう。
 それがさっぱりわからない。
 最近感想を書いた江代充『切抜帳』にも、いまも見かけるものとはとても思えないものが出てくる。たとえば「木切れの子」には、

牛やうまや飼い葉桶のある

 ということばがある。「牛やうまや飼い葉桶」を私は、もう何十年も見ていない。
 でも江代のことばに触れるときは「思い出す」というのはかなり違う。江代のことばの動かし方が「思い出す」という感じを裏切る、「思い出す」をひっくりかえすように、ぎくしゃく、折れ曲がっているからである。先の引用のつづき

牛やうまや飼い葉桶のある
あの仮設小屋の内側に宛てがわれている
新しく設えられた
よろこびの素材の板の一つに触れようとする

 江代が書いているのは「素材」ではなく、視線(肉体)の運動だからである。その運動のありようが特別変わっているということを知らせるために、あえて「古い素材(遠い記憶にある素材)」を利用している。「知っているはずのもの」なのに、そこでは「知らないこと」が起きている。いつ? 「いま」起きている。
 江代の詩が、古い題材をつかいながらも「現代性」を感じさせるのは、その「文体」の時間が「思い出」のなかで展開しているのではなく、「いま」を動かしているからだ。
 作田のことばの動きは「いま」を感じさせない。
 「明るい滅亡の日」という作品。

未生の(さよなら)を
母親は孕み
産み落とした瞬間から
その(さよなら)を殺める運命に
押し流される
永遠に死を孕む運命から
のがれようもなく
白日のもとに晒される覚悟

 こういう行は私の「思い出」にはない。「思い出す」ということはできない。私は「孕む」という動詞も、「産み落とす」という動詞も体験したことがないから、それは「思い出す」ということができないのだ。
 でも、「文学の記憶(ことばの記憶)」としてなら、「思い出す」ことができる。そこに書かれている「ことば」をすべて知っている。知らないことばはない。
 そして、そのために、「いま」起きているという感じがしない。
 「過去」にあった、という感じでもない。
 「いつでも」あること、という印象になってしまう。

 たぶん、こういうことなんだなあ、と思う。
 作田は「いま」を書いているのでもない。「過去」を書いているのでもない。「いつでも」を書いている。「永遠」を書こうとしている。そして、その「永遠」を書くためには、「文体」もまた「永遠」でなければならない。言い換えると、いつ読んでも、だれが読んでも「普遍」に通じる「スムーズ」な文体。
 実際、とても読みやすいのだ。読んでいて、つまずくことろがない。
 「くじら」の書き出し。

教室で泳ぐ くじら
潮を吹きあげて
ぼくを見守るように
頭上を泳ぐ
五時限目の明るい憂鬱の海
少し眠たい

トモダチは誰もくじらを見ない
センセイはくじらが見えない
くじらはとても元気だけれど
少しお腹がすいている
だから
低い声できゅうっと啼いた
ぼくは給食のパンを
頭上に放った

 「五時限目」「給食のパン」というようなことばが、教室の「永遠」を引き寄せる。「少し眠たい」も、同じだ。「時間」や「場所」が限定されているにもかかわらず「いつでも、どこでも」を呼び寄せる。つまり「思い出せること」を呼び寄せる。「思い出せる過去」は「過去」ではなく、「いま、ここ」なのだ。
 そういう哲学を完成させるために、「いつか、どこか」を特徴づける文体は遠ざけられ、「いつでも、どこでも」の文体が採用されている。

 そうなんだけれど。
 私は、ちょっと「いやだなあ」と思う。
 詩としては完成されているのだけれど、その完成が何かいやだなあを強くする。「いま」を破ることで、「新しいいま」を噴出させる「特別な文体」がほしいと思ってしまう。




*

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「のっとる」について(中立とは何か、その2)

2019-10-24 08:14:26 | 自民党憲法改正草案を読む
「のっとる」について(中立とは何か、その2)
             自民党憲法改正草案を読む/番外297(情報の読み方)

 新天皇が、「即位礼正殿の儀」で

憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。

 と言った。平成の天皇は「日本国憲法を遵守する」と言ったが、新天皇は違うことばで語っている。もちろんどう語るかは、天皇の自由だが、なぜ変えたのか、そのことを考えないといけない。
 きのう、そのことを書いた。
 読売新聞2019年10月23日朝刊(西部版・14版)には掲載されていなかったので、気づかなかったのだが、安倍は、このとき、こう言っている。

ただいま、天皇陛下から、上皇陛下の歩みに深く思いを致され、国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、日本国憲法にのっとり、象徴としての責務を果たされるとのお考えと、我が国が一層発展し、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを願われるお気持ちを伺い、深く感銘を受けるとともに、敬愛の念を今一度新たにいたしました。

 ここに、天皇がつかった「のっとり」ということばが出てくる。「時系列」としてみれば、天皇が「のっとり」と言ったのだから、それを繰り返している、ということになるが、天皇も安倍も「そら」でことばを発しているわけではない。その場で「即興」でことばを発しているわけではない。
 つまり、天皇が「のっとり」と言ったから、安倍がそのことばを尊重して「のっとり」と言ったわけではない。
 事前に調整があったから、「のっとり」ということばが繰り返されているのである。

 これは、とても大事なことなのである。
 話は少し脱線するが「新約聖書」がある。キリストの目撃証言集である。その証言は「大筋」において共通しているが、表現は、そっくりそのままではない。使徒というのか、目撃者の書き残していることばは少しずつ違う。この違いはキリストが実在したということを証明している。キリストが「神の子」であったか、どうかはわからないが、キリストに会った人が、そのときのことを自分のことばで書いたから、どうしても「体験」のずれのようなものがことばに出てきてしまう。「テキスト」をコピーしているわけではないから、違いが出てくるのだ。もちろんテキストをコピーしても書き写しの間違いがあるかもしれないが、「新約聖書」の「ずれ」はコピーとはかけ離れている。
 同じことを語っても、自分のことばで語れば、そこに違いがある。これが「現実」というものである。
 ところが、「象徴の定義(日本国及び日本国民統合の象徴)」という表現と「(日本国)憲法にのっとり」という表現は、天皇と安倍とでぴったり一致している。これは、事前に「ことば」を調整したということである。

 天皇が先にことばを書き、それを安倍が踏襲したのか。
 私は、そうは考えない。
 天皇のことばは、かならず内閣で事前に点検している。つまり、「注文」がついている。言いたいことがあっても、そしてその機会があっても発言を封じられることがある。その例は『天皇の悲鳴』ですでに書いてきたので繰り返さないが、天皇が「自由」に発言しているわけではない。
 平成の天皇は「日本国憲法を遵守する」と言ったのに、新天皇は「のっとる」と言った。それは古川隆久が言うように「中立性」の表現ではなく、「遵守する」という厳格な意味を「あいまい」にするということである。
 「中立」とは「公平」「公正」を意味するだけではない。複数の意見があるとき、どれに賛成するかきめない、つまり「判断停止」にしておくという状態も「中立」と呼ばれることがある。どちらに加担するというわけではないので、「中立」と言い逃れることができる。
 平成の天皇は「護憲派」と見られていた。その根拠が、即位のときの、憲法を「順守する」ということばにあった。新天皇は、その「遵守する」を回避した。かわりに「のっとる」という動詞をつかった。
 これは、安倍が「遵守ではなく、もっとわかりやすいことばで」とか何とか言って、天皇の「遵守」発言を封じたということだろう。目的は、もちろん新天皇の憲法に対する態度を「あいまい」にするためである。「中立」ではなく、「あいまい」に、である。
 「あいまい」だから、もちろん「のっとる」は「遵守する」と同義であるということはできる。しかし、同義ではあっても「遵守する」と明言しているわけではないから、「遵守すると言ったじゃないか」とはだれも批判できない。

 読売新聞は、そういう「批判」を見越して、わざわざ古川に「のっとる」の「定義」を「中立性」と語らせている。この古川の「解釈」は、これから起きることの「露払い」の役割を果たしていることになる。
 憲法改正の動きは加速する。平成の天皇を強制的に沈黙させたあと、安倍の行動はどんどん横暴になっている。次々に嘘をついている。たとえば消費税増税にあたって「キャッシュレス(デジタルマネー)化」を推進するのは、消費者対策(減税対策)のためであると言っておき、キャッシュレス化が進んでいないと指摘されると「キャッシュレス化はインバインド対策(外国人観光客を増やすための対策)だった」と平気で言いなおす。たしかに外国人観光客対策にはなるだろうが、日本人消費者はどうなるのだ。
 キャッシュレス化は、キャッシュレス産業(小売店と消費者の間に入って金の管理するシステムを管理する企業)を儲けさせるためのものだとわかる。消費者に消費税の一部を還元するというのは、たしかに「嘘」ではないが、ほんとうの目的ではない。こういう「嘘」を少しずつ積み重ねて、社会を変えてしまう。
 この手口を警戒しないといけない。2012年の自民党改憲草案を現行憲法と比較してみればわかる。どうして書き換えないといけないのか、わかりにくい部分が非常に多い。「遵守する」を「のっとる」と言い換えたような、一見「わかりやすい」表現が多い。そういう「わかりやすい」を装った部分にこそ、「罠」がある。
 なぜ新天皇は「遵守する」ではなく「のっとる」ということばを強制的に言わせられたのか。そこにどんな「罠」があるか。古川が「解説してしまった」中立ということばを、私たちは「暮らし」のなかでどんなふうにつかっているか、というところから点検していかないといけない。

 


#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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