愛知トリエンナーレ再開(つづき、あるいは表現の自由とは何か)
自民党憲法改正草案を読む/番外294(情報の読み方)
前の文章(情報の読み方、294)でこういうことを書いた。
愛知トリエンナーレで天皇の肖像を燃やすという作品に関連してである。たしかに天皇の肖像が燃えるのを見て不快感を覚えるひとは多いだろう。
一方、次のような文章はどうか。
①天皇の写真が写っている新聞を犬のトイレにつかった
②犬のうんちを拾うとき天皇の肖像が載っている新聞をつかった
たぶん、なぜ、わざわざそこで「天皇の写真」ということばをつかうのか、という問題が起きる。そのことに対して不愉快だというひとが現れることは簡単に想像できる。
しかし、これが
③犬のうんちを拾うときヒトラーの肖像が載っている新聞をつかった
④犬のうんちを拾うときスターリンの肖像が載っている新聞をつかった
⑤犬のうんちを拾うとき毛沢東の肖像が載っている新聞をつかった
⑥犬のうんちを拾うとき金正男の肖像が載っている新聞をつかった
⑦犬のうんちを拾うときエリザベス女王の肖像が載っている新聞をつかった
⑧犬のうんちを拾うとき妻(夫)の写真が載っている新聞をつかった
⑨犬のうんちを拾うとき孫の写真が載っている新聞をつかった
⑩犬のうんちを拾うとき離婚した妻(夫)の写真が載っている新聞をつかった
はたして、天皇の写真と同じように「だめ」というひとが日本人の何人いるか。なかには、「やれやれ」というひともいるかもしれない。
⑩という文章に出会ったら、笑いだしてしまうかもしれない。
これは、どういうことだろうか。
写真に写っているひとに対して自分が何を感じているか、どう感じているか、ということと「不快さ」(あるいは「快感」)の度合いは変化するということである。つまり、天皇の写真についていえば、日本人の多くは不快に感じるだろうが、他国のひとはなかには快感に感じるひともいるだろうということである。
そして、⑩の例が、いちばんわかりやすいのだが、ひとは「わざと」そういうことをするときもある。それは自分の感情を解放するためである。離婚した妻(夫)は「何やってるんだ。私をバカにするつもりか」と怒るかもしれないが、それは怒らせるためにやっているのだから、怒る姿を見るのが快感でもある。
芸術は、ときにはそういう「作用」があるのだ。ひとをあえて不愉快にする。あるいはひとが怒る、眉をひそめるのを確かめるということが。人間の感情はどう動くか。そういうことを明確に知るのが芸術である。自分とは何ものなのかを知るのだ。そのために存在している面もある。
美しい、気持ちがいいものだけが「芸術」ではない。
もし、先にあげた①から⑩までの「表現」を規制するとしたら、それなりの「理由」が必要である。どうして、それが駄目なのか、理由と基準が必要である。「天皇」だから駄目、というのは、かなりむずかしい基準だろう。
天皇は日本の「象徴」である。憲法に書いてある。しかし、国民には(個人には)、それを認めないという「権利」もある。否定し、批判する権利もある。そういうことも含めて考えないといけないのに、河村は、無条件に天皇を絶対視している。そこに非常に大きな問題点がある。
河村が展覧会に要求しているのは、芸術の問題ではなく、「ある思想」の絶対視である。
もう一つ考えたいのが「公金」の問題である。河村は「反日」(ということばをつかっていたかどうか、正確ではないのだが)的企画に公金を支出することは問題がある。公共施設をつかうことには問題がある、というような発言をしていたと思う。
しかし、これは逆の言い方もできる。もしそこに「反日」的な作品があるとしたら、それこそ、なぜ「反日的作品」が存在するのか考えるきっかけになる。展覧会から排除する(見えなくする)ということで、「反日的思想」がなくなるわけではない。「反日」とひとくくりにされる思想とどう向き合うか、それこそ今の日本の課題だろう。
いつの時代、どんな場所にも、あることがらに対して「賛成」と「反対」のひとがいる。ものの見え方・見方はひとによって違っている。違いがあることを前提にして考えないといけないのに、違うから排除してしまえでは何もはじまらない。
安倍が都議選で「安倍辞めろ」と叫ぶ国民に対して「あんなひとたちに負けるわけにはいかない」と叫んでから、自分とは違う意見の人間を排除しようとする動きが非常に強くなっている。安倍は、そして、こういう動きを歓迎しているようでもある。河村の動きは、こうした安倍の姿勢に迎合するものである。
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位
*
「天皇の悲鳴」(1000円、送料別)はオンデマンド出版です。
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自民党憲法改正草案を読む/番外294(情報の読み方)
前の文章(情報の読み方、294)でこういうことを書いた。
愛知トリエンナーレで天皇の肖像を燃やすという作品に関連してである。たしかに天皇の肖像が燃えるのを見て不快感を覚えるひとは多いだろう。
一方、次のような文章はどうか。
①天皇の写真が写っている新聞を犬のトイレにつかった
②犬のうんちを拾うとき天皇の肖像が載っている新聞をつかった
たぶん、なぜ、わざわざそこで「天皇の写真」ということばをつかうのか、という問題が起きる。そのことに対して不愉快だというひとが現れることは簡単に想像できる。
しかし、これが
③犬のうんちを拾うときヒトラーの肖像が載っている新聞をつかった
④犬のうんちを拾うときスターリンの肖像が載っている新聞をつかった
⑤犬のうんちを拾うとき毛沢東の肖像が載っている新聞をつかった
⑥犬のうんちを拾うとき金正男の肖像が載っている新聞をつかった
⑦犬のうんちを拾うときエリザベス女王の肖像が載っている新聞をつかった
⑧犬のうんちを拾うとき妻(夫)の写真が載っている新聞をつかった
⑨犬のうんちを拾うとき孫の写真が載っている新聞をつかった
⑩犬のうんちを拾うとき離婚した妻(夫)の写真が載っている新聞をつかった
はたして、天皇の写真と同じように「だめ」というひとが日本人の何人いるか。なかには、「やれやれ」というひともいるかもしれない。
⑩という文章に出会ったら、笑いだしてしまうかもしれない。
これは、どういうことだろうか。
写真に写っているひとに対して自分が何を感じているか、どう感じているか、ということと「不快さ」(あるいは「快感」)の度合いは変化するということである。つまり、天皇の写真についていえば、日本人の多くは不快に感じるだろうが、他国のひとはなかには快感に感じるひともいるだろうということである。
そして、⑩の例が、いちばんわかりやすいのだが、ひとは「わざと」そういうことをするときもある。それは自分の感情を解放するためである。離婚した妻(夫)は「何やってるんだ。私をバカにするつもりか」と怒るかもしれないが、それは怒らせるためにやっているのだから、怒る姿を見るのが快感でもある。
芸術は、ときにはそういう「作用」があるのだ。ひとをあえて不愉快にする。あるいはひとが怒る、眉をひそめるのを確かめるということが。人間の感情はどう動くか。そういうことを明確に知るのが芸術である。自分とは何ものなのかを知るのだ。そのために存在している面もある。
美しい、気持ちがいいものだけが「芸術」ではない。
もし、先にあげた①から⑩までの「表現」を規制するとしたら、それなりの「理由」が必要である。どうして、それが駄目なのか、理由と基準が必要である。「天皇」だから駄目、というのは、かなりむずかしい基準だろう。
天皇は日本の「象徴」である。憲法に書いてある。しかし、国民には(個人には)、それを認めないという「権利」もある。否定し、批判する権利もある。そういうことも含めて考えないといけないのに、河村は、無条件に天皇を絶対視している。そこに非常に大きな問題点がある。
河村が展覧会に要求しているのは、芸術の問題ではなく、「ある思想」の絶対視である。
もう一つ考えたいのが「公金」の問題である。河村は「反日」(ということばをつかっていたかどうか、正確ではないのだが)的企画に公金を支出することは問題がある。公共施設をつかうことには問題がある、というような発言をしていたと思う。
しかし、これは逆の言い方もできる。もしそこに「反日」的な作品があるとしたら、それこそ、なぜ「反日的作品」が存在するのか考えるきっかけになる。展覧会から排除する(見えなくする)ということで、「反日的思想」がなくなるわけではない。「反日」とひとくくりにされる思想とどう向き合うか、それこそ今の日本の課題だろう。
いつの時代、どんな場所にも、あることがらに対して「賛成」と「反対」のひとがいる。ものの見え方・見方はひとによって違っている。違いがあることを前提にして考えないといけないのに、違うから排除してしまえでは何もはじまらない。
安倍が都議選で「安倍辞めろ」と叫ぶ国民に対して「あんなひとたちに負けるわけにはいかない」と叫んでから、自分とは違う意見の人間を排除しようとする動きが非常に強くなっている。安倍は、そして、こういう動きを歓迎しているようでもある。河村の動きは、こうした安倍の姿勢に迎合するものである。
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位
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