細田傳造「サカモトリョウマ」、阿部日奈子「影身」(「ユルトラ・バルズ」33、2020年04月10日発行)
細田傳造は「サカモトリョウマ」と「タイラノマサカド」を書いている。どちらもおもしろいのだが、「タイラノマサカド」にはむずかしい漢字があるので引用できない。だから、じいさんぽい「サカモトリョウマ」について書く。「じいさん」と書いたついでに書いておくと、私は「おばさん詩」が大好きなのだが、細田はどうやら「おばさん詩」に拮抗する「じいさん詩(ジジイ詩)」を確立している。そうか「おじさん詩」はげんなりするが「ジジイ詩」という方法があったか。
細田が何歳か知らないが、「後期高齢者」の時代が詩にもやってきたのだ、と思う。
細田の「ジジイ詩」は、ジジイとはいうものの、リズムがとってもいい。舌がもつれない。音に緩みがない。
この書き出しには、いろいろな「音」があふれている。美空ひばりの歌から歴史(学問ではなく、常識、というか口伝だな)、ドイツ語、戦時中(?)、アメリカ風俗(英語?)、単なる日常。そして、それがうるさくならずに、「活気」として動いている。借り物の「音」ではなく、細田が、そういう「音」を生きてきた「手触り」のようなものがある。言い換えると繰り返されること(たとえばひばりの歌)によってなじんでくる「工芸品」に似た味わいだ。「時間」、言い換えると「暮らし」を感じさせるのだ。「キンダーガルテン」さえも。
「会ひ」という突然の旧かなも、ここでは「時間」そのものを噴出させてくるのでおもしろい。細田は、ひとそれぞれが「独自の時間」を生きているということを肯定している。そして、その「独自」を「音」のちがいとして把握している。とても音楽的だ。耳がいいから「桃子先生」というような固有名詞もしっかりとおぼえている。
「ゆっくり」からつづく行に「爺」ということばがあって、私は、実はここから「ジジイ詩」と思ったのだが、
ここなんか、いいなあ。「時間」の変化は「人間の変化(成長)」である。それを大げさに言わずに「ほーっ」という感じで息抜きした後、「この国の将来の事を考えて」という飛躍。笑えるけれど、この幅の広さが「音域」の広さなのだと思う。
年をとると、人の声帯は硬くなる。けれどことばの「声帯」は細田のようにどこまでも柔らかさを保ち続けることができる。
とは、いえなくて。
これは細田の強さなのだ。
*
阿部日奈子「影身」は、一行のなかの文字数が「図形」を描くように変化している。横向きの三角形が、蝶の羽のように広がった形をしている。
全部引用するのは手間がかかるので、最初の三行を紹介すると、
こういう詩の場合、リズム(音)が大事だと思う。「視覚的」だから「視角」が安定していればいいというものではなくて、音が不安定だと、うるさい感じがするのである。音の好みというのは色の好み、形の好みのようにひとによって違うから簡単にはいえないが、私は阿部の「音」が好きである。
阿部の音は細田の「音」と違って、「耳」から入ってくる音ではなく目から入ってくる音である。本を黙読したときに聞こえてくる音。言い換えると、最初から「統一」された音。本というのは「日常」と違い、たいてい「ひとり」の声でできている。だから、自然と統一されてしまう。整えられてしまう。そして、そこには単に整えられるという「窮屈さ」を超えて、鍛えられた「強さ」のようなものがある。
音程、リズムに狂いがないのだ。
だから、
三角形の頂点がぶつかる部分の、一行としては「完結」しない部分、「を編む」「の死を」さえも、「を」の対比、行の先頭と行の末尾という組み合わせとして、不思議な「和音」のようなものを感じさせる。
書き出しの二行目では「あなた」だったものが、鏡に映って反転した世界では「君」にかわって、最終行、
と書き出しの行に戻るまでの運動に、音の揺らぎ(緩み)がないのが、とても気持ちがいい。
*
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「詩はどこにあるか」2020年1月の詩の批評を一冊にまとめました。
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細田傳造は「サカモトリョウマ」と「タイラノマサカド」を書いている。どちらもおもしろいのだが、「タイラノマサカド」にはむずかしい漢字があるので引用できない。だから、じいさんぽい「サカモトリョウマ」について書く。「じいさん」と書いたついでに書いておくと、私は「おばさん詩」が大好きなのだが、細田はどうやら「おばさん詩」に拮抗する「じいさん詩(ジジイ詩)」を確立している。そうか「おじさん詩」はげんなりするが「ジジイ詩」という方法があったか。
細田が何歳か知らないが、「後期高齢者」の時代が詩にもやってきたのだ、と思う。
細田の「ジジイ詩」は、ジジイとはいうものの、リズムがとってもいい。舌がもつれない。音に緩みがない。
×は町の子田舎の子
伏見のいなかから七条新地
みやこへ急ぐ龍馬よ
武蔵一宮の参道を
キンダーガルテンに急ぐ×よ
背嚢に
メリーズのビッグサイズのオムツを二枚
ビニール袋に詰めてぶら下げている
この書き出しには、いろいろな「音」があふれている。美空ひばりの歌から歴史(学問ではなく、常識、というか口伝だな)、ドイツ語、戦時中(?)、アメリカ風俗(英語?)、単なる日常。そして、それがうるさくならずに、「活気」として動いている。借り物の「音」ではなく、細田が、そういう「音」を生きてきた「手触り」のようなものがある。言い換えると繰り返されること(たとえばひばりの歌)によってなじんでくる「工芸品」に似た味わいだ。「時間」、言い換えると「暮らし」を感じさせるのだ。「キンダーガルテン」さえも。
リョウマがゆく
腰に
だらりと下がった常陸守吉行の大刀
鯉口は固く結んである
鞍子(りょうこ)さんに会ひにゆくのだ
幼稚園のひまわり組の
タンニンの桃子先生に会いに急ぐ×よ
ゆっくり ゆっくり あぶないよ
後を追う付き添いの爺やが叫ぶ
ほらもう二度も転んだ
きょうは泣かない
この国の将来の事を考えて
みどりようちえんへ急ぐ
朝の子どもよ
「会ひ」という突然の旧かなも、ここでは「時間」そのものを噴出させてくるのでおもしろい。細田は、ひとそれぞれが「独自の時間」を生きているということを肯定している。そして、その「独自」を「音」のちがいとして把握している。とても音楽的だ。耳がいいから「桃子先生」というような固有名詞もしっかりとおぼえている。
「ゆっくり」からつづく行に「爺」ということばがあって、私は、実はここから「ジジイ詩」と思ったのだが、
ほらもう二度も転んだ
きょうは泣かない
ここなんか、いいなあ。「時間」の変化は「人間の変化(成長)」である。それを大げさに言わずに「ほーっ」という感じで息抜きした後、「この国の将来の事を考えて」という飛躍。笑えるけれど、この幅の広さが「音域」の広さなのだと思う。
年をとると、人の声帯は硬くなる。けれどことばの「声帯」は細田のようにどこまでも柔らかさを保ち続けることができる。
とは、いえなくて。
これは細田の強さなのだ。
*
阿部日奈子「影身」は、一行のなかの文字数が「図形」を描くように変化している。横向きの三角形が、蝶の羽のように広がった形をしている。
全部引用するのは手間がかかるので、最初の三行を紹介すると、
袂を分ってからも相変わらず同じたぐいの本を読んでいる私たち
あなたの書評は私の解釈そのままで頭の中を覗かれてるよう
だから一行も書けなくなって白紙をまえに放心している
こういう詩の場合、リズム(音)が大事だと思う。「視覚的」だから「視角」が安定していればいいというものではなくて、音が不安定だと、うるさい感じがするのである。音の好みというのは色の好み、形の好みのようにひとによって違うから簡単にはいえないが、私は阿部の「音」が好きである。
阿部の音は細田の「音」と違って、「耳」から入ってくる音ではなく目から入ってくる音である。本を黙読したときに聞こえてくる音。言い換えると、最初から「統一」された音。本というのは「日常」と違い、たいてい「ひとり」の声でできている。だから、自然と統一されてしまう。整えられてしまう。そして、そこには単に整えられるという「窮屈さ」を超えて、鍛えられた「強さ」のようなものがある。
音程、リズムに狂いがないのだ。
だから、
驚異の書物
を編む
私
の死を
待ち望む君
三角形の頂点がぶつかる部分の、一行としては「完結」しない部分、「を編む」「の死を」さえも、「を」の対比、行の先頭と行の末尾という組み合わせとして、不思議な「和音」のようなものを感じさせる。
書き出しの二行目では「あなた」だったものが、鏡に映って反転した世界では「君」にかわって、最終行、
袂を分ってからも相変わらず同じたぐいの本を読んでいる私たち
と書き出しの行に戻るまでの運動に、音の揺らぎ(緩み)がないのが、とても気持ちがいい。
*
評論『池澤夏樹訳「カヴァフィス全詩」を読む』を一冊にまとめました。314ページ、2500円。(送料別)
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「詩はどこにあるか」2020年1月の詩の批評を一冊にまとめました。
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(バックナンバーについては、谷内までお問い合わせください。)
オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*
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(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
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(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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