詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

細田傳造「サカモトリョウマ」、阿部日奈子「影身」

2020-04-17 11:49:51 | 詩(雑誌・同人誌)
細田傳造「サカモトリョウマ」、阿部日奈子「影身」(「ユルトラ・バルズ」33、2020年04月10日発行)

 細田傳造は「サカモトリョウマ」と「タイラノマサカド」を書いている。どちらもおもしろいのだが、「タイラノマサカド」にはむずかしい漢字があるので引用できない。だから、じいさんぽい「サカモトリョウマ」について書く。「じいさん」と書いたついでに書いておくと、私は「おばさん詩」が大好きなのだが、細田はどうやら「おばさん詩」に拮抗する「じいさん詩(ジジイ詩)」を確立している。そうか「おじさん詩」はげんなりするが「ジジイ詩」という方法があったか。
 細田が何歳か知らないが、「後期高齢者」の時代が詩にもやってきたのだ、と思う。

 細田の「ジジイ詩」は、ジジイとはいうものの、リズムがとってもいい。舌がもつれない。音に緩みがない。

×は町の子田舎の子
伏見のいなかから七条新地
みやこへ急ぐ龍馬よ
武蔵一宮の参道を
キンダーガルテンに急ぐ×よ
背嚢に
メリーズのビッグサイズのオムツを二枚
ビニール袋に詰めてぶら下げている

 この書き出しには、いろいろな「音」があふれている。美空ひばりの歌から歴史(学問ではなく、常識、というか口伝だな)、ドイツ語、戦時中(?)、アメリカ風俗(英語?)、単なる日常。そして、それがうるさくならずに、「活気」として動いている。借り物の「音」ではなく、細田が、そういう「音」を生きてきた「手触り」のようなものがある。言い換えると繰り返されること(たとえばひばりの歌)によってなじんでくる「工芸品」に似た味わいだ。「時間」、言い換えると「暮らし」を感じさせるのだ。「キンダーガルテン」さえも。

リョウマがゆく
腰に
だらりと下がった常陸守吉行の大刀
鯉口は固く結んである
鞍子(りょうこ)さんに会ひにゆくのだ
幼稚園のひまわり組の
タンニンの桃子先生に会いに急ぐ×よ
ゆっくり ゆっくり あぶないよ
後を追う付き添いの爺やが叫ぶ
ほらもう二度も転んだ
きょうは泣かない
この国の将来の事を考えて
みどりようちえんへ急ぐ
朝の子どもよ

 「会ひ」という突然の旧かなも、ここでは「時間」そのものを噴出させてくるのでおもしろい。細田は、ひとそれぞれが「独自の時間」を生きているということを肯定している。そして、その「独自」を「音」のちがいとして把握している。とても音楽的だ。耳がいいから「桃子先生」というような固有名詞もしっかりとおぼえている。
 「ゆっくり」からつづく行に「爺」ということばがあって、私は、実はここから「ジジイ詩」と思ったのだが、

ほらもう二度も転んだ
きょうは泣かない

 ここなんか、いいなあ。「時間」の変化は「人間の変化(成長)」である。それを大げさに言わずに「ほーっ」という感じで息抜きした後、「この国の将来の事を考えて」という飛躍。笑えるけれど、この幅の広さが「音域」の広さなのだと思う。
 年をとると、人の声帯は硬くなる。けれどことばの「声帯」は細田のようにどこまでも柔らかさを保ち続けることができる。
 とは、いえなくて。
 これは細田の強さなのだ。



 阿部日奈子「影身」は、一行のなかの文字数が「図形」を描くように変化している。横向きの三角形が、蝶の羽のように広がった形をしている。
 全部引用するのは手間がかかるので、最初の三行を紹介すると、

袂を分ってからも相変わらず同じたぐいの本を読んでいる私たち
 あなたの書評は私の解釈そのままで頭の中を覗かれてるよう
  だから一行も書けなくなって白紙をまえに放心している

 こういう詩の場合、リズム(音)が大事だと思う。「視覚的」だから「視角」が安定していればいいというものではなくて、音が不安定だと、うるさい感じがするのである。音の好みというのは色の好み、形の好みのようにひとによって違うから簡単にはいえないが、私は阿部の「音」が好きである。
 阿部の音は細田の「音」と違って、「耳」から入ってくる音ではなく目から入ってくる音である。本を黙読したときに聞こえてくる音。言い換えると、最初から「統一」された音。本というのは「日常」と違い、たいてい「ひとり」の声でできている。だから、自然と統一されてしまう。整えられてしまう。そして、そこには単に整えられるという「窮屈さ」を超えて、鍛えられた「強さ」のようなものがある。
 音程、リズムに狂いがないのだ。
 だから、

驚異の書物
 を編む
  私
 の死を
待ち望む君

 三角形の頂点がぶつかる部分の、一行としては「完結」しない部分、「を編む」「の死を」さえも、「を」の対比、行の先頭と行の末尾という組み合わせとして、不思議な「和音」のようなものを感じさせる。
 書き出しの二行目では「あなた」だったものが、鏡に映って反転した世界では「君」にかわって、最終行、

袂を分ってからも相変わらず同じたぐいの本を読んでいる私たち

 と書き出しの行に戻るまでの運動に、音の揺らぎ(緩み)がないのが、とても気持ちがいい。





*

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想定問答集がないと答えられない安倍

2020-04-17 09:22:20 | 自民党憲法改正草案を読む
想定問答集がないと答えられない安倍
       自民党憲法改正草案を読む/番外338(情報の読み方)

 
 2020年04月17日の読売新聞(西部版・14版)の1面。

緊急事態宣言 全国拡大/来月6日まで 首相発令/13都道府県「特定警戒」

 新型コロナ問題が新局面に入った。きのうは仕事の関係でテレビを見ることができなかったのでよくわからないが、この発表をしたのは安倍ではなかった。
 なぜなんだろう。
 記事を読むと、首相は首相官邸で政府対策本部をひらき、全都道府県への宣言を発令した」とある。そして、こう書いている。

首相は17日に記者会見を開き、国民に向け説明する。

 私は、あきれかえってしまった。テレビや新聞で「緊急事態宣言 全国拡大」と知らせておいて、つまり、国民にそのことを知らせておいたあとで、記者会見をする。何の意味がある? もう、ほとんどの人間が知ってしまっていることを聞かされる。
 だいたい、これでは「緊急事態宣言」の「緊急性」がどこにも感じられない。決めたらすぐに記者会見をする。そして記者の質問に答える。
 安倍には、そういうことができない。

 きのう、国民に向かって呼びかけなかった理由は何か。
 緊急なら、緊急に呼びかけるべきだろう。
 1日間を置くことができるなら、もう緊急ではない。

 一晩かけて、「想定問答集」をつくるのだろう。もちろん事前に質問事項を提出させる。「3月中にマスク6億枚」という記者会見のように、安倍から記者に「こういう質問をしてくれ」という依頼もする。それに時間がかかるのだ。その調整をしないことには何も答えられないのだ。
 「まだ質問があります」に答えるためには、いままでよりももっと「想定問答集」づくりに時間がかかる。それに「練習」もしなければならない。

 さらに。
 こういう「工作」をするのには、ほかにも理由がある。「緊急事態宣言」がどういうものか、いきなり安倍が発表し、その場で記者会見にうつると、単に安倍が答えられないという以上の問題が発生する。
 記者の方も、即座に内容を判断し、質問するということがむずかしい。その結果、質疑応答が入り乱れる。収集がつかなくなる。突然の緊急事態拡大への質問よりも、直前に話題になった「10万円給付」や「安倍昭恵の大分旅行」の質問も飛び出す可能性がある。わからないことをわからないまま聞くより、わかっている疑問を聞いておこうとする記者もでるだろう。そういう動き、昭恵問題を追及する動きを封じ込めようとしているのだ。
 一晩寝かせて、「緊急事態宣言拡大」にだけ焦点を絞らせようというのである。全国に宣言が拡大されるということは、全国民が対象ということである。新聞によれば、感染者の少ない知事からは「不満」も出ている。そういうときに、緊急事態宣言をわきにおいておいて、昭恵問題を追及するのは、「同調空気」が支配する日本ではなかなかむずかしい。「いまは、それを質問するときじゃない」という批判が起きる。たぶん、これが狙いだな。
 露骨にいうと「昭恵批判封じ」(国民に自粛を呼びかけておいて、昭恵は出歩いていいのか、という批判を封じる)が目的。私は、緊急事態宣言の発令や、自粛要請をしたのは安倍であって昭恵ではないのだから、そして旅費や宿泊費を「公費」から出したということが問題になっているでもないのだから、そんなことはほっておけと思うが、安倍はこういう批判を気にするだろう。週刊誌に書かれるのがいやなのだろう。
 そうでもない限り、いま、なぜ「緊急事態宣言」を「全国拡大」する必要があるのか。もめつづけた「10万円給付」もめどがついた。感染者の数字は操作され続けているのだと思うが、東京の感染者の増加は急加速しているわけではない。それが「事実」なら、自慢するところだろう。「東京では効果を上げつつある。ほかの国民もみならってほしい」くらいですみそうである。そうしないのは、ひとつは「数字」が事実に基づかない(感染者の実数を隠蔽しきれなくなってきている)ということがある。そして、もうひとつが、昭恵問題を叩かれたくない、があるのだ。
 記者会見では、昭恵について木か内までも、
①なぜきのう(16日)に安倍が「緊急事態宣言を全国拡大」ということを安倍自らが国民に向かって発表しなかったのか
②なぜ記者会見を即座に開かなかったのか
 ということを問いただしてもらいたい。

 それにしても、読売新聞の1面に書かれている「情報発信 きめ細かく」という解説記事はなかなかおもしろい。

「大きく構えて、小さく収める」は危機管理の鉄則だ。

 これはクルーズ船のときにいうことである。すでに「小さくみせる(隠蔽工作)」が失敗し、事態が大きく破裂してしまった状態だ。もう「小さく収める」ことなどできない。「大きい事実」を正確に伝える。情報を正確に公開する。いま、隠しきれなくなった感染拡大が少しずつ「全貌」をみせ始めたところだ。日本はニューヨークになるのだ。最悪の場合、日本での死者は「40万人」と予想されているようだが、いまのような状況ではどんなに抑制しても40万人なのではないか、と心配になる。
 やっていることがあまりにも手ぬるい。せめて中国のように、専門の隔離病棟(隔離病床)を建設するくらいのことを即座にやるべきだ。韓国に見習って、検査を拡大実施すべきなのだ。















#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


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