詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(36)

2020-04-21 21:51:38 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (数かぎりないぼくの文字綴りから)

新しい酸素は発生する

 「酸素」はだれもが知っていることばである。だが、それを「見る」ことはむずかしい。「聞く」ことも、手で「つかむ」こともできない。
 そういうものを、どうやって「理解」するか。
 激しく走った後、あるいは泳いだ後。荒い息をする。そのとき「肉体」のなかを「酸素」が走る。「血管」のなかを。息が整ってくる。それを支えてくれるのが「酸素」だと、だれかが教えてくれる。そして、「理解」する。
 それは、「ことば」によって可能になることだ。「ことば」を身につけることが「理解」する、ということだ。
 遅れて「肉体」がついていく。
 だが、「肉体」がことばをつかわずにつかみ取ったことを、「ことば」が後からととのえるということがあるかもしれない。
 力強い比喩は、後者である。
 この詩では「酸素」よりも「発生する」という動詞の方が、強い。「酸素に、なる」のだ、嵯峨のことばは。






*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする