詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

尾花仙朔『春霊』

2006-07-17 21:42:00 | 詩集
 尾花仙朔『春霊』(思潮社)。非常におもしろい詩集である。一気に読み終えた。

ママン いとしいかあさん
赤紙一枚 国家の召集令状で
戦場にいったあなたの父 ぼくの祖父が
白木の箱のただ石塊(いしくれ)に変わって帰ってきた
そのとき あなたの母ぼくの祖母は語ったのだね

 「化外の書」の2連目の5行である。「ママン」と「いとしいかあさん」は同じ人間である。「赤紙」と「召集令状は」また同じものである。尾花はあることばを別のことばで言い換える「性癖」がある、とだけ思って読んでしまうと、とても重要なことを見落とすことになる。「あなたの父」と「ぼくの祖父」、「あなたの母ぼくの祖母」も単に繰り返しにしか見えなくなってしまう。しかし、そうではないのだ。これは単なる繰り返し、ひとつのことを別のことばで言い換えただけではないのだ。
 この言い換えにこそ、尾花の「思想」がある。
 「あなたの父」と「ぼくの祖父」、「あなたの母」と「ぼくの祖母」。この繰り返しが浮かび上がらせるのは「歴史」である。祖父(祖母)-母と父-子ども。そこに、それぞれの歴史があることを明確にするために尾花は、「あなたの父」「ぼくの祖父」、「あなたの母」「ぼくの祖母」とことばを繰り返す。読者の視線を歴史へと導く。
 そして、その歴史とは教科書に書いてあるような歴史だけではなく、個人的な歴史の強いものである。

白木の箱を石塊でたたきつけながら
ママン 祖母はあなたに生涯くりかえした
《これが せめて遺髪であったらよかったのに》
祖母は泣きじゃくり 泣きじゃくりながらあなたに頼んだ
《年老いて もしもわたしが惚(ほう)けた人になったら
 父さんの 白木の箱を包んでいるこの白い布で
 わたしの首を絞めておくれ 後生だから……》

ママン 祖母は恍惚の人になった だがあなたは
祖母の頼みを聞き入れなかった
あなたを誰かも見分けがつかなくなった祖母を
あなたは看取(みと)り
祖母は何年も幻の世をさすらい
ある日 滑るように月の裏側に隠れていった 平穏に
ああ ママン それなのにそれからあなたはぼくに
祖母があなたに頼んだ言葉をくりかえした
《わたしが もしも病んで身動きできなくなったら……》と
           (谷内注 《 》は原文では( が二重になったもの。)

 繰り返される祖母と母の、同質のことば。そのことばには通い合うものと違う部分がある。それをそのまま、どこが同じ、どこが違うというようなことは指摘せず、むしろ、ことばの意味の広がったまま引き継いでいくときの悲しみ。その悲しみの歴史が、ここにある。

 そして、尾花の本当の思想、他人に譲れないことばもここには書かれている。「それなのに」がそれである。「それなのに」ということばのなかに、ことばにしようとして、ことばにならない人間の悲しみが存在する。
 母は祖母の「恍惚の人になったら首を絞めて殺してくれ」という願いを拒否した。それなのに母は息子に対して「身動きできなくなったら首を絞めて殺してくれ」と頼む。それも同じ白木の箱を包んでいた布で殺してくれと頼む。自分が出来なかったことを人に頼む。これは一種の矛盾である。しかし、矛盾しているからこそ、そこに「思想」がある。悲しみがある。白木の箱を包んでいた白い布で息子を、夫を感じたい。その同じ願い。同じことを願わずにはいられない悲しみ。そして、その願いを拒否することしか出来ない悲しみ。悲しみというおなじことばで語るしかないふたつの感情。そこに「思想」がある。そして、その「思想」、その悲しみが積み重なって出来たのが「歴史」なのである。
 一人の背後にいる父と母、その背後にいる祖父、祖父母、そしたその背後に……という時間の流れがあり、そのなかでは似た感情が繰り返されてきたのである。そうしたことばにならない感情こそが歴史であるということを語るために、尾花は「あなたの父」「ぼくの祖父」、「あなたの母」「ぼくの祖母」と繰り返すのである。
 ひとりひとりの人間は死ぬ。必ず死ぬ。「それなのに」人間という存在自体は生き続ける。そしてそのとき、あらゆる感情は引き継がれる。感情は「事件」ではないから歴史には記載されない。しかし肉体に刻みつけられていく。その刻まれた刻印の深さ--それを明らかにするために詩は書かれる。あるいは、こういうこともできる。人間は悲しみを胸に刻む。「それなのに」悲しみを繰り返してしまう。ここにも矛盾がある。乗り越えなければならない矛盾がある。だからこそ、それを明らかにするために、尾花は詩を書く。



 重なり合うこころ、そうやって深みを増し続ける歴史。感情の、こころの、精神の歴史。そうしたことについて、尾花は次のような行も書いている。

だが ぼくには分からない
ぼくは果たしてぼくなのか父なのか青鮫なのか
それすらもぼくには分からないのだ
ただ この世に見えないものがぼくには見える
時の簾(すだれ) 空(くう)の垣間を透かして この世の
不可解な現象の実相がありありと見えてくるのだ
                (「格子と霊廟」)

 尾花は「ぼくは果たしてぼくなのか父なのか青鮫なのか/それすらもぼくには分からないのだ」と書くが、実は、それこそ書く理由だ。分からないから書くという意味ではない。分からなくなるために書くのだ。「ぼく」のこころがぼくだけのものなら書く必要はない。ある思い、感情、こころが、たとえば白木の箱を包んでいた布で首を絞めて殺してくれという願いが、母のものか、祖母のものか、分からなくなるために尾花は詩を書く。それが母と祖母に共有されたもの、時間を超えて共有されたものであり、けっして、母のもの、祖母のものと分離してとらえられるものではないということを明らかにするために書くのだ。
 こころ、精神は時間を超え、共有される。それこそが歴史である。尾花の書こうとしている歴史である。時間を超え、共有されるこころ、感情、精神としての歴史--それを、いったい誰のものであるか特定できないという意味で、尾花は「騙し絵」とも呼んでいる。あらゆることがら、あらゆる感情が繰り返されるのである。繰り返しのなかで、奥をひろげるのである。尾花は、その奥へ奥へと入っていく。これは、つまり、歴史の奥から現代へ立ち戻り、今を厳しく批判するということとも同じことなのだが……。
 「夢魔絵帷子」の「二十一世紀の十字軍旗」ということばにつけられた尾花自身の注釈がその厳しい視線を明らかにしている。

9・11直後、ブッシュ大統領は軍事行動を十字軍の遠征にたとえて演説した。アメリカの「キリスト教原理主義」を体現したこの宣言を歴史から抹消してはならない。解釈で歪曲してはならないと思う。

 この注釈を読みながら、私は、さらに尾花が「あなたの父」「ぼくの祖父」、「あなたの母」「ぼくの祖母」と繰り返し書かなければならなかった理由に出会ったと思った。歴史は常に権力者によって歪曲される。ねじまげられる。それを正すのは、祖父・祖母-父・母-子というふうに積み重ねられてきたこころ、せつない感情の力なのだ。世界戦略ではないこころ、肉親を愛するこころ、そこから広がっていく人間そのものを愛さずにはいられない人間の悲しみである。



 大急ぎで書いては失礼になる詩集であると感じながらも、大急ぎで感想を書いてしまった。大急ぎででも書かずにはいられない魅力的な一冊である。また時間を見つけて感想を書きたい。同じことしかかけないかもしれないが、同じであっても、何度も何度も感想を書きたいと思う。とてもすばらしい詩集だ。
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鎗田清太郎「手」

2006-07-16 15:12:02 | 詩集
 「葡萄」53号が「若き日の詩集」という特集を組んでいる。5人の詩人がそれぞれ一篇を選び、「自注」をつけている。それを読むと、びっくりすることがある。たとえば、鎗田清太郎「手」。

投げられた骰子(さいころ)が
3を示したとて
5を示したとて
何の意味があろう
ころがされて
涯しない空白に
顫えているばかり
3であるより
5であるより
なべて黒いリムバーを
嘆かうよりも
なぜ骰子であるのかに
意味があろう
ぼくがぼくであることを忘れ
きみがきみであることを忘れ
ぼくもきもよ骰子であり
投げられて
ころがされて
ここに在ることについて
考えよう
もはや
3が5を嘲笑(わら)い
5が3を嘲笑(わら)う無意味さ
荒れ果てた空白にいて
ふたたび投げられようとする
1・2・3・4・5………
ぼくらを掴(つか)み
なおも投げようとする
その一つの手は
何か

 この詩について、鎗田は次のように書く。

この詩は言うならば、ハイデガー鉄苦学の重要な概念「投企entwerfen 」をテーマにして書かれたもので、これは「悪しき意味での日本的感性、俗流情緒」を捨てて「人間存在の本質の詩的把握を目指す」ことをテーマにしている。

 詩はとてもよくわかった(つもりだった)。しかし、「自注」がよくわからない。何を書いているのか明確に理解できない。
 「投企」は「投企」と「被投企」のふたつの視点から見ていかなければならないと思う。ここに書かれている人間のあり方は「被投企」としての存在である。人間は何の自覚もないままに世界に投げ出されている。その不安。情緒的存在としての人間。
 「投企」というのは、そこから出発して自己を構築していくこと、と私は理解している。「投企」がテーマと言うのであれば、どんな自己を想定しているのか、それが書かれていなければならないと思うが、それが見当たらない。
 「被投企」としての存在、不安な情緒が書かれている、鎗田が否定しようとしたものが、どう否定するかが明示されないまま、そこに書かれているという感じしかしない。

 私は、この作品の成立過程を知らない。成立過程を無視して書けば、私が感じたのは、戦中の不安な人間のありようである。自己投企できず、ただ巨大な権力によって世界に投げ出されている。自分の意思ではなく、権力によってたとえば兵隊の位(骰子のナンバー)を割り振られている。そこでは「私」は存在しない。「私」を無視して、巨大な手が人間を骰子のように振っている……。そうした状況を描くことで、状況そのものを批判していると思って読んだのである。
 そういう批判を鎗田は「投企」と呼び、それが彼の出発点であると言うのかもしれないが、何かが微妙に違う感じが残る。
 「日本的感性、俗流情緒」は「骰子」を登場させるだけでは、それを捨てたことにはならないだろうと思う。「ぼくらを掴み/なおも投げようとする/その一つの手は/何か」というのは私(この詩が戦争中に書かれたものであるとばかり、私はかってに想像していたので)には「天皇制」としか思えないのだが、そうした「制度」を「手」という比喩で語ってしまうところに、私は逆に日本的感性、情緒のようなものを感じるからである。
 もしほんとうに天皇制を批判するのなら、一人一人の個人を単なる骰子として戦場に送り出した巨大な手として批判するのなら、もっと明確に批判しなければ批判になり得ないと思う。「一つの手」は、それこそ世界全体を覆っていた戦争という状況と言い換えられてしまうからである。そういう把握の仕方、責任のあいまいさを受け入れる姿勢こそ、私には「日本的感性」に思えてしまうからである。



 「火牛」57冊に鎗田の「『旧詩帖』補釈」が載っている。その冒頭の作品。

敗兵として帰京し
母とよく近郊の農家に
買い出しに行った
あるとき
芋袋を背負ったまま
レール沿いに歩き
古い鉄橋に出た
…長さ一五〇メートル
 眼下二〇メートル下の
河原ののどかな二筋の流れ
もどっても
もどらなくても
そのうち電車は来るだろうし…
〈そのとき何が出来るだろう!?〉
私と母はレールの上を
ただ芋虫のように
腹這って進んだ

 ここに書かれた「芋虫」ということば。そこに私は鎗田の「自己投企」を見る。困難な状況を生きる人間である鎗田。食べ物もなく、不安定な世界に投げ出されて、不安な鎗田。被投企としての鎗田がまず描かれ、そこから脱出するために行動する。買い出しに行く。鉄橋を渡る。そのとき、鎗田は「芋虫」として生きる。「芋虫」へ向けて「自己投企」する。
 これは強烈な体制批判である。人間を人間として存在させない権力に対して、私は今「芋虫」として生きる、そうすることが自分の命をながらえさせる唯一の方法だからである、私をそういう人間にさせてしまう権力は無力であり、批判されてしかるべきものだという強いメッセージがある。
 この作品には、鎗田が書いている「悪しき意味での日本的感性、世俗情緒」を捨てる姿勢が強く読み取れる。この作品に、「手」の「自釈」がついていたなら、私はとても感動したと思う。
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「プルートで朝食を」は「空気」を描いた映画である。

2006-07-16 00:29:04 | 映画
監督 ニール・ジョーダン 出演 キリアン・マーフィー、リーアム・ニーソン

 映像が非常に落ち着いている。ゲイの青年が母親を探してロンドンをさまようという「きわもの」っぽい題材なのだが、映像そのものがすっくと立ち上がっているところがいい。映像の姿勢(?)が美しい。誰に対しても媚を売っていない。
 この映画では、まず何よりも「空気」が描かれている。主人公やその周囲の人というより、主人公の抱え込む「空気」、主人公が誰かと向き合うとき、そのときどきの「空気」が描かれている。「空気」というのは、あるいは「距離」と言ってもいいかもしれない。主人公と周囲の人との「距離」。遠くから見つめる「距離」、声が聞こえる「距離」、実際に肌と肌が触れ合う「距離」。
 主人公(キリアン・マーフィー)と父親である神父(リーアム・ニーソン)の「距離」を見ていくと、とてもおもしろい。「懺悔室」で窓を挟んで声を聞くときの「距離」。覗き窓から神父が主人公を見ながら、一種の告白をする「距離」。後者では神父から主人公はすべて見える。主人公はのぞき窓から逆に神父の姿をのぞこうとするが見えない。そのときの、壁(マジック・ミラー)を隔てた物理的な「距離」は変わらないのに、主人公の意識のなかで「距離」が大きく変化する。単なる客の一人と思っていたのが、事実を告白する父親だとわかった瞬間、こころはぐいぐい神父に近づいていく。そのときに壁(マジック・ミラー)は突然巨大な壁、分厚い壁となって立ちはだかる。そこにある「空気」そのものは物質的には同じ空気なのに、こころの変化によって、まるで違ったものになる。以前と同じものとして胸に吸い込み、吐き出すということができなくなる。
 「空気」は「距離」であり、それは瞬間瞬間によって、様相をかえるのである。
 私たちは無意識のうちに「空気」を読む。「空気」を判断する。ほんの少しの視線の動き、体の向き、動かし方、その変化のなかに、「真実」がある。人の考えていることがある。「空気」は思想をあらわしている。
 この映画は、たとえば主人公のアップ、女装するときの顔のアップの瞬間さえも「空気」として世界をとらえる。鏡と鏡をのぞきこむ瞬間の「距離」には自分を完成させていく意志に満ちた「空気」がそこにある。それに対して、先にあげたマジック・ミラーののぞき窓から逆に神父をのぞくときの主人公の視線の動きと鏡がつくりだす距離には自己を自分で完成させていくという意志はない。そうではなく、他者に頼らなければ自己が完成しないという不安、あるいは逆に自己が完成してしまう一種の恐れのようなものが、「空気」を支配する。
 こうした微妙な「空気」の変化そのものを映像として定着させる力はどこから来るのだろうか。たぶんイギリス特有の個人主義からくるのだと思う。イギリスの個人主義は、とてつもなく徹底しているように私には感じられる。人が何かをするのは、その人が自分の判断でするかぎりにおいては誰も批判しない。その人の自由である。だから、かかわりになりたくなければ「距離」をとる。かかわりあいになるにしても、けっして「距離」を見失わず、「距離」を保つ。ここから一種の冷たさが生まれる。しかし、「距離」があるから、同時にユーモアも生まれる。自分を自分から突き放して、「距離」をつくり、その「距離」を攪拌してしまうのだ。今そこに存在する「距離」が誰の視点から見つめたものかわからないものにしてしまうのだ。
 この冷徹さがあるから、「空気」に品が生まれる。その品が、空気を屹立したものにみせる。

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松原牧子「追廻町」

2006-07-15 16:15:59 | 詩集
 松原牧子「追廻町」(「カラ」1)にも過去と肉体が出てくる。佐伯とはずいぶん印象が違う。肉体を制御するものとして精神がある、という感じだ。

 記憶は不思議だ。なぜそれを覚えているのか。理由はあるのだろうが、すべてがわかるわけではない。わかるのは、記憶した、記憶として持ち続けている、それが私だ、ということだ。

 「我思う、ゆえに我あり」ではなく「我記憶する、ゆえに我あり」というのが松原の「思想」である。「すべてがわかるわけではない」と書いてはいるが、すべてをわかりたい、記憶を完璧にしたい、というのが松原の願いである。
 作品のなかで、松原は50年前に住んでいた秋田県「追廻町」の「我が家」を探す。(実際に町にたどりついてではなく、まず地図で「我が家」探し出そうとする。とてもおもしろい部分がある。

家を出て左にゆくと寺に行きあたる。その寺を抜けて川へ遊びに行った。家を出て右、石屋の角を左、理髪店のところで右、しばらくまっすぐ行って左に入ってゆくと築山小学校。子どもの足で二十分近くかかった気がする。築山小学校は今でも地図にあり、学校から逆にたどってみようとするがうまくいかない。

 方向をあらわす「右」「左」がとても肉体的である。北へ、南へ、あるいは東へ西へとは松原は「記憶」しない。東西南北は肉体では記憶できない。(か、どうかは私は考えたことがないが、松原は東西南北を肉体で判断しない。--私はときどき空を見て、光のあり方で方角を確認するけれど、たぶん松原はそういうことをしないのだと思う。あくまで視線を肉体の、延長の方向に限定する。右、左は右手左手であり、右足左足である。)
 記憶が肉体の延長に、あまりにも密着しているために、それを逆にたどることは難しい。右の反対が左ではない。左の反対が右ではない。あくまで右手の方向へ動くとき、そこに右があらわれてくるのである。同じ通りでも逆に歩けば違って見えて、同じ通りと気づかないということは不慣れな土地ではありうる。肉体の記憶は逆にはたどれないのである。「頭脳」が記憶しているのではなく、肉体が何かを記憶している。肉眼そのものが何かを記憶している。たしかにそうだとは思う。
 だが、そう思いながらも、私は、とてもびっくりしてしまうのだ。こんなに克明に右、左と家から学校までの道順を覚えているなら、逆に学校から家までの帰り道の道順も覚えているはずではないのか。なぜ、学校の門を出て……と思い出せないのか。学校へ行くのが日常なら、家へ戻るのも日常である。その道順をたどってみて家へたどりつけないというのなら、たぶん街並みが変わった、建物が変わった、道そのものが変わったという理由に行き着くだろうが、これは奇妙としかいいようがない。なぜ、家から学校までの道順を思い出し、それを逆にたどろうとするのか。なぜ学校から家までの道順を思い出し、それをたどろうとしないのか。
 私は、ここに作品の「嘘」を感じてしまう。作為を感じてしまう。
 作品のなかで、松原は『日本地名大辞典』を引っ張りだし、「追廻町」が「楢山登町」に変わったことを知り、家の二階からガスタンクが見えたことを思い出し、ガスタンクの一からだいたいの見当を「追廻町」の見当をつけ、寺を見つける。

寺は玄心寺だ。地図上、小学校までの道をたどる。覚えていた通りの道で学校に行き着く。

 それから古い地図を見つけ、確認する。

まちがいない。今に至るまでほとんど道筋に変化がない。

 これが事実であるなら、と私はふたたび思うのだ。なぜ、松原は学校から家へ帰る道順を思い出さなかったのか。道筋に変わりがないなら、学校からの帰り道を思い出すことで「我が家」へ帰ることができただろう、と思わずにいられない。
 右、左と書きながらも、松原には肉体の感覚がそれほど強くないのかもしれない。本当に肉体で記憶していないのかもしれない。肉眼で記憶していることは少ないのかもしれない。あくまで「記憶する、ゆえに我あり」という「頭」のなかの世界にしか「私」はいないのかもしれない。記憶が私だ、という言い方自体、すでに肉体を離れた考え方であると私には思える。松原にとって、肉体よりも精神の方が上位にある、人間は肉体と精神のふたつでできており、それを制御するのは精神(記憶)である、ということだろう。

 もし、この作品に、作為や「嘘」がないのだとしたら、松原には学校から家へは帰りたくないような何かがあったということかもしれない。家をのがれ学校へ行くのは楽しかったが、逆はいやだったということかもしれない。作品のなかに

当時高校一年生だった姉にも聞いてみるがわからない。この姉は二年になる時東京に出てしまったのでよけい、追廻町の名さえ覚えていなかった。

という文章が出てくる。作品に従えば、松原は三年半秋田(追廻町)に住んでいる。姉の年齢でいえば中学一年から高校一年にかけてである。そうした年代にすごした町の名前さえ思い出せない(思い出したくない)何か、松原たちが仙台へ引っ越したのに、姉は東京へ出ていかざるを得ない何かがあったということだろうか。その何かが、今となってはなつかしく「我が家」へ行ってみたいということなのだろうか。「我が家」の何かを記憶している、その記憶が私だ、というのが本当は書きたいことなのかもしれない。
 詩を離れて、ちょっと推理小説の冒頭か何かを読み始めたような、奇妙な気持ちにもなった。
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佐伯多美子「睡眠の軌跡」

2006-07-14 23:06:29 | 詩集
 佐伯多美子「睡眠の軌跡」(「カラ」1)。

  かつて、アパートで睡眠を得るために、狭い部屋には不自然にもみえる大きなベッドを据えた。

 書き出しの1行である。とても気になる。最後まで作品を読み終えたあと、引き返してきて、私はこの書き出しだけ、5回以上繰り返し読んでしまった。びっくりしてしまったのだ。引用してみて、いっそう驚く。意味はわかるのだが、どうにも不自然である。ひっかかるものがある。
 そのひとつは「かつて」ということば。これはあとで触れることにする。
 もう一つは「アパートで睡眠を得るために」という表現。「睡眠を得るために」は直接的には「大きなベッドを据えた」に結びつくのだが、この表現のねじれかたは、とても奇妙である。「アパートで睡眠を得るために」と読むと、睡眠するために、わざわざアパートを借りたのだろうか、と思ってしまう。生活の場は別のところにあるのだろうか。「睡眠を得る」というのも気にかかる。生活の場では眠れないので、アパートを借りて、大きなベッドを買ったのか。そうではないと思う。たぶん、この1行は、「私はかつてアパートに住んでいた。熟睡できないので、なんとか熟睡したいと思い、大きなベッドを買った。それは狭い部屋には不自然に見えるほどの大きさだった。」という意味だと思う。そういう意味だと判断した上で、思うのだが、佐伯の文章には「住んでいた」(暮らしていた)という動詞が省略されている。「アパートで」を受けることばが省略されていて、それが「住んでいた」(暮らしていた)だと気がつく。
 佐伯には、この「暮らす」という動詞が抱え込む世界が希薄なのかもしれない。じっさい、先に引用した1行につづく文章は、「民」(主人公、「多美子」の「たみ」をとったものだろうか)には生活感覚が欠落していることを説明している。あるいは、普通の生活感覚を隠してしまうほど、ほかの何かに対する感覚が圧倒しているということかもしれない。
 その何か、生活感覚をまるでないもののようにさせてしまう何か、それは「男」である。しかし、それはとりあえずの対象にすぎない。本当に男に対して何かを感じ、その感覚のために、「暮らす」という感覚がおろそかになってしまっている、というのとは違う。どちらかといえば男には関心がない。こころの通いあいにも、肉体の交わりにも関心がないようである。
 では、何に関心があるのかといえば、自分自身の肉体である。それも男を傷つける肉体である。男と同時に、女自身をも傷つける肉体である。

 だいたい民には、男と交わっても快感という感覚に欠けていた。男に悪いとわざと媚態をみせてみる。媚態をみせながら、自分の体を思い描く。服の舌は骸骨であった。背骨の芯の脊髄には鉛色の針金が一本ギグシャク微妙にまがりくねりながら通っていて、腰椎にとどく。腰椎の先の骨盤にの奥には女の膣室がかくされている。膣室には、細かく砕いたガラスの粉がこかくされていたりして、ときに、小さな破片もまざっていたりして、訪れる男に激痛をあたえることがあったりする。男だけでなく、自身いたみを常にいだいたりする。姿態によっては針金が膣室を突き抜けることもある。

 「かつて」と書き始めた文章は、「かつて」よりも過去の男との交わりを描きながら、過去ではなく、突然、ここで現在の肉体の問題(現在形で描かれる問題)に変化している。この「時制」の変化に、私はとても惹かれた。「時制」の変化に佐伯の「詩」を感じた。

 最初に、私は冒頭の「かつて」が不自然である、と書いた。そのことに戻る。
 「かつて」というのは何年前のことか、読者にはわからない。作品全編をとおして読んでも手がかりは何一つとしてない。また、「かつて」こうであったのに対して、今はこうである、ということも書かれていない。ただ「かつて」がいつのことか明示されないまま、「かつて」と「かつて」より以前の過去が語られるだけである。「かつて」がいつの「時」を指すかわかるのは書いた本人だけである。
 そして、「かつて」より過去のことを描きながら、そこに突然、現在形としての肉体が登場する。「かつて」より以前の過去に、こう感じた、ではなく、今まさにこう感じるという現在形で肉体が登場する。
 「かつて」は、そして「かつて」よりもさらに過去の時間は、今、現在と隔たった場にあるのではなく、肉体として常に「今」「現在」としてここに存在している。言い換えれば、ある「時」「かつて」を思い描くたびに、今、現在の肉体の感覚となって存在する。
 「かつて」は頭のなか(文法をささえる精神)では今ではない「時」を指しているが、肉体的にはいつも「今」そのものである。「かつて」はことばにしかすぎない。
 「かつて」は佐伯の肉体を覚醒させることばなのである。
 この「時間感覚」「時間哲学」を私は、とてもおもしろいと思う。たしかに、「過去」などどこにもない。ただ「かつて」と書いてみるだけのことである。存在するのは、「かつて」ではなく、今、現在として「感じる」肉体だけである。
 そう思いながら、少し別のことも考えた。「かつて」と冒頭に書いてしまうのはたぶん佐伯が、私が指摘した「時間哲学」を真に納得していないためではないだろうか。「かつて」ということばを書かずに書き始めれば、佐伯のことばはもっと佐伯に密着したものになるのではないだろうか。なまなましい肉体をもったことばにかわるのではないだろうか。「かつて」が、どこかで肉体を遠ざけてはいないだろうか。「かつて」ということばが肉体を覚醒させたのではなるけれど、いったん覚醒したなら、「かつて」をかき消して、覚醒した肉体のことばそのまま突っ走るべきではないだろうか、とも思うのだ。


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藤維夫個人誌「SEED」

2006-07-13 13:50:25 | 詩集
 藤維夫個人誌「SEED」。魅力的な詩が5篇(あとがきを含めると6篇)。その冒頭の「いま詩というレトリックから離れられなくて」の後半、第2連。

昼はすっかり遠く退き
飛翔のなか 炎の精神を横切って
茫然とたった一つの回路を待ちわびている
空と鳥のやすらぎ
空虚な語彙のなかで
朽ちかけた窓の向うを見ているだけだ
いま詩というレトリックから離れられなくて
鳥を見て まだ迷っている
生きて死んでその真上の太陽が
いつかさらに昇ってくる日まで

 藤は詩がレトリックでできていることを自覚している。「空虚な語彙のなかで/朽ちかけた窓の向うを見ているだけだ」。「空虚な」というのはレトリックとして定式化したという意味であろう。そうした「語彙のなかで」「……を見ている」。「なかで」は媒介して、ということになるか。肉眼で見るのではなく、定式化した語彙(ことば)をとおして、つまり、定式化したことばにそってことばを動かし、そのことばの通りに世界を見つめる。それが「詩というレトリックから離れ」ない、という状態だろう。
 なぜ、藤はこういう作品を書いたのだろう。
 レトリックにしたがって世界を見れば、それが「空虚」であっても、たぶん落ち着いている。それは一種の安心である。しかし、それでいいのか。藤は、そこから抜け出したいと願っている。願っているなら、さっさとレトリックを捨てればいいのだが、それが簡単にはいかない。

鳥を見て まだ迷っている

 この行の「まだ」に詩がある。藤の苦悩がある。「迷っている」から苦悩なのではない。その状態が「まだ」と認識するしかないから苦悩なのである。「いま詩というレトリックから離れられなくて」というときの「いま」は、そして、別のことばでいえば「まだ」なのである。「いま」と「まだ」が重なる。そこに苦しみがある。
 そして、この「いま」と「まだ」の重なりにレトリックを超えた「詩」がある。レトリックを捨てた「詩」がある。つまり、ここから「詩」がはじまる。

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大橋政人「群馬の犬はかわいそうだ」

2006-07-12 13:23:51 | 詩集
 大橋政人「群馬の犬はかわいそうだ」(「ガーネット」49)。

夏の犬は
かわいそうだ

夏の
群馬の犬はかわいそうだ

散歩が好きなのに
歩き出すと
すぐハーハー言い出す
草むらに
大きな体を横倒しにして
ハーハー舌をだしている
海のある県なら
海風が入ってきて涼しいだろうに
朝の砂浜を
いっしょに走ることができただろうに

群馬県には群馬県民がいる
男の群馬県民と女の群馬県民がいる
群馬県民のいくつもの踵にぶつかりながら
ほてった群馬県の剣道の側溝の上を
生まれ故郷にいながら上の空
生気のない群馬県民の一人の男に
あちこち引き回されて

夏の犬は
かわいそうだ

夏の
群馬の犬はかわいそうだ

おまけに
夕方になれば夕立だ

恐怖の閃光と爆撃音に向かって
喉のかれるまで
気が狂ったように吠え立ててやれ

 この詩を読んでいると、本当に群馬の犬がかわいそうかどうかは、よくわからない。しかし、群馬の男、大橋政人がかわいそうになる。といっても、その「かわいそう」はたぶん大橋が群馬の犬に対してかわいそうと思う気持ちと変わらないと思う。
 犬と散歩しながら、海があったらなあ、と思っている。「朝の砂浜を/いっしょに走ることができただろうに」の「いっしょに」に大橋の「思い」を語っている。「いっしょに」と書いた瞬間、大橋と犬は、実は入れ代わっている。「いっしょに」というのは一体ということだが、一体というよりは、入れ代わりのニュアンスが強い。
 だからこそ、それに続く「群馬県には群馬県民がいる」からの7行は、人間の思考のスピードというより、まるで犬の思考のようにのろまである。(犬に失礼だろうか?)というか、ここは、真に犬の思考、犬のことばのように聞こえてくる。
 そんなふうに、犬になってしまって、犬をかわいそうと書くということは、本当は大橋自身をかわいそうと思っていることになる。
 だからこそ、最後が、何とも悲しくユーモラスである。つまり、犬の方が幸福に見えてくる。群馬の男である大橋は本当は犬のように大声で吠えてみたい。大橋は犬と入れ代わったまま、大声を出したいのである。でも人間なので、夕立、雷に向かって吠えることができない。
 夏の、海のない群馬を、犬と一緒に歩きながら、夕立を夢見ている男の、ひそかな願い、隠された欲望を見る思いがする。それがあまりにも身近すぎて、それがおかしい。
 ライト・バースの手本のような詩である。

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映画「隠された記憶」

2006-07-11 23:44:59 | 映画
監督 ミヒャエル・ハネケ 出演 ダニエル・オートゥイユ、ジュリエット・ビノシュ

 とても不気味なシーンがある。ダニエル・オートゥイユとジュリエット・ビノシュが食事をするシーンである。壁面を本が覆っている。周り中、本だらけである。本のタイトルまではわからないが実物の本である。ダニエル・オートゥイユの仕事の現場、テレビのインタビューの場面では本は偽物であるのと比較すると不気味さが際立つ。食事、あるいはくつろぎと本とは無関係のもの、相いれないものである。本にびっしりと囲まれて食事をしておいしいだろうか、楽しいだろうか。主人公の仕事柄、本が必要なら必要でいいけれど、実際の生活の場では本棚に扉をつけて本の存在を見えなくする工夫があってもいいだろう。ところが、この映画では、そうしたことがされていない。そして、ここにこの映画のテーマがある。
 人間の生活には隠しておいた方がいいものと、隠しておいてはいけないものがある。この映画は隠しておいた方がいいものをむき出しにしている。そのために不気味さが生まれている。隠しておかなければいけないものを、むき出しにしてしまうとき、事件が起きる。それがこの映画の「思想」である。

 ダニエル・オートゥイユの隠しておきたいこととは何か。子どものとき、一緒に暮らしていたアラブ系の子どもを家から追い出したことである。一緒にいたくないので、両親に嘘をついた。少年に鶏がこわいと訴えておきながら、ダニエル・オートゥイユのために少年が鶏を殺すと、逆に少年がおそろしいことをしたと両親に訴える。そして、少年がどこかへ連れ去られるのを隠れて見ていた。「行きたくない」と訴える少年の隠れて見ていた。
 隠れて見ていること、見えているのに見ていないふりをすること。これもこの映画のテーマである。
 何度も出てくる隠し撮りのビデオ。それはそのまま隠れてみていることをあらわしている。移民国家のフランス。そこで起きている人種差別。そこにはダニエル・オートゥイユの子ども時代の行動も含まれる。だからこそ、ダニエル・オートゥイユはそれを隠したい。隠したいと同時に、何とか、隠したまま別の形でそれを実現させたい。移民が嫌いだという本心を吐き出したい。その行動は、子ども時代ならまだ許せるが、大人になって、しかもテレビキャスターとなった今は、そのままでは実行できない。その矛盾の中で、ダニエル・オートゥイユがしだいに破綻していく。

 この映画での、もう一つのぞっとするような怖いシーン。ありふれているが、思わず飛び上がりそうになったシーンがある。(本棚に囲まれたシーンが静のシーンなら、こっちは動のシーンである。)それは、ダニエル・オートゥイユがインタビュー番組のテープを編集するシーンである。テープを見ながら彼は、「ここから先は視聴者には退屈だ。カットして同性愛について語るシーンにつなげよう」と指示を出す。ダニエル・オートゥイは日常的に情報を操作して他人に提供しているのである。子ども時代に一緒に暮らしていたアラブの少年が主人公を怖がらせたというのも情報操作である。ダニエル・オートゥイにとって情報操作は仕事を通り越して、彼自身の肉体にしみついた思想なのである。
 子ども時代、ダニエル・オートゥイは両親に嘘をついた。嘘の情報を提供した。アラブの少年が彼を怖がらせている、と。そして今は、妻に(あるいは彼をとりまく周囲の人に)、自分は脅迫されていると見せかける。情報操作をする。そうした情報操作が妻に対してどんな影響を与えるかなど考えない。(子ども時代も、両親がどう影響を受けるかなど考えなかっただろう。)移民に対する差別を隠しておきたいという意識があり、その隠蔽を完全なものにするために、自分自身を脅迫の犠牲者にまでしたててしまう。テープを編集するように、現実を編集してしまう。そうした不気味な日常性が、このシーンにくっきりとあらわれていた。

 こうした映像を、「隠し撮り」というテーマとも関係があるのだが、固定したカメラで、きわめて静的に積み重ねる手法は、とても効果的だ。動かない。暴力的な動きなどなにもないと見えても、本当は、それは操作された映像にすぎないのである。動かないとしたら、動けないのではなく、動きを隠すために動かないことを強調しているのである。



 監督のミヒャエル・ハネケは「ピアニスト」でも怖いシーンをとっていた。主人公のイザベル・ユペールが浴室でクリトリスに剃刀をあてる。なぜか。太股からしたたる血を母親に見せるためである。自分にはまだ月経がある。女盛りである。そう嘘をつくためである。母親は彼女のセックスの対象ではない。しかし、母親に嘘をつく。情報操作をする。母親のいいなりになって、結婚もあきらめ努力してきた。しかし、いま女の性に目覚めた。その欲望が正当であると主張するために、嘘をつく。真実を言ってもいいのに、真実だけでは信じてもらえないと思い、嘘をつく。そこに人間の深い悲しみがある。
 人生に失敗した女性の悲しみを深くえぐった監督は、今度は人生に成功した(と見られている)男の、深い欲望、隠しておきたい欲望をえぐり取ったといえる。

(付記。
この映画は「衝撃のラストシーン」が売り文句である。そのことばに従えば、たぶんこの映画の犯人(?)はダニエル・オートゥイの息子になるのだろう。ただ、そういう見方をしてしまうと、この映画は単なる「探偵映画」になってしまう。その少年の無邪気さも含め、人間の欲望の複雑さ、欲望を隠すための行動の奇怪さ、不気味さを見逃してしまうだろう。)
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魚家明子『森には雨、五月』

2006-07-11 22:33:36 | 詩集
 魚家明子『森には雨、五月』(思潮社)。「個室の眠り」の書き出しを何度も何度も読み返した。

感情がこまやかになり
ふと、誤解はふえていく
すべてを言い切ろうとするとき
齟齬、は起きる

 何が省略されているのだろうか。言いにくい何か、書き表すことのできない何かが省略されていて、省略されたまま、ことばが動いている。
 「誤解」と「齟齬」は同じことを別のことばで語ったものだろうか。そうであるなら「感情がこまやかにな」ることと、「すべてを言い切ろうとする」ことは同じことを指す。感情がこまやかになり、起きていることの細部がしっかりと見えてくる。それを一つずつことばにしていくとき、ことばに齟齬が生じる。矛盾が起きる。それが誤解か。
 感情を隠しているとき、感情を切り捨てて、他者と会い、表面的に対応するとき、誤解は生じることはない。対話にも、他者へ向けた個人のことばにも齟齬が生じることはない。--ということは、たしかにあるかもしれない。誤解、対立、齟齬を避けるために、現代人は感情をこまやかにすることも、すべてを言い切る努力をすることも省略しているかもしれない。そうした世界のありようを、魚家はこの詩では裏側(反対側)から描いているのだろう。
 感情をこまやかにすれば誤解が生じる。すべてを言い切ろうとするとき齟齬が生じる。だから感情をこまやかにする前に「わたし」という「個」に引きこもる。そうすると誤解は生まれない。すべてを言いきる前に「わたし」という「個」に引きこもる。そうするとどんな齟齬も生じない。
 そして……。

街では、突如、言葉が区切られて、
深い水脈が街の底を覆う
そして誤解はくるまれて
気持ちを、やすやすと呑み込んでゆく

気持ちは眠る

 「わたし」という「個」にとじこもれば、誤解も水に流される。「気持ち」(感情の言い換えである)もいらだつことなく、水に流されていく。気持ちは安らかに眠る。
 だが、本当か。

気持ちは眠る
が、言葉は眠りの中で起き上がる
わたしたちの個室、その限られたひろがり
区切られながら気持ちを綴ると
おだやかな風がすべてをかき消して
わたしたちはもういない

 安らかに眠ったはずである。しかし、実際にはどうなのか。実際には、言葉はかってに起き上がり、「わたしたち」を誤解、齟齬のない世界に閉じ込めただけにすぎない。そのとき、本当は「わたしたちはもういない」状態である。

そして言葉が残る。

 これはどんな言葉だろうか。「街では、突如、言葉が区切られて」というときの言葉である。「わたし」を「個」に区切ってしまった言葉である。
 そして、それは悲しい風景である。一連目の

感情がこまやかになり
ふと、誤解はふえていく
すべてを言い切ろうとするとき
齟齬、は起きる

 という世界よりもはるかに悲しい世界、絶望的な世界である。誤解に満ち、齟齬だらけの世界の方が、感情がこまやかであり、すべてをことばで言い表そうとする欲望が充満した生き生きとした世界である。
 だが、魚家は、何を言いたくて、この詩を書いたのか私にはよくわからない。「そして言葉だけが残る」という風景を悲しいと言いたいのか、そういう世界のあり方は納得できないと言いたいのか、よくわからない。魚家にもよくわからないのかもしれない。
 一連目。

感情がこまやかになり
ふと、誤解はふえていく

 この「ふと」が問題なのだと思う。魚家は「ふと」そう思ったのだろう。「ふと」思ったことを、つきつめようとはしていないように思える。きのう書いたヒューゴ・ウィリアムズとの詩の比較で言えば、「自分で考えたいんです!」というよりも、それが「感じ」のまま書かれている。
 最初に、私は、この詩には何が省略されているのだろうかと書いた。たぶん「感じがする」ということばが省略されている。「感じがする」ということばを2行目、4行目に補って読むと、魚家の書きたかったことがよくわかる。「感じ」を書きたいのだ。「思考」ではなく、「感じ」を書きたいのである。「そして言葉が残る。」と書くときも、それはことばを積み重ねてたどりついた「思考」ではなく、「感じ」なのである。

 「思想」はさまざまな形をとる。「思考」の形をとるものもあれば、「肉体」の形をとるものもある。そして魚家が書くように「感じ」の形をとるものもある。

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ヒューゴ・ウィリアムズ詩選

2006-07-10 22:02:18 | 詩集
 ヒューゴ・ウィリアムズ詩選(熊谷ユリヤ編訳)(「現代詩手帖」7月号)。5篇のみ紹介されているが、どれもおもしろい。「大人になったら」は特に刺激的だ。

神さま、ぼく、あしが悪い大人になりたいです。
自分がだれなのかも思いだせないまま、
あしをひきずって、通りを歩いてみたいです。
悪い病気にかかって、こしに手を当てて
ちょっと前かがみになって、うめいてみたいです。

 9日に取り上げた高階の作品の対極にある。ブラック・ユーモアでもライト・バースでもない。「過剰」な描写といえば、ヒューゴ・ウィリアムズも「過剰」かもしれない。具体的すぎるかもしれない。ところが、それはことばの表面上のことにすぎなくて、むしろ、もっともっと描写を読みたい、具体的に描写してほしいという気持ちがしてくる。
 なぜだろうか。

もしも小さな男の子が道をたずねたらその子の
あしの間を触ろうと手を伸ばしてみたいです。
ぼくって、イヤラシイ年よりになるんでしょうか!
そんなヤツは、どんな目に会わせればいいですか?

 「ぼくって、イヤラシイ年よりになるんでしょうか!」に批評がある。自己批判がある。高階の作品においては、母親と子どもは一心同体だった。母親の行動は、そのまま子どもの行動だった。ところが、ヒューゴ・ウィリアムズの作品では「大人」と「ぼく」は重なり合わない。彼が書いている「大人」には絶対になれない、彼と「大人」の間には偉大なる「欠落」がある、ということをヒューゴ・ウィリアムズは知っている。
 自分は、ここに書いている「大人」にはなれない。そうしたことを知っていて、「あしの悪い大人」「イヤラシイ大人」を描く。これは、差別だろうか。こうしたことを書くことは差別を助長することになるだろうか。「あしが悪い」大人は「悪い病気」にかかっていて、「イヤラシイ」ことをする、というふうに、足の悪い人を差別することになるだろうか。
 けっしてそうはならないだろう。
 ヒューゴ・ウィリアムズは彼とは絶対に重ならない「大人」が、重なり合わない理由として「大人」自身の命を持っていることを知っているからだ。「ぼく」と「大人」はそれぞれ命を持っている。独自の絶対的な命を持っているからこそ「他者」なのである。他者はけっして重なり合わない。それは違いがあるから重なり合わないのではなく、対等だから重なる必要がない。補いあうものがない。補いあう必要がない。だからこそ、「違い」を「違い」として認識できる。
 ヒューゴ・ウィリアムズはこの作品に書かれている「大人=他者」にはなれない。なれないと認識しながら「なりたい」と書く。ここには矛盾がある。そして矛盾のあるところには必ず「思想」がある。その「思想」とは……。

大人になったら、細い金ぞくのぼうをペニスに
差し込まれたいです。なぜそんな目に合うのか、
だれも教えてくれないんです。どうしてなのかは、
自分で考えたいんです!

 「自分で考えたい」。ここに、この詩の主張があり、思想がある。自分のことばで書く、自分のことばで考える。「自分のことば」で考えたことが「思想」なのである。



 高階の「金魚の昼寝」には、次の文があった。

 まっ白な画用紙に赤い金魚がひとついる絵ができました。それだけでは少しさみしいので、頭の下に枕を描いてあげました。お母さんは、やさしいね、と頭をなでてくれました。

 「さみしい」「やさしい」。それは考えたことではない。感じたことだ。高階のことばが「感じた」ことを書いているなら、感情を思想にしているのなら、ヒューゴ・ウィリアムズは考えたことを書いている、考えたことを思想にしようと勤めているといえるかもしれない。
 しかし、こうした私の文章には反論があるだろうと思う。ヒューゴ・ウィリアムズも「感じる」ことを重視している、と。そしてその具体例として、たとえば「祈り」の次の行をあげるだろう。

もうひとつの人生が楽しいものだったか、
苦しいものだったのか。自分がどう感じるかを、
神よ、誰よりもあなたに教えてほしいのです。

 「楽しい」「苦しい」「どう感じるか」。そこにあるのは「感情」ではないか。それはたしかに感情である。しかし、それにつづけてヒューゴ・ウィリアムズはそうしたことを「神よ、誰よりもあなたに教えてほしい」と訴えかける。
 私はヒューゴ・ウィリアムズの信仰心を知らない。彼がどう考え、どう感じているのか知らない。しかし、この行から受ける印象を言えば、彼は神に呼びかける形を借りて、自分自身に問いかけているとしか見えない。神はけっして答えない。自分で、自分のことばを探し、それに答えを出すしかない。答えを「感じる」のではなく、「誰も教えてくれない」(神も教えてくれない)から、考えるしかないのだ。
 神がもし存在するとしたら、それは絶対的な「他者」だろう。神以外にも絶対的な他者は存在する。それは自分自身も誰かにとっては絶対的他者であるということでもある。絶対的他者であるということは、どういうことなのか。それを考える。それがヒューゴ・ウィリアムズの「思想」だ。

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映画「ミッション・インポシブル・Ⅲ」は見ると損をする。

2006-07-09 23:15:30 | 詩集
監督 J・J・エイブラムス 出演 トム・クルーズ フリップ・シーモア・ホフマン

 これはいったい何なのだろうか。単なるアクション映画? それとも「危険信号ゲーム」?(例が古すぎたかなあ。) 覚えているは24時間以内だとか、あと何分、あと何秒といったやりとりだけ。なんだか不可能な任務のために仕事をしているのではなく、決められた時間内に仕事をこなしているだけ、という気がしないでもないなあ。
 途中に出てくる(あるいは、全編を覆う?)トム・クルーズの恋愛ごっこも白けるなあ。スパイの恋愛といえば敵の女との恋愛じゃなくてはおもしろくない。任務か愛か、あるいはセックスの愉悦か。そこに人間性が出てくるのに、家庭を守るために(愛する妻のために)戦うというのではな、ミッション・インポッシブルとういよりも、インポ男の「愛しているんだよ」告白ごっこのよう。
 つまんないですねえ。
 トム・クルーズが一生懸命アクションしているのだけれど、どうせ実現するんでしょ? できないことは何一つないんでしょ? という印象が先に立って、ぜんぜんはらはらどきどきしない。これというのも敵との人間関係というか、心理戦みたいなものが何もなく、ひたすらトム・クルーズの「妻を愛している」ののろけが出で来るからだねえ。おおい、フリップ・シーモア・カウフマン、何をやっているんだあ。こんなことじゃアカデミー賞は取れんぞ、と『カポーティー』を見る前なら思ったかもしれない。
 予告編だけで満足すべき映画です。本編は見ると損をします。
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高階杞一「金魚の昼寝」

2006-07-09 22:42:15 | 詩集
 高階杞一「金魚の昼寝」(「ガーネット」49)。夏休みの宿題の絵が描けない子どもがいる。何を描いていいかわからない。母親が金魚にしたら、という。ところが、うまく描けない。

「やっぱり無理や」
「どうして」
「動いていて描きにくい」
「しゃあない子やなあ」
 縫い物の手をとめ、腰を浮かせると、お母さんは鉢に手を入れ、赤いデメキンをつかまえて、お膳の上に置いてくれました。金魚はぱたぱたとはねて、水をまき散らしていましたが、やがて動かなくなりました。
「よく観察して描くんやで」
「うん」
 まっ白な画用紙に赤い金魚がひとついる絵ができました。それだけでは少しさみしいので、頭の下に枕を描いてあげました。お母さんは、やさしいね、と頭をなでてくれました。

 この絵にこどもは「金魚の昼寝」というタイトルをつけて夏休みの宿題として提出する。ブラック・ユーモアとライト・バースの組み合わせ、と言ってしまうのは簡単である。生命感覚の欠如という現代の風潮をここから読み取ることもできる。それはそうなのだが、そうしたことを指摘してしまうと、この詩は、本当は怖くなくなる。
 私が怖いと感じるのは、「縫い物の手をとめ……お膳の上に置いてくれました。」という文章である。ことばの動きである。その描写の過剰な丁寧さである。生命感覚の欠如ではなく、感覚の異常な過剰さである。
 「手を止め」「腰を浮かせ」「手を入れ」「つかまえ」「置いてくれました」。
 本当にこれだけの描写が必要だろうか。
 「デメキンをつかまえ、お膳の上に置いてくれました。」だけで生命感覚の欠如は十分にあらわすことができる。そうしなかったのは、高階がそういうものを問題にしていないからである。この描写の過剰さは、母親と子どもがぴったり重なり合っていることを証明している。子どもは、母親の一挙手一投足を、自分の肉体の動きのように描写している。そこが「異常」である。ここに描かれている母親と子どもは別個の存在ではなく、ひとりの人間であるといえるくらいに、過剰に精神(こころ)と肉体が結びついている。一体になっている。
 金魚が動いて描きにくい。動かなければ描きやすい。その認識(精神の運動)が母と子どもの間で共有されているからこそ、母親は子どものかわりに金魚を水槽から取り出し、お膳の上に置く。それがどんな結果を引き起こすかは、過剰な肉体と精神の一体感のうちに消えてしまう。見えなくなる。肉体と精神の一体という至福が、自分たち以外の存在を見えなくさせているのだ。
 この過剰さは、金魚に枕を描いてやること、その行為を「やさしい」と評価し、頭を名手るという行動の過剰さによって、いっそう拡大する。金魚さえも、母親、子どもの肉体、感情と一体になってしまう。(少なくとも、子どもにとっては、そういう状況になってしまう。)
 問題なのは、何かが「欠落」していることではなく(たとえば生命感覚が欠落していることではなく)、肉体と精神の一体感を求めすぎていること、そして過剰に実現しすぎていることなのだ。母親と子ども、さらには金魚との間には、絶対的に結びつかない「欠落」が、あるいは「断絶」があるはずである。三者の間に「欠落」「断絶」があってこそ、三者は三者として存在しうる。そうしたものが、ここにはない。かわりに、過剰な結びつき、過剰な思い入れがある。
 何かが欠落していて存在が壊れるのではない。何かが過剰になって、存在が、その内部から破壊してしまう。それが現代かもしれない。

 夏休みの絵が描けない。だったら描かないでいいじゃない。先生に叱られる。だったら叱られればいいじゃないか。できないことの代償として叱られる。それで十分なはずである。何かが欠落しているのではなく、欠落していてはだめなのだという思いが過剰に存在している。それが人間を破壊している--そんなふうに高階は考えているのかもしれない、と今回の作品を読みながら考えた。

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倉橋健一「パンの精」

2006-07-08 14:35:19 | 詩集
 倉橋健一「パンの精」(「火牛」第五十七冊)。不思議な詩である。そして、不思議に怖い。

砂浜に降りていってしゃがみ込んで
〈曾(ひい)〉の字を書いて遊んでいたら
椿の棒をついた媼が近づいて
おまえのひばばだよ、ひばばだよ、
ついて来な という
もぐもぐする口元は
よく生きていたな、生きていたな、
といっているようにも見える
そこで私は立ち上がるが
おばばの胸あたりでぴたり とまってしまった
背伸びをしても伸びないのだ

 「書く」という行為は何かを呼び出す行為である。「ことば」を発するという行為は何かを呼び出す行為である。これはしばしばいわれることである。実際、だれもが書くこと、ことばを発することで、今、ここにないもの(存在しないもの)を呼び出し、何らかの対話をするのだと思う。
 「曾」の文字を書いたら、曾祖母があらわれた、までは、なんとなく自然な成り行きに感じられる。しかし、次が怖い。

もぐもぐする口元は
よく生きていたな、生きていたな、
といっているようにも見える

 「よく生きていたな、生きていたな」は誰のことばだろうか。曾祖母のことばだろうか。そうであるなら、論理的には不自然である。子どもが曾祖母に対していうのなら、人間の寿命からいってありうることだが、老人が子どもに対して「よく生きていたな」というのは、特別な事情がないかぎり、不自然である。
 「いっているようにも見える」が重要なのだと思う。「ようにも見える」というのは、倉橋のこころの動き、精神の動きである。「ようにも見える」ということは、実際は、そんなことは言っていない(そんなことばは聞こえない)ということである。
 ということは、「よく生きていたな、生きていたな、」とは実は倉橋自身のことばである。声である。「よく(曾祖母は)生きていたな、生きていたな」と倉橋は思わずこころのなかで呟くが、それがそのまま自分の声ではなく、他者(曾祖母)の声になる。自他の区別がなくなる。
 ここでは倉橋は積極的に正常な世界から逸脱していくのである。自分の精神でそれを選択して正常な世界から逸脱する。つまり、実際には曾祖母はいないにもかかわらず、いるかのように行動する。「よく生きていたな」と言っていないにもかかわらず、言っているかのように(聞こえたかのように)行動する。こころを、そういうふうにしむける。

 「ように」が、この作品のテーマだと思う。「ように」が怖いのは、実際は、そうではないからである。現実は、「ように」とは違っている。にもかかわらず、「ように」をこころは選び取る。

 いったん「ように」という世界を選択したために、倉橋は、現実から逸脱し、非現実から戻ってくることができない。身長も、子ども時代のものに戻ってしまう。
 その世界で、倉橋は、曾祖母が作ってくれたパンを食べる。自分の形をしたパンを食べるはめになる。子どもの論理、というか、子どものことばの世界が倉橋を、そんなふうにしむける。子どもにとって、ことばと現実は一体となっている。ことばが現実とは違っているということはありえない。「ように」は子どもにとっては、そっくりそのまま現実であり、差異はない。「嘘」はありえない。曾祖母が「おまえを象(かた)どったそっくりパンを焼いてやる」といえば、出てくるのは「そっくりパン」以外の何ものでもない。ことばを信じる純真な精神が、倉橋を非現実の世界に閉じ込めてしまう。
 私たちは、知らず知らず無意識のうちに、ことばが「嘘」であることを学び、「非現実」からのがれる術も無意識に獲得する。しかし、子どもはそうすることができない。その思い出が、ここに描かれている。

私が私のかたちを食べる戦慄!
は 目前だ

 ことばを信じる。ことばにすれば、それが現実になる。それは、自分で自分の意識(自分そっくりのもの)を「食べる」ことにつながるかもしれない。これは、ある意味では、冷静な自己客観化であり、自己批判かもしれない。
 だが、そうした頭で考えた何かではなく、体が反応してしまう怖さがこの詩にある。結末部分に、自己批判とか自己客観化というものではないものを感じてしまう。怖さを感じてしまう。それは純粋さの恐怖である。純粋なものは、怖い。
 たぶん、それは「ように」の世界を知ってしまった人間の悲しみ、苦悩があるということなのだと思う。「ように」の力を知ってしまったら、もうことばが連れて行く世界へ行ってしまうしかないのである。そこで生活するしかないのである。そこで、喜びも恐怖も味わうしかないのである。
 詩人であることからのがれることはできない。



 北川有理「かげふみ」(「火牛」第五十七冊)は、やはり子どもとことばが主題になっているが、こちらは怖くない。「多少の技術と若干の邪気がいる」「反芻はついに反省と出会わない」など、ことば遊びが繰り返されるが、それが「影踏み」という肉体の運動と重ならないからだと思う。ことばが頭のなかで選ばれたものだからにすぎないからだと思う。

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辻井喬「どこへ」

2006-07-07 13:51:17 | 詩集
 辻井喬「どこへ」(「火牛」第五十七冊)は難解な詩である。どこに辻井の「思想」があるのかわからない。そこに書かれていることが、辻井の思想なのか、それとも「現在」の思想、つまり辻井が現在の思想はこのようなものであると判断しているのか、その区別が私にはつきかねる。

いい方へか悪い方へか分からないが
そして意味があるのかどうかも不確かだが
世の中はあちこちへ動いている
そう知っていても僕にはすることがない
にんげんは月に行くことはできても
歴史の外に出ることは不可能

 「にんげんは(略)/歴史の外に出ることは不可能」というのは辻井の繰り返し書いてきた思想だと思う。歴史の外へ出ることはできないから歴史を書く。それが辻井のことばの基本的なあり方だと思う。そして、こうした考え方は辻井独特のものではなく、何人もの人が言っていることだとも思う。人間存在は歴史的存在である、と。とりわけ難解な思想ではないのかもしれないが、この詩のなかでは、とても難解である。この詩には、た人が(読者が)一読してわかる歴史がないからではない。(もちろん、それもある。「歴史」がこの詩のなかで定義されていなから、そのことばの意味が不明確である、という部分もある。)そうではなく、「歴史の外に出ることは不可能」ということばが肉体を持っていないからである。肉体を感じさせないことばだからである。
 きのう書いた小松弘愛の「ひせくる」と比較するとわかりやすい。「ひせくる」は肉体で共有するしかないことばであった。何とも形容のしようのない痛み、自分ではどうすることもできない痛み、誰かに大丈夫だよ、治るよとでも言ってもらわないことには安心できないような痛みと、そのときの泣き叫び。それを理解するのは、肉体の記憶である。肉体である。
 ところが「歴史の外に出ることは不可能」ということばは肉体では理解できない。頭でしか理解できない。そこには肉体が除去され、頭だけが純粋に存在している。こういうことばは数学的な詩にはぴったりくるだろうけれど、そこに書かれているものが数学的言語ではなく、肉体的な言語である場合は、うまくかみあわない。「歴史の外に出ることは不可能」ということばが、この詩に書かれている塵芥、潮の満ち引きによって漂う塵芥のように漂って見えてしまう。
 河口の塵芥が辻井の思惑、肉体とは無関係の法則で漂うように、まるでここに書かれていることがらとは無関係に漂って見えてしまう。

 そして、「歴史の外に出ることは不可能」ということばが、この詩では他の行とは無関係であると気がついたときに、ふいに、これこそが辻井の思想なのだと私に迫ってくるように感じた。
 これは矛盾だろうか。たぶん矛盾だ。だからこそ、そこに何かがある。簡単なことばではつかみとれないもの、表面的ではないもの、肉体のように「内部」を隠したものがあると感じ、その内部が迫ってくるのを感じる。

考えてみれば満ちてくるものがないのは
いいことなのだ 心安いことなのだ
だから僕は面倒な本は読まない
娯楽番組以外のテレビは観ない
いまのような時代には思想をもたないこと

 ここに書かれている「思想」とは、やはり頭でつくりだされたことばの体系、人間の行動を律していくようなものであろう。人間の行動を導く指針のようなことばを指しているのだろう。しかし、思想は、たとえばプラトンやカント、ハイデガーのことばだけではない。「考えてみれば満ちてくるものがないのは/いいことなのだ 心安いことなのだ/だから僕は面倒な本は読まない/娯楽番組以外のテレビは観ない」こそ肉体にしみついた思想というものだろう。こうしたことばは人間をどこかへ導いては行かない。というか、そのことばを実践すれば、人間が、社会が、世界がどうなふうに幸福になるかというような展望をもたらしてはくれない。
 辻井から見れば、現在は、そういう人間でいっぱいということなのだろう。辻井は、しかし、そういう人間として生きることはできない。そんなふうにして生きている人間に託して「僕」を描いて見せるが、それでは満足できない。

努力せずにいつの間にかそうなれたのは
たぶん両親の背中を見ていたからだ
けっして自分の頭で考えることをせず
つねに大勢に順応して多数の側につき
無事に定年まで勤めあげた模範的な一生
その時々には不満も口惜しさもあったろうに
そう思った時 意外にも胸に満ちてきたのは
深く親に感謝する気持
民主的な家庭を作っていくこころざし
さて これから僕はどこへ行こうか

 「さて これから僕はどこへ行こうか」。最後のこの行こそが、辻井の肉体にしみついた思想、肉体が発する思想である。「深く親に感謝する気持」と書きながら、親の生きた生活の場ではなく、「どこへ行こうか」と書いてしまうところに辻井の思想がある。
 このとき「どこへ」は場所を指さない。「月」だとか火という宇宙ではもちろんないし、新宿だとか渋谷だとかという具体的な街でもない。足手歩いて行ける場所ではない。肉体を移動させることで「行った」と言えるような場所ではない。
 「にんげんは/歴史の外に出ることは不可能」ということばが導く「場」である。「歴史」である。どんな「歴史」をつくり、どんな「歴史」を次の時代に引き渡すか。「どこへ」は場所ではなく、どんな行動へと言い換えないことには理解できない。
 どんな行動へと考えるとき、そして、そこにはじめて肉体が登場する。どんな行動も肉体抜きではありえない。肉体を動かし、他者に触れ合う。そして自分の動きを修正する。そのとき、辻井が起こそうとしている行動は、この詩に書かれているような、たとえば「僕は面倒な本は読まない/娯楽番組以外のテレビは観ない」ではない。親の生き方とも違う。もしそうであるなら、「どこへ」とは書かない。そういう行動があることを知っていて、そこへではなく「どこへ」と書く。「僕は面倒な本は読まない/娯楽番組以外のテレビは観ない」への批判として「どこへ」と書く。
 だが、「どこへ」なのか。どんな行動なのか。批判としてしか書かれていない。抽象的である。難解なのはそのためである。ある意味では、難解であることが、辻井の思想そのものといえるかもしれない。今まで見てきた肉体の思想から肉体を引き剥がす、今までの肉体の思想とは違ったものを目指す、平易にはならないこと、それが辻井の肉体としての思想かもしれない。
コメント (3)
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小松弘愛「ひせくる」、粒来哲蔵「五右衛門偽伝」

2006-07-06 23:49:03 | 詩集
 小松弘愛「ひせくる」(「火牛」第五十七冊)。小松は、昨日取り上げた山田と同様、自分が育った土地のことばにこだわっている。

台東区根岸二丁目五-十一
「子規庵」
糸瓜のぶらさがる庭が見える座敷に立つ

 「絶叫。号泣。益々絶叫する。益々号泣する。その苦しみそ
 の痛み何とも形容することはできない」(『病牀六尺』)

晩年の
脊椎カリエスからくる激痛の記録

わたしが『病牀六尺』に触れたのは三十代だったか
そのとき 思った
子規は
毎日「ひせくり」ながらものを書いていたのだ


 「ひせくる」は土佐方言。標準語では「泣き叫ぶ、号泣」。
 なぜ、小松は、子規を読んで「ひせくる」と思ったのか。子規が四国・松山の出身だからか。それだけではないと思う。(松山の方言で「号泣」を何というか私は知らない。)子規の「何とも形容することのできない」ということばが、小松の体の奥から「ひせくる」をひっぱりだしたのだと思う。
 方言は、もともと「何とも形容することはできない」ニュアンスを持っている。標準語では説明できないニュアンスを持っている。
 子規が「絶叫。号泣。」と書いていたから小松は「ひせくる」を思い出したのではない。そのときの痛みを「何とも形容することはできない」と書いていたから、「ひせくる」を思い出したのだ。人にはそれぞれ形容できない痛みの体験があるだろう。そして泣き叫んだ体験もあるだろう。そのときの痛みを何と呼べばいいのか。思い出すのは、たぶん、その痛みで泣き叫んだとき、誰かがなぐさめ、手当てしてくれた記憶であろう。
 「そんなに泣き叫ぶな」
 土佐方言で何というのだろう。「そんなに、ひせくるな」だろうか。
 小松は幼いとき、「えがま」で指を切った。泣き叫んだ。それを祖母が昔ながらの方法で手当てしてくれた。「そんなに、ひせくるな。こうすれば大丈夫」と。そのときの「痛み」。同時に、それを手当てしてくれる祖母の存在。そうしたものを含めて「ひせくる」ということばがある。単に泣き叫ぶではない何かがある。人と人を結びつける何か、何とも形容のしようがないものが、そこにはある。
 「親身」ということかもしれない。「ひせくる」というとき、その痛みを「親身」に感じる人がいるのだ。祖母は幼い小松の痛みを「親身」に感じ、「ひせくるな」と言いながら、手当てをする。それと同じように、小松は、『病牀六尺』を読みながら、子規の痛みを親身に感じたのだろう。だから「ひせくる」ということばが肉体の奥から沸き上がってきた。「絶叫。号泣。」ということばで感じる以上の共感がそこにはある。
 そのときの共感は、指を切ったとき、ひせくったかどうか、「記憶があいまい」であるのと同じように、今はあいまいかもしれない。しかし、何かが残っている。共感した何か、形容しがたい何かが残っている。だから、小松は、子規庵を訪ねた。
 「何とも形容することはできない」何か。そういうものが、いつも、どこかにある。それは幼いとき、意味もわからず聞いたことば、肉体で覚え込んだことばのなかに生きていることもある。そして、そこには生きている人間のあたたかな触れ合いがある。ひとりではなく、誰かと触れ合って、そのなかでつかみ取ったことばのあたたかさ、確認したことばのあたたかさ。そうした場に踏みとどまり、そうした場を今に呼び戻そうとする小松を感じる。



 同じ詩誌の粒来哲蔵「五右衛門偽伝」は傑作である。石川五右衛門を描いている。漢文体のリズムが、感情(情緒)を排除していて、とてもおかしい。漢字とカタカナの交じり書きを引用するのがとてもややこしいので、引用しやすいところを引用する。(本当はもっと楽しいことろがあるのだが、それは作品に直接あたってください。)

 平常獰猛ナルモ、ソノクセ蟻ンコノ仄歩ヲ踏マズ、蚤(ノミ)、虱(シラミ)ヲ養イ、誤ッテヒネリ潰スヤ終日涕泣。臍ノ上デ小サキ葬イヲ出ス。坊主来ラズ。

 「坊主来ラズ。」がすばらしい。「臍ノ上デ小サキ葬イ」は「嘘」というと語弊があるかもしれないが、一種の「嘘」である。その「嘘」を「坊主来ラズ。」という事実が本物に変えてしまう。こういうスピード感ある展開の妙は漢文体にしかないかもしれない。
 5段落目の末尾「捕方去ッテ褌乾ク。」6段落目の末尾「没年不詳也。」(谷内注、没は原文は旧字体)感情が入り込むのを拒絶した断定が、非常にすがすがしい。笑いとは、何よりもスピード感覚が必要なのだと教えられた。

コメント
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