詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

松原牧子「追廻町」

2006-07-15 16:15:59 | 詩集
 松原牧子「追廻町」(「カラ」1)にも過去と肉体が出てくる。佐伯とはずいぶん印象が違う。肉体を制御するものとして精神がある、という感じだ。

 記憶は不思議だ。なぜそれを覚えているのか。理由はあるのだろうが、すべてがわかるわけではない。わかるのは、記憶した、記憶として持ち続けている、それが私だ、ということだ。

 「我思う、ゆえに我あり」ではなく「我記憶する、ゆえに我あり」というのが松原の「思想」である。「すべてがわかるわけではない」と書いてはいるが、すべてをわかりたい、記憶を完璧にしたい、というのが松原の願いである。
 作品のなかで、松原は50年前に住んでいた秋田県「追廻町」の「我が家」を探す。(実際に町にたどりついてではなく、まず地図で「我が家」探し出そうとする。とてもおもしろい部分がある。

家を出て左にゆくと寺に行きあたる。その寺を抜けて川へ遊びに行った。家を出て右、石屋の角を左、理髪店のところで右、しばらくまっすぐ行って左に入ってゆくと築山小学校。子どもの足で二十分近くかかった気がする。築山小学校は今でも地図にあり、学校から逆にたどってみようとするがうまくいかない。

 方向をあらわす「右」「左」がとても肉体的である。北へ、南へ、あるいは東へ西へとは松原は「記憶」しない。東西南北は肉体では記憶できない。(か、どうかは私は考えたことがないが、松原は東西南北を肉体で判断しない。--私はときどき空を見て、光のあり方で方角を確認するけれど、たぶん松原はそういうことをしないのだと思う。あくまで視線を肉体の、延長の方向に限定する。右、左は右手左手であり、右足左足である。)
 記憶が肉体の延長に、あまりにも密着しているために、それを逆にたどることは難しい。右の反対が左ではない。左の反対が右ではない。あくまで右手の方向へ動くとき、そこに右があらわれてくるのである。同じ通りでも逆に歩けば違って見えて、同じ通りと気づかないということは不慣れな土地ではありうる。肉体の記憶は逆にはたどれないのである。「頭脳」が記憶しているのではなく、肉体が何かを記憶している。肉眼そのものが何かを記憶している。たしかにそうだとは思う。
 だが、そう思いながらも、私は、とてもびっくりしてしまうのだ。こんなに克明に右、左と家から学校までの道順を覚えているなら、逆に学校から家までの帰り道の道順も覚えているはずではないのか。なぜ、学校の門を出て……と思い出せないのか。学校へ行くのが日常なら、家へ戻るのも日常である。その道順をたどってみて家へたどりつけないというのなら、たぶん街並みが変わった、建物が変わった、道そのものが変わったという理由に行き着くだろうが、これは奇妙としかいいようがない。なぜ、家から学校までの道順を思い出し、それを逆にたどろうとするのか。なぜ学校から家までの道順を思い出し、それをたどろうとしないのか。
 私は、ここに作品の「嘘」を感じてしまう。作為を感じてしまう。
 作品のなかで、松原は『日本地名大辞典』を引っ張りだし、「追廻町」が「楢山登町」に変わったことを知り、家の二階からガスタンクが見えたことを思い出し、ガスタンクの一からだいたいの見当を「追廻町」の見当をつけ、寺を見つける。

寺は玄心寺だ。地図上、小学校までの道をたどる。覚えていた通りの道で学校に行き着く。

 それから古い地図を見つけ、確認する。

まちがいない。今に至るまでほとんど道筋に変化がない。

 これが事実であるなら、と私はふたたび思うのだ。なぜ、松原は学校から家へ帰る道順を思い出さなかったのか。道筋に変わりがないなら、学校からの帰り道を思い出すことで「我が家」へ帰ることができただろう、と思わずにいられない。
 右、左と書きながらも、松原には肉体の感覚がそれほど強くないのかもしれない。本当に肉体で記憶していないのかもしれない。肉眼で記憶していることは少ないのかもしれない。あくまで「記憶する、ゆえに我あり」という「頭」のなかの世界にしか「私」はいないのかもしれない。記憶が私だ、という言い方自体、すでに肉体を離れた考え方であると私には思える。松原にとって、肉体よりも精神の方が上位にある、人間は肉体と精神のふたつでできており、それを制御するのは精神(記憶)である、ということだろう。

 もし、この作品に、作為や「嘘」がないのだとしたら、松原には学校から家へは帰りたくないような何かがあったということかもしれない。家をのがれ学校へ行くのは楽しかったが、逆はいやだったということかもしれない。作品のなかに

当時高校一年生だった姉にも聞いてみるがわからない。この姉は二年になる時東京に出てしまったのでよけい、追廻町の名さえ覚えていなかった。

という文章が出てくる。作品に従えば、松原は三年半秋田(追廻町)に住んでいる。姉の年齢でいえば中学一年から高校一年にかけてである。そうした年代にすごした町の名前さえ思い出せない(思い出したくない)何か、松原たちが仙台へ引っ越したのに、姉は東京へ出ていかざるを得ない何かがあったということだろうか。その何かが、今となってはなつかしく「我が家」へ行ってみたいということなのだろうか。「我が家」の何かを記憶している、その記憶が私だ、というのが本当は書きたいことなのかもしれない。
 詩を離れて、ちょっと推理小説の冒頭か何かを読み始めたような、奇妙な気持ちにもなった。
コメント
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