詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ファティ・アキン監督「愛より強く」

2006-07-31 22:30:06 | 映画
 ファティ・アキン監督 出演 シベル・キケリ、ピロル・ユーネル

 トルコの音楽が「章」の幕間に流れる。海峡をバックに男6人の楽団が演奏し、女性歌手が歌う。非常に魅力的である。
 トルコの歌については何も知らない。この映画でつかわれる歌の歌詞には繰り返しが多い。その繰り返しが、まるで自分で言ったことを確認するために自分で繰り返すことばのように聞こえる。相手がその歌を受け止めるというより、ただひとり、自分自身のために歌っているように切なく聞こえる。
 愛のことばは相手に届くとき美しいが、自分自身で繰り返すしかないとき、悲しみにかわる。
 愛していると気がついたとき、相手は手の届かないところにいる。いや、手は届く。セックスさえする。しかし一緒に暮らすことができない。こころは、一緒に暮らした時間のなかにいつまでも彷徨っている。そして、互いのこころをまさぐっている。なぜ、傷つけあったのか、わからないまま、愛が、こころだけが悲しくふるえている。そのふるえそのものがメランコリックなトルコの歌になっている。
 このとき悲しさとは愛なのだということがわかる。悲しみは愛となってこころに残る。

 映像は、そのメランコリックな歌とは対照的にとてもリアルである。生々しい。血と傷にまみれる肉体。暴力的なセックス。肉体が、そうしたものを求めてしまう。酒があり、ドラッグがあり、暴力がある。肉体が、そうしたものを求めてしまう。理由はわからない。どうしようもなく肉体の欲望にひきずりまわされながら、こころがだんだんやわらかくなっていく。こころが傷つきやすくなっていく。その変化が、とても丁寧に映像化されている。
 主役の二人の目の色がいい。シベル・ケキリのしなやかな肉体もいい。弱いものだけが強いという矛盾した思いがふっと沸いてくる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

甲田四郎『くらやみ坂』

2006-07-31 21:49:56 | 詩集
 甲田四郎『くらやみ坂』(ワニ・プロダクション)。
 冒頭の「身重坂」に不思議なことばがある。「二重に」。ありふれているだけに、不思議である。不可解である。

日盛りをピンクのマタニティが下りてくる
片手日傘をさしていちめん汗の照り返し
片手明日はちきれそうなおなかを撫でながら
泣いているような微笑みで
目をはるか虚空に向けている
七十年前の母のアサの姿だと思う
三十五年前の女房のタエコ
六年前の娘のミホ
明日というものが途切れずに来るなら
二十年後の孫のユリでもあるにちがいない
身重の坂を下りてくる
女が途切れれば二重に途切れる明日があるのは
言うまでもないことだ
私は明日途切れなかった方の子供である

 「二重に」の「二」はが何と何を指すのか。それがすぐにはわからない。そのため13行目が非常に理解しにくい。
 「女が途切れれば」とは、その前の行「身重の坂を下りてくる」を受けて、女が妊娠しなければという意味だろうか。女が妊娠しなければ子供が生まれるということはない。そして子供には「男と女」がある。「二重」とは「女と男」ということであり、「二」とは「男」と「女」であるのだろう。
 女が途切れればとは女が妊娠しなければ、男の子供も女の子供も存在しない、男の子供にとっても、女の子供にとっても、つまり「二重」の意味で明日はない、ということだろうか。「明日はない」というべきところを「途切れる明日がある」と言ったために意味が複雑になっているのだろうか。

 「二重」については、あとでもう一度触れることにして、もうひとつの不思議な(ありふれた)ことばについて書いておく。

 「途切れず」「途切れる」は甲田にとってはとても重要なことばであることが、この書き出しからわかる。ここには甲田自身にはわかりきっているために説明を省略した何かがあるのだ。そのために「意味」がわかりづらくなっているのである。
 「途切れず」(あるいは「途切れる」)が最初につかわれている行に戻って読み返してみる。

明日というものが途切れずに来るなら

 なぜ甲田はこんな書き方をしたのだろうか。
 今日が終われば明日である。それは人間の営みとは関係がないはずである、と私は考える。
 しかし、甲田はそうは考えないのだろう。今日という日に対して何かをしなければ明日はこない。途切れてしまう。物理的な時間はたしかに私が考えるようにつづくだろうが、そういう物理的な時間は甲田にとっては「明日」ではないのだろう。
 「明日」とは甲田にとって何だろうか。「七十年前の母のアサの姿だと思う/三十五年前の女房のタエコ/六年前の娘のミホ」という行のなかにある「…年前」こそが「明日」をつくっている。過去が現在をとおり未来とつながったとき「明日」になる。過去なくしては「明日」はない、ということだ。
 甲田にとっては「現在(今日)」というのは、過去(昨日)を「明日」へと途切れずにつなぐ一日である。人間がそういう一日の営みをしないことには「明日」は途切れてしまうのだ。セックスも含めて、一日の営みをないがしろにしない、というのは、「今日」という日が「過去」から渡されたものであり、引き継がなければならないものであると強く意識して生きる--それが甲田の生き方だ。
 そのための心得として、たとえば「我慢」がある。「繰り返し」がある。それは「毎日」のことである。数えたわけではないが(数えると本当は少ないかもしれないが)、「我慢」「繰り返し」「毎日」ということばが印象に残る詩集である。日々の営みを我慢して繰り返し、昨日から引き継いだものを明日へ引き渡す、その引き渡しの営みを途切れさせない、それが「暮らし」というものである。

 とはいっても、そういうことは簡単ではない。なぜか。ここに「二重に」の「二」の意味がふたたび問題になる。「二」は単に一と一がいっしょになった状態ではない。「二」は「多」の始まりである。
 「身重坂」の「二重に」の「二」は「男と女」であったが、暮らしの中で男(甲田)はひとりの女とだけ向き合って存在しているわけではない。多くの人間と向き合って生きている。その「多く」が「二」からはじまっている。
 「身重坂」に戻っていえば、2連目、身重の女は赤ん坊の名前を考えている。その名前に対して甲田は異議を唱えている。「ヤマト」「サクラ」から戦争を思い出している。3連目で女は、そうした甲田の思いを笑い飛ばしている。「二重に」の「二」はかならずしも重なり合わない。「多重に」というときはなおさら重なり合わない。だからこそ、甲田は自分の思いを書く。「多重に」が「一重に」ならないように、政治に対して、社会に対して異議を唱える。同時に、甲田自身を「多」にかえる。甲田自身を「多重に」広げる。たとえば実印を持っているかとたずねる男に、痛いよ痛いよとわめくシンジョウおばさんに、そのおばさんをなだめるツルサカさんに。あるいは父に、妻に、お菓子を買うお客さんに……。だれもが皆、過去をひきつぎ(いつの時代にもある感情をひきつぎ)、今日を我慢し(今日という日に、過去の人がしたであろう営みを繰り返し)、明日へと人間の感情を引き継いでいこうとしている。喜びも悲しみも、たぶん憎しみも。それが「一重」を狙っている政治(権力)に抵抗する方法だからである。

 「身重坂」の「二重に」は「多重に」である。そう思って読むと、詩集全体が、甲田の祈りが、より明確になる。他者への思いやりが、詩を豊かにしていることがわかる。その豊かさは、きっと社会の豊かさにつながるものである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする