「葡萄」53号が「若き日の詩集」という特集を組んでいる。5人の詩人がそれぞれ一篇を選び、「自注」をつけている。それを読むと、びっくりすることがある。たとえば、鎗田清太郎「手」。
この詩について、鎗田は次のように書く。
詩はとてもよくわかった(つもりだった)。しかし、「自注」がよくわからない。何を書いているのか明確に理解できない。
「投企」は「投企」と「被投企」のふたつの視点から見ていかなければならないと思う。ここに書かれている人間のあり方は「被投企」としての存在である。人間は何の自覚もないままに世界に投げ出されている。その不安。情緒的存在としての人間。
「投企」というのは、そこから出発して自己を構築していくこと、と私は理解している。「投企」がテーマと言うのであれば、どんな自己を想定しているのか、それが書かれていなければならないと思うが、それが見当たらない。
「被投企」としての存在、不安な情緒が書かれている、鎗田が否定しようとしたものが、どう否定するかが明示されないまま、そこに書かれているという感じしかしない。
私は、この作品の成立過程を知らない。成立過程を無視して書けば、私が感じたのは、戦中の不安な人間のありようである。自己投企できず、ただ巨大な権力によって世界に投げ出されている。自分の意思ではなく、権力によってたとえば兵隊の位(骰子のナンバー)を割り振られている。そこでは「私」は存在しない。「私」を無視して、巨大な手が人間を骰子のように振っている……。そうした状況を描くことで、状況そのものを批判していると思って読んだのである。
そういう批判を鎗田は「投企」と呼び、それが彼の出発点であると言うのかもしれないが、何かが微妙に違う感じが残る。
「日本的感性、俗流情緒」は「骰子」を登場させるだけでは、それを捨てたことにはならないだろうと思う。「ぼくらを掴み/なおも投げようとする/その一つの手は/何か」というのは私(この詩が戦争中に書かれたものであるとばかり、私はかってに想像していたので)には「天皇制」としか思えないのだが、そうした「制度」を「手」という比喩で語ってしまうところに、私は逆に日本的感性、情緒のようなものを感じるからである。
もしほんとうに天皇制を批判するのなら、一人一人の個人を単なる骰子として戦場に送り出した巨大な手として批判するのなら、もっと明確に批判しなければ批判になり得ないと思う。「一つの手」は、それこそ世界全体を覆っていた戦争という状況と言い換えられてしまうからである。そういう把握の仕方、責任のあいまいさを受け入れる姿勢こそ、私には「日本的感性」に思えてしまうからである。
*
「火牛」57冊に鎗田の「『旧詩帖』補釈」が載っている。その冒頭の作品。
ここに書かれた「芋虫」ということば。そこに私は鎗田の「自己投企」を見る。困難な状況を生きる人間である鎗田。食べ物もなく、不安定な世界に投げ出されて、不安な鎗田。被投企としての鎗田がまず描かれ、そこから脱出するために行動する。買い出しに行く。鉄橋を渡る。そのとき、鎗田は「芋虫」として生きる。「芋虫」へ向けて「自己投企」する。
これは強烈な体制批判である。人間を人間として存在させない権力に対して、私は今「芋虫」として生きる、そうすることが自分の命をながらえさせる唯一の方法だからである、私をそういう人間にさせてしまう権力は無力であり、批判されてしかるべきものだという強いメッセージがある。
この作品には、鎗田が書いている「悪しき意味での日本的感性、世俗情緒」を捨てる姿勢が強く読み取れる。この作品に、「手」の「自釈」がついていたなら、私はとても感動したと思う。
投げられた骰子(さいころ)が
3を示したとて
5を示したとて
何の意味があろう
ころがされて
涯しない空白に
顫えているばかり
3であるより
5であるより
なべて黒いリムバーを
嘆かうよりも
なぜ骰子であるのかに
意味があろう
ぼくがぼくであることを忘れ
きみがきみであることを忘れ
ぼくもきもよ骰子であり
投げられて
ころがされて
ここに在ることについて
考えよう
もはや
3が5を嘲笑(わら)い
5が3を嘲笑(わら)う無意味さ
荒れ果てた空白にいて
ふたたび投げられようとする
1・2・3・4・5………
ぼくらを掴(つか)み
なおも投げようとする
その一つの手は
何か
この詩について、鎗田は次のように書く。
この詩は言うならば、ハイデガー鉄苦学の重要な概念「投企entwerfen 」をテーマにして書かれたもので、これは「悪しき意味での日本的感性、俗流情緒」を捨てて「人間存在の本質の詩的把握を目指す」ことをテーマにしている。
詩はとてもよくわかった(つもりだった)。しかし、「自注」がよくわからない。何を書いているのか明確に理解できない。
「投企」は「投企」と「被投企」のふたつの視点から見ていかなければならないと思う。ここに書かれている人間のあり方は「被投企」としての存在である。人間は何の自覚もないままに世界に投げ出されている。その不安。情緒的存在としての人間。
「投企」というのは、そこから出発して自己を構築していくこと、と私は理解している。「投企」がテーマと言うのであれば、どんな自己を想定しているのか、それが書かれていなければならないと思うが、それが見当たらない。
「被投企」としての存在、不安な情緒が書かれている、鎗田が否定しようとしたものが、どう否定するかが明示されないまま、そこに書かれているという感じしかしない。
私は、この作品の成立過程を知らない。成立過程を無視して書けば、私が感じたのは、戦中の不安な人間のありようである。自己投企できず、ただ巨大な権力によって世界に投げ出されている。自分の意思ではなく、権力によってたとえば兵隊の位(骰子のナンバー)を割り振られている。そこでは「私」は存在しない。「私」を無視して、巨大な手が人間を骰子のように振っている……。そうした状況を描くことで、状況そのものを批判していると思って読んだのである。
そういう批判を鎗田は「投企」と呼び、それが彼の出発点であると言うのかもしれないが、何かが微妙に違う感じが残る。
「日本的感性、俗流情緒」は「骰子」を登場させるだけでは、それを捨てたことにはならないだろうと思う。「ぼくらを掴み/なおも投げようとする/その一つの手は/何か」というのは私(この詩が戦争中に書かれたものであるとばかり、私はかってに想像していたので)には「天皇制」としか思えないのだが、そうした「制度」を「手」という比喩で語ってしまうところに、私は逆に日本的感性、情緒のようなものを感じるからである。
もしほんとうに天皇制を批判するのなら、一人一人の個人を単なる骰子として戦場に送り出した巨大な手として批判するのなら、もっと明確に批判しなければ批判になり得ないと思う。「一つの手」は、それこそ世界全体を覆っていた戦争という状況と言い換えられてしまうからである。そういう把握の仕方、責任のあいまいさを受け入れる姿勢こそ、私には「日本的感性」に思えてしまうからである。
*
「火牛」57冊に鎗田の「『旧詩帖』補釈」が載っている。その冒頭の作品。
敗兵として帰京し
母とよく近郊の農家に
買い出しに行った
あるとき
芋袋を背負ったまま
レール沿いに歩き
古い鉄橋に出た
…長さ一五〇メートル
眼下二〇メートル下の
河原ののどかな二筋の流れ
もどっても
もどらなくても
そのうち電車は来るだろうし…
〈そのとき何が出来るだろう!?〉
私と母はレールの上を
ただ芋虫のように
腹這って進んだ
ここに書かれた「芋虫」ということば。そこに私は鎗田の「自己投企」を見る。困難な状況を生きる人間である鎗田。食べ物もなく、不安定な世界に投げ出されて、不安な鎗田。被投企としての鎗田がまず描かれ、そこから脱出するために行動する。買い出しに行く。鉄橋を渡る。そのとき、鎗田は「芋虫」として生きる。「芋虫」へ向けて「自己投企」する。
これは強烈な体制批判である。人間を人間として存在させない権力に対して、私は今「芋虫」として生きる、そうすることが自分の命をながらえさせる唯一の方法だからである、私をそういう人間にさせてしまう権力は無力であり、批判されてしかるべきものだという強いメッセージがある。
この作品には、鎗田が書いている「悪しき意味での日本的感性、世俗情緒」を捨てる姿勢が強く読み取れる。この作品に、「手」の「自釈」がついていたなら、私はとても感動したと思う。